歴史

2017/03/21

強制収容所のバイオリニスト―ビルケナウ女性音楽隊員の回想

5169s7ykml_sx341_bo1204203200_ 著者のヘレナ・ドゥニチ‐ニヴィンスカさんは、1915年生まれのポーランド人。アウシュヴィッツ=ビルケナウに収容されたのはユダヤ人だけではなく、非ユダヤ系の人たちも、政治犯などが収容されていた。彼女は、自宅に反ナチス活動家を下宿させたことで、母親とともに逮捕された。アウシュヴィッツに移送された。ここが注目の1点目。
 アウシュヴィッツまでの彼女たちの道のりをみると、独ソの密約による支配がもたらしたものを痛感させられる。覇権主義的な国家がもたらしたものが何であったのかの歴史の証言者でもある。これが2点目。
 そして、アウシュヴィッツ=ビルケナウの女性音楽隊のこと。ナチスの収容所での音楽の役割などは、「収容所のマエストロ」のようなすぐれたドキュメンタリーもある。生きるための音楽ということはそうだけど、ここでは、囚人を送りだしたり、迎えたりするそういう音楽隊だ。もちろん、休日の音楽会、ときとして秘密の音楽会もあったわけだけど。だけど、音楽隊の人たちは、生きるには、良心の呵責に耐えて弾くほかなかったという体験だ。そして、そのため、戦後、多くの人はそのことを誰にも明かさなかった。そうした収容所での非人間的な体験や音楽隊の実態を、克明に記した回想録になっている。
 重い内容を問いかける。人間とは、人間にとって自由とは、人間の尊厳とは。その問いを忘れてはいけないなあ。


2017/03/20

肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師

 とにかくただただ、合掌。

肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師(毎日新聞)

 広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。
 軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所の理事長を務め、全国の被爆者への医療相談に取り組んだ。医師の立場から原爆被害の実態を伝えるため、欧米など海外約30カ国も訪問。各国の反核団体と連携して核兵器廃絶を訴えた。
 2000年代の原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、長年の臨床経験と海外の文献研究を基に証言。原爆投下後に広島・長崎に入った「入市被爆者」が、飛散した放射性物質を呼吸や飲食で体内に摂取し、「内部被ばく」を起こしてがんなどの原因になったと訴えた。国の認定手法の問題点を突き、原告勝訴の判決を引き出す力になった。
 09年に医療の第一線から退いた後も、各地で精力的に講演活動を展開。毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。

 肥田さんと言えば、広島であり、被ばくということだけど、もう一つの柱がある。陸軍から、戦後、厚生省に、国立国府台病院に勤めていて、全日本国立医療労働組合設立にかかわり、レッドパージで国立病院を解雇されている。そのテーマで、グラビアに登場していただいたこともある。ものすごい人生だなあ。ご冥福を祈るばかり。

2017/03/16

特集ワイド 「ウルトラセブン」放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影

特集ワイド 「ウルトラセブン」放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影(毎日新聞)

 主題歌冒頭の和音を聞くと、思わず「セブン、セブン、セブン!」と連呼したくなる中高年も多いだろう。「ウルトラセブン」の放映開始から今年で半世紀。日本特撮史に残るこのテレビ番組には、当時まだ米軍統治下にあった沖縄の複雑な状況がにじんでいたことをご存じだろうか。沖縄出身で、「セブン」のメイン脚本家の一人だった上原正三さん(80)に、当時と今の沖縄を語ってもらった。

織り込んだ「戦争」や「差別」/新たな「非武のヒーロー」作りたい

 砂ぼこりをまき散らして疾走するラリーカー。トランクの中には超高性能火薬「スパイナー」が積まれ、ウルトラ警備隊のダン隊員、アマギ隊員が地球防衛軍の実験場まで運ぶ任にあたる。コース上では地雷が爆発、オートバイに乗った人間爆弾が襲撃してくる--。
 上原さんが脚本を書いた「700キロを突っ走れ!」(1968年)は、72年の沖縄本土復帰前、統治機構として住民の生活を覆う米軍の存在がヒントになった。「さまざまな武器や爆発物を積んだ米軍車両が市街地を行き交うのは、沖縄ではごく当たり前の光景だった。いつどこに何が運び込まれるのか、われわれ住民には一切知らされない中で、日常がひっくり返りかねない怖さを常に感じていた」
 神奈川県内の行きつけの喫茶店でインタビューに応じてくれた上原さんは、最も印象に残る「セブン」の脚本を尋ねると、真っ先にこの回を挙げた。当時のTBSプロデューサーから「沖縄の人でなければ書けない」と評価されたという。
 ブラウン管の向こうでウルトラ警備隊が守っていた危うい日常は、放送の翌69年7月、沖縄の現実とつながる。米軍の知花弾薬庫(現沖縄市)で毒ガスが漏れ出し、米軍兵士ら20人以上が治療を受ける事故が発生。ひそかに貯蔵されていた物質にはサリンやVXガスも含まれていた。「沖縄では今も、米軍が生活の場からフェンスひとつ隔てた場所で存在する。その存在が、日常の平和を壊す危険をはらんでいる現実は、復帰前も今も変わらない」と静かに語った。…

 ウルトラマン、ウルトラセブンと沖縄の金城哲夫や上原正三のことを知ったのは、前にも書いたけど、NHKのドラマ、「私が愛したウルトラセブン」が最初だよなあ。世代的には、2回りもちがうもの。復帰前の、沖縄戦と地続きの米軍施政下の苦難を正面から背負っていた世代なんだろうあ。とくに金城は、そこからの脱出すべをみつけられうに、自己破壊的になってしまった感もあるのだけど。でも、ボクガなぜ、ウルトラセブンなどが大好きで、そこから何を吸収していたのかも、いろいろよくわかるというか、考えさせられるのではあるのだ。

2017/03/02

ある看護専門学校で

 今日は、午前中、ある専門学校の、地域フィールドという、学生たちがフォールドワークをして学んだことの発表の会に行ってきた。ちょっとだけお手伝いをしたこともあって。食料、町工場、アスベスト、雇用と社会保障、原発、平和、教育などのグループにわかれ、それぞれ7人ぐらい。何カ所かに出かけ、話を聞き、いろいろしらべて、討論しながら180ページにおよぶレポートにしあげる。それぞれ学びに行く場所も講師も文献も工夫されている。先生たちがしっかり考えて、そして学生たちも必死でがんばって。報告には圧倒されました! こういう学びが、若いころにちゃんとできるっていうのはすごくいいなあ。現場にでて、さまざまな問題に直面した時に、きっと、支えになる、そのきっかけになる学びなんだと思うなあ。とってもいい経験ができました。

2017/02/26

ただ涙を流すのではなく “分断する世界”とアウシュビッツ

 BS1スペシャル。

C5fzadovuaacouf 100万人を超えるユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所。その悲劇を伝え続けているのが、世界各国出身のガイドたちだ。今、ガイドたちは、大きな危機感を抱いている。移民や難民をめぐり広がる排斥の声。世界が分断を深める中で、自分たちは何を伝えるべきなのか。ただひとりの日本人ガイド・中谷剛さんも語るべき言葉に悩んでいる。揺れるアウシュビッツのひと冬を追った。ナレーションは俳優・東出昌大。

 涙をながすだけではなく、考えてほしい――その重い言葉を反芻しながら見て。排外主義的な感情や空気が広がるなかで、悩みながら伝える、日本人ガイドを追う。
 日本で、ボクらが加害について考えるとき。まず、被害者が、生きた1人の人間だったことからはじまる。そして、その痛みや悲しみに共感する。しかし、被害者が去り、時代が変化する中で、必要なのは、その事実を普遍化し、抽象化すること。しかし、いまの時代の流れのなかで、それでどこまで伝えていくことができるのか。そういう揺れと悩みのなかに彼もまたいる。それはまた、ボクらにつきつけられて大きな課題である。とりわけ、日本は、戦争体験に依拠しすぎてきたところがあるのかもしれない。一方で、歴史の事実を逆手に愛国に動員することは、イスラエルでも中国でもおこなわれているし、日本でも形を変えながら、突き付けられる課題でもあろう。
 うーん。重いなあ。それでも、こうしたいろいろな努力の蓄積をしっかり学びながら、考えていかなければいけないとも思うなあ。

2017/02/22

強制収容所のマエストロたち

 昨日のBS1のドキュメント。これがなかなかすごかった。

1 チスの強制収容所で死亡した音楽家たちが作った歌や楽曲を発掘してきたイタリア人指揮者のフランチェスコ。遺族や収容所跡を訪ね、死を目前に音楽に託した想いを蘇らせる。
 14万以上のユダヤ人が送り込まれたチェコのテレジン収容所では、多くの音楽家が犠牲となった。凍てつく寒さの中、命の灯火が消えるまで曲を書き続けた作曲家もいる。またスロバキアでは、収容所での過酷な日々や家族への思いが代々歌い継がれている。フランチェスコは死と隣り合わせの極限状態の中で生まれた美しい楽曲を収集してきた。その音楽を演奏することで、曲に込められた音楽家たちの想い、平和への願いを現代に伝える。

 ナチスや、そして日本軍の捕虜収容所、アメリカにおける日本人収容所などの場で、過酷な環境のもとでも、音楽を愛し、そして音楽に励まされ、生き抜いた人たち。そこに残された曲、収容所のなかでつくられた曲を追い、蘇らせる。そういう音楽家のとりくみを描いたもの。いや、こういう歴史は、ボクはあまり知らなかった。これは、ものすごく面白く、もっと知りたいと思った。こうしたことについて書かれた本などはあるのだろうか?知っている人がいれば教えてください!


2017/02/07

弁護人

640 全然、映画見れてないなあと行ったけど、先日、これを見に行ってきた。茨城まで! とは言え守谷なので、我が家からはそんなに遠くはない。が、電車賃は結構高い。まで見ていない『この世界の片隅で』と、どちらを見ようか、考えたけど、まずこっちを見るのが自分ぽいだろうなって思って、こちらを見た次第。もちろん、思いっきり直球の映画であり、ストーリーもいたってシンプル、単純。だけど、ソン・ガンホなど登場人物が実に生き生きして、魅力的。
 高卒ということで排除され、劣等感をもつ弁護士の主人公は、土地の登記や税金を扱う”俗物弁護士”。あることを契機に、それが社会派、人権派弁護士への見事に脱皮していく物語なわけだけど。主人公のモデルは、ノムヒョン元大統領。事件は80年代初頭。光州事件の影響がまだ冷めやらぬ時期に、おこなわれた弾圧・冤罪事件。
 このように1つひとつ、人は変わっていく。その変化がまわりに影響をあたえ、さらに人が変わっていく。その積み重ねの中で、韓国社会は、軍事独裁を突き崩してきたのだなあとあらためて思った。そのことはとても大事なことだと。屈折していたジャーナリストや妥協的だった弁護士の変化も印象的。国家・権力の強圧に対する悔しさ、でもどんな困難に対しても、「絶対にあきらめない」というメッセージ! それは、日本のいまのたたかいにも通じるところがあるのだし、それがいまの韓国のたたかいをつくっているのだろうなあとも。面白かった!!!


2017/01/29

ハンセン病資料館

20170129_13443520170129_210742 午前中、たっぷり寝て、洗濯機を2回回し、掃除機をかけて、午後は少し先の企画のための調べものと、資料収集。その関係もあって、多摩の全生園にあるハンセン病資料館に出かけた。常設展の展示を、映像も含め、しっかり見て。語る言葉がみつからない。隔離された生活というか、強制的な労働のありよう、重監房などに想像力をめぐらす。図録や、隔離の中で生きた子どもの資料などもいただいた。秋津の商店街は魅力的。サラリーマンなどを横目に、帰路につく。

2017/01/17

ハンセン病児問題史研究―国に隔離された子ら

51n6bk0ti4l_sx351_bo1204203200_ 清水寛先生の、この本を、やっと最後まで読み終えた。ちょっと時間がかかったなあ。だけど、いまから10年ほど前の『日本帝国陸軍と精神障害兵士』でもそうだったけど、ものすごい仕事をこの先生はやるのだよなあ。この本も、すごい本だった。
 ハンセン病児の問題について考えるさい、その前提であり、最大の問題であるハンセン病隔離政策ということを考えないと、理解できない。その問題性、非人道性について、あらためて、明らかにしながら、実相に迫っている。冒頭から、この問題、そこで生きていた人々の苦難に、胸がつぶれる思いがする。
 だけど、よく考えていると、ハンセン病について多少の知識があっても、その隔離のもとで生きていた、子どもたちのことについて、何も知らない。この本は、ハンセン病の歴史研究のなかでも、子どもの問題に焦点をあてているという点で、これまでにない研究として画期的だと思う。そのもとで、どのような暮らしをしていたのか、そもそも、子どもたちはどのように処遇されたのか? 教育はどうなっていたのか。隔離され、退廃的な雰囲気が拡大する世界のなかで、子どもたちはどう生き、そこに関係者(補助教員など)はどう働きかけたのか。それは戦前と戦後(憲法と教育基本法)でどのような変化があり、戦後も続いた隔離政策のなかで、どのように限界があったのか。
 こうした問題を、残されている資料や当事者への聞き取りからあきらかにするのだけれど、文芸作品など、当時の文集などからも、当時の子どもたちの様子がうかがえ、それを明らかにする。そこでとくに、感じるのは、戦前の光田氏による大家族主義の実態と、その影響だ。さらには、戦後の歩みを考えるうえでは、共学拒否事件というものがあり、それがいろいろなことを投げかけている。この点でも、日韓の違いにも、ハッとさせられる。
 本では証言が、掲載されている。そこからは、反省病児の実態や、そのときの心情が生々しく読み取れるし、それがその後の歴史的なたたかいにつながっていくことも学ばされる。重監房の話など、これほどのものかと改めて思う。同時に、谺さんと宮城さんの話からは、それ歴史から、学ぶことの重みも感じる。証言のそれぞれから、この人たちが、その体験から学んだ、高い人権感覚と人間性というものを感じる。このことを通して、子どもの権利、障害者の権利、人間としての権利というものを考えたい。関係する多くの人に読んでほしいなあ。

2017/01/11

シリーズ 暮らしと憲法 第一回 女性

 ハートネットTVの再放送を見た。

Adminajax3 今年は、日本国憲法が施行されてから70年の節目の年。戦後日本は、憲法を道しるべに社会を築いてきました。しかし、憲法のことを普段は、あまり意識しないのではないでしょうか?ハートネットTVでは、シリーズで暮らしの現場から憲法を見つめていきます。

第一回 女性 
第24条・婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し……
法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければなりません。
男女平等がうたわれたこの第24条は、当時、世界でも類を見ない高い理想を掲げた内容でした。この条文の草稿を書いたのが、GHQのスタッフだったベアテ・シロタ・ゴードンさん(当時22歳)。幼少期に10年ほど日本で暮らしたベアテさんは、財産権・選挙権などの「権利」を持たず、結婚も本人の意思だけでは決められない日本女性たちの状況を見聞きしていました。70年前に生まれた憲法の男女平等の理念をもとに戦後女性が獲得した権利と、いまなお抱え続ける生きづらさ。貧困や様々な困難を抱える女性の暮らしから憲法を見つめます。

 シロタさんの映像が懐かしい。その情熱は、多くは、実現をあとの世代にたくされた。雇用と労働における同権。現在、女性の貧困という形でそれは突き付けられている。そのことも正面からとりあげる。そして、無戸籍という問題を通して、民法の不備も問う。なかなか、問題を正面から取り上げていて、さすが、ハートネット、ETVであった。


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