歴史

2017/08/04

灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ

 今話題の灘中高の校長の文章。それがこれだけの。灘に圧力をかけた議員の名前が明らかに。

灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ(神戸新聞)

 私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。
 同校が採択したのは、「学び舎(しゃ)」の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。教科書は現役教員やOBらが執筆し、他社で記述がない慰安婦問題に言及。1993年に河野洋平官房長官(当時)が元慰安婦へのおわびと反省を表明した「河野談話」を載せ、併せて「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」と現在の政府見解も取り上げている。
 県教育委員会などによると、同校は2016年度から同社の歴史教科書を使用。同教科書を使っているのは県内では同校だけという。同委員会義務教育課は「(教科書の使用は)適正に行われている」としている。
 同校の和田孫博校長が昨年、同人誌に寄稿した「謂(いわ)れのない圧力の中で」と題した文章で「自民党の一県会議員から『なぜあの教科書を採用したのか』と詰問された」「本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、『政府筋からの問い合わせなのだが』と断った上で同様の質問を投げかけてきた」と明かした。
 また、採択を批判する「文面が全く同一」のはがきが200通以上届いたといい、和田校長は「はがきはすでにやんだが、圧力を感じた」と振り返る。現在も和田校長の文書がネット上で引用され、論争となっている。
 盛山、和田両議員は神戸新聞社の取材に、批判のはがきとの関連を否定。その上で、盛山議員は「灘中の教科書について、OBとして周囲から疑問の声を聞いたので、校長に伝えただけだ」と強調。「『政府筋からの問い合わせ』と言った覚えは全くない」とする。
 和田議員も会合で校長に採択理由を尋ねたことを認め、「私個人は学び舎の歴史教科書に疑問があり、さまざまな会合で口にしている」と主張。「私立学校の特色ある教育は理解しており、圧力などではない」と話している。

 MBSの番組がとりあげ、ここ数日ネットで大きな話題になっているけど。ご本人は、組織性も否定するわけね。一連の大きな動きは否定しようがないけどねえ。

2017/08/03

教育と愛国~いま教科書で何が起きているのか

 MBSの関西ローカルの番組。ネットで探してみた。

1 「善悪の判断」・「礼儀」・「国や郷土を愛する態度」…20以上の徳目がずらりと並びます。
それらを学ぶための読み物、それが「道徳」の教科書です。来年度から小学校で導入される「特別の教科 道徳」は、 これからの時代の教育の要とされています。2020年度に全面実施される新教育課程には「道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行われる」とあり、まさに戦後教育の大転換といえます。
 しかし、教育現場では賛否が渦巻いています。その背後では教科書をめぐって、文部科学省の教科書検定や採択制度が、政治的介入を招く余地があるとの懸念の声があがっています。これまで歴史の教科書では、過去に何度もその記述をめぐり激しい議論が起きてきました。「もう二度と教科書は書きたくない」と話す学者がいます。「慰安婦」の記述をきっかけに教科書会社が倒産することになった過去の記憶が、いまも生々しく甦ると学者は重い口を開きます。一方、いまの検定制度のもとでの教科書づくりは、何を書き何を書かないか、まさに「忖度の世界」と嘆く編集者もいます。さらに学校現場では、特定の教科書を攻撃するハガキが殺到するような異常事態も起きています。
 教育の根幹に存在する教科書。歴史や道徳の教科書を取り巻く出来事から、国家と教育の関係の変化が見えてくるのではないだろうか。教科書でいま何が起きているのか。これまで表面に出ることがなかった「教科書をめぐる攻防」を通して、この国の教育の未来を考えます。

 道徳を切り口にしながらも、とりわけ中学歴史の教科書でなにをおこったのかをふり返る。日本書籍のバッシングと倒産。編集者と執筆者(吉田さん)の声が生々しい。そしてつくる会、沖縄戦の記述の書き換え問題、学び舎へのバッシングなどなど。政治と教育の距離が近くなり、政治の介入・不当な支配が激しくなっていくさまを見せつける。教育の自立性、自主性を奪い、異様なものを教育に持ち込む課程のなかで、安倍さんが果たした役割にあらためて、怒りを感じる。もうここまできている。
 そういう大きなゆがみが教育にもちこまれているもとでの道徳の教科書だ。そうとうたいへんな事態に教育は直面している。道徳については、端的でも、もう少し突っ込んではほしかったけどね。はたして、地域からの学びで押し返していくことができるのかが問われていくことになる。
 番組は、さすがにあの斉加尚代さん。

『法政大学と出陣学徒』 「負の歴史」率直に認め 5年間の検証、報告書に

 これはしっかり読んでみたいなあ。

『法政大学と出陣学徒』 「負の歴史」率直に認め 5年間の検証、報告書に(毎日新聞)  第二次世界大戦下に徴兵された学生らを詳細に調査した『法政大学と出陣学徒』が刊行された。同大学が5年間にわたって進めてきた「法政大学と出陣学徒」プロジェクトの事業報告書を上下2巻で刊行するもので、本巻は上巻だ。長く「負の歴史」と向き合わなかった事実を率直に認めつつ、近年、精力的に調査を進めてきた成果を報告している。    ■  ■  A4判で300ページ近い大著。出陣の実態に迫り、さらに戦後、大学がその事実にどう向き合ってきたのかを検証している。  同大学は3000人以上の学生を戦地に送り出した。本来大学を挙げてその事実を検証し、歴史にきざむべきところだ。だが多くの他大学同様、それが進まなかった。たとえば1961年刊行の『八十年史』、80年の『百年史』で学徒出陣に触れたのはほんの数行だ。「大学史の上で『学徒出陣』という出来事はこれまで正面から取り上げられ語られることはなく、その時代の歴史はほとんど空白のままであった」(調査を実施した同大学史委員会委員長の馬場憲一教授による序文)  調査に当たった、総長室専門嘱託の古俣達郎さんは「当時は大学の創立の経緯が明らかでなかったので、その解明に力点が置かれた」とし、馬場教授は「戦時中に在籍した教員がまだいて、学徒出陣にはあまり触れたくなかったのでは」と話す。戦時下の諸書類がほとんど残っていない、という事情もあった。  そうした中で特筆すべきは90年、学徒出陣し戻らなかった学生に「卒業証書」を交付したことだ。出征学徒を調査し、学徒35人の戦没を確認した。同年3月の卒業式では、阿利莫二総長(当時)が遺族10人に卒業証を授与した。阿利総長は自身が学徒出陣したこともあり、出陣の検証と追悼に積極的だった。大学の責任にも言及した。だが、本格的な追跡調査は継続されなかった。  同プロジェクトは2012年度に始まった。戦後70年を前に、当事者にまとまった調査をする「最後の機会」ととらえてのことだったという。その結果、1943年10月に公布された「在学徴集延期臨時特例」で、兵役法で認められた在学中の徴集猶予が停止となり、同年12月に男性学徒が出陣した狭義の「学徒出陣」では1476人が、また同12月以降の在学中出陣全体を示した中義の出陣が3395人に上ることが分かった。41年から行われた、繰り上げ卒業から即時出征となった学徒を含む広義の出陣については不明という。  さらに学徒出陣した可能性のある44~48年度の卒業生985人を対象にアンケート調査を実施し、148人の回答を得た。学内の資料では把握しにくかった徴兵後の状況を確認できたことや、新たな戦没者情報がもたらされるなど、大きな成果があった。また展示会やシンポジウムなど、学外へも積極的に発信した。本書にはこうした成果も記されている。    ■  ■  さらに目をひくのが、戦没者694人の名簿だ。日中戦争から太平洋戦争までの戦争で亡くなった卒業生と在学生で、卒業年月や本籍、学部学科、戦没した年月日や場所なども記されている。交友名簿や学籍簿、アンケートと聞き取り調査、出版物や慰霊碑まで活用した労作だ。  またプロジェクトでは学徒出陣経験者45人の聞き取り調査を行った。当時の状況や心境などが貴重な肉声で語られており、下巻に収録される。  本書は都道府県立の図書館に寄贈される予定だ。近年、一部の大学では学徒出陣に関わる研究、調査が進んできた。こうした大学が協力の輪を広げることで、全容解明と記録に少しでも近づくことが期待される。

 4年前だったか、早稲田で展示や講演をやったり、立命でも講演会があった。だんだんと生存者が減っていく。そういうなかで、本格的な調査がなされたのは重要だと思う。さすがに、さまざまな大学での蓄積もあるから、記事にあるように協力によって、全容を記録することが望まれるなあ。非道なことだったわけで。神宮での壮行会があまりにも有名だけど、ボクの大学では北部の農学部グランドでおこなわれた。そして、多くが、特攻隊員となっていったわけで…。最近はわだつみのこえ記念館の話も聞かないなあ。いまどうなっているのだろう?

2017/07/27

大田昌秀さんと最後の別れ 県民葬に2千人 首相や知事、遺影に誓い

 昨日は県民葬だった。

大田昌秀さんと最後の別れ 県民葬に2千人 首相や知事、遺影に誓い(沖縄タイムス)

 沖縄県知事や参院議員を歴任し、平和行政の推進や米軍基地の負担軽減に取り組んだ故大田昌秀さんの県民葬が26日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター展示棟で開かれた。県内外から約2千人が参列し、大田さんとの最後の別れを惜しんだ。実行委員長の翁長雄志知事は「平和を愛する共生の心の理念を受け継ぐ」と誓った。安倍晋三首相は「大田元知事が心を砕かれた沖縄の基地負担の軽減に引き続き全力を尽くす」と決意を示した。
 祭壇には知事時代の大田さんの写真や、大田さんが建立に奔走し、1995年6月に除幕した平和の礎にハトの絵を描きこんだオブジェが飾られた。大田さんが好きだった「えんどうの花」も演奏された。
 遺影を持った遺族と入場し、深々と頭を下げた翁長知事。「県民の歌」の合唱や黙とうの後、式辞に立ち、「平和・自立・共生を県政運営の柱に据え、沖縄が抱える諸問題の解決に心血を注がれた」と功績をたたえ、「恒久平和のため、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる沖縄を築く」と強調した。
 安倍首相は追悼の辞で、大田さんの在任中の普天間飛行場返還合意や日米特別行動委員会(SACO)最終報告を挙げ「歴史的な出来事だった」と振り返り、平和追求に将来をささげた姿や信念は「人々の胸に永遠に生き続ける」と話した。…

 安倍首相には、会場から、大田さんの願いは辺野古に新基地をつくらないことだ、その願いにこたえてという趣旨の声がかかった。それは県民の声だ。首相は、聞く耳をもたないだろうなあ。だからこそ、先日の、県による工事差し止め訴訟のようになる。「負担軽減」ということの欺瞞は、もう何度も語っているけど、それに対しては答えない。「恒久平和のため、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる沖縄を築く」、沖縄の思いによるたたかいは続くのだ。

2017/07/25

米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー

Eafd68f8645678e5 テレビで放映されたドキュメントを全面改編して、ドキュメント映画にした表題の作品の試写を見てきた。佐古さんがあいさつで、いま起きていることを理解するうえでも、沖縄の戦後史をみつめることが大事だ、そういう映画にしたと言っていたが、ほんとうにそういう感じの映画にしあがっている。新しい資料としての瀬長の沖縄戦について書いた文章からはじまって、戦後の占領下でのたたかいへとていねいに、経年で追いかけていく。植民地ともいえる占領下の圧政と人民党の結成、そして投獄。相次ぐ米軍の事件、そして島ぐるみ闘争から、那覇市政をめぐるたたかい。復帰闘争の広がり。いまの「オール沖縄」の源流がどこにあるのかがわかるものになっている。「不屈」とは瀬長にとって、沖縄県民のたたかいを指す。つまり、どこまでも、米軍の圧政・横暴へ揺らがない怒りと、そして正義は必ず県民の団結を基礎に勝利するという不動の確信。それが、この映画の伝えたいところだと思う。それこそが、いま、われわれが学ぶべきこと。
 ほんとうに沖縄の戦後史をていねいに追っかけてつくられている。とてもいい映画だと思った。


2017/07/07

盧溝橋事件から80年

20170707_152650 盧溝橋事件、いわゆる7・7事変で、日中戦争が全面戦争に突入して、今日は80年だ。日中戦争はすでに、歯止めない加害行為を広げる侵略戦争として展開されていた。さすがに今日は、さまざまな場所で、いろいろな記念行事が。
 さて、ボクも、すでに盧溝橋については企画をやったが、その趣旨は日本の加害戦争であることはそうだ。日中戦争は、いつはじまったか、抗日のたたかいはいつはじまったのか? いろんな議論があるが、とりあえず、満州事変を念頭においた。今度、笠原さんが、『日中戦争全史』を出される。その前史が「21カ条の要求」、前夜を中国国民革命から、山東出兵に置く。陸軍の日中戦争はよく知られているが、海軍がどのように戦争をおこなったのかということも興味深い、この間の笠原さんの研究。アジア・太平洋戦争から凄惨な大陸打通作戦に。しっかり、学ばないとと、心に刻む日に。


2017/07/05

「自衛隊は石垣島の経済発展阻む」 尖閣慰霊祭で非戦訴え

 深く胸に刻みたい。

「自衛隊は石垣島の経済発展阻む」 尖閣慰霊祭で非戦訴え(沖縄タイムス)

 戦時中、疎開船が米軍機の攻撃を受けた「尖閣列島戦時遭難事件」の犠牲者を悼む慰霊祭(主催・尖閣列島戦時遭難者遺族会)が3日、沖縄県石垣市新川の慰霊之碑であった。約50人が参列し、尖閣近海の平穏と恒久平和を願った。式辞で慶田城用武会長(74)は石垣島への自衛隊配備計画に触れ「経済発展の阻害要因となる」などと反対した。
 慶田城会長は、強行採決された「共謀罪」法などの成立や南西地域への自衛隊配備計画など近年の政治状況に懸念を示し「魚釣島の領土問題は経済や文化を通し信頼関係を築き、外交で解決すべきだ」と指摘した。
 その上で、「石垣島は経済が自立可能な宝の島。経済の発展の阻害要因となる自衛隊配備はやめるべきです」などと訴え、非戦・平和への思いを語った。

兄姉思い 語り継ぐ決意
 ……

 きちんと、こういう声に向き合ってほしい。

2017/06/26

悪夢苦しんだ戦後 米映画「ハクソー・リッジ」モデルのドスさん 95年来沖

 こんな逸話があったんだ。

悪夢苦しんだ戦後 米映画「ハクソー・リッジ」モデルのドスさん 95年来沖(琉球新報)

 日本各地で24日から上映されている映画「ハクソー・リッジ」の主人公として描かれ、沖縄戦で武器を持たずに負傷兵75人を救出した衛生兵デズモンド・ドスさん(2006年死去)が1995年6月に沖縄を訪れた際、琉球新報の取材に応じていた。浦添市前田高地の戦闘で負傷したドスさんは戦後5年半、陸軍病院で入院生活を送り、戦時中の夢を見続けるなど、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状に苦しんだことを明かした。「悪夢を見続けてきたが、今はもう見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と話していた。
 ドスさんは取材時の95年は76歳だった。戦後に沖縄を訪れたのは69年に次いで2度目で、米陸軍の戦後50年記念行事などに参加するため、6月18日から28日まで11日間滞在した。
 ドスさんは1945年4月、米陸軍第77師団第307歩兵連隊第1大隊B中隊の衛生兵として沖縄に上陸した。キリスト教セブンスデー・アドベンチスト教会の信者で、聖書の「十戒」にある「汝(なんじ)殺すことなかれ」を守るため、銃を携行せずに従軍することを条件に志願した。「戦場に行って、人を殺すのではなく助けに行くためだった」と理由を話した。5月5日、前田高地の丘に上がったドスさんらB中隊の兵士は予想以上の激しい戦闘に巻き込まれていった。
   ◇   ◇   ◇
 映画の題名になっている「ハクソー・リッジ(のこぎり崖)」とは浦添市の前田高地の切り立った崖を指す。映画のモデルとなったデズモンド・ドスさんは、45年5月5日に前田高地での戦闘にドスさんは同行した。
 所属していた米陸軍第77師団第第307歩兵連隊第1大隊B中隊の約150人は崖をよじ登って丘の上に立った。「頂上で仲間のために祈った。無事に戻ることができるようにと」と振り返った。
 しかし丘の奥には日本軍が潜んでおり、機関銃などで激しい攻撃を受けた。このためB中隊は撤退を決める。兵士が次々と崖下に下りたが、自力で動けない負傷兵は取り残された。
 このためドスさんは丘にとどまり、日本軍の攻撃が続く中、一人一人を崖の近くに移動し、足の根元と胸の辺りにロープを通して崖下に下ろす作業を4時間にわたって繰り返した。「母親が子どもをなりふり構わず救うのと同じ。夢中だった」と当時を思い起こす。
 翌日の戦闘で、塹壕(ざんごう)にいたドスさんは日本軍から手りゅう弾を投げ入れられ、足を負傷した。さらに5時間後に担架で運ばれている時、日本軍の銃弾を左腕に浴びた。グアムの陸軍病院に移送され、その後結核になって、片方の肺も摘出した。
 入院中のドスさんを襲ったのが、戦時の光景がよみがえる悪夢を見続けることだった。「眠れぬ日が続き、眠っても夢の中で爆弾が破裂して自分が死んだ。戦友たちも爆死した。なぜか戦場にいる私のところに母親が来て、目の前で爆弾で亡くなる夢も見た。途中で起きて、涙を流した。戦友たちの中に、精神的におかしくなってしまった人を知っている。今はもう悪夢を見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と振り返った。
 沖縄滞在中、前田高地を4度訪れた。理由について「行くことによって当時を確認する。そこで自分が体験したことを把握し直したかった」と話していた。…

 沖縄戦の前半の山場の激戦がわかろうというもの。この激戦が結果としてつくりだしたものが、県民の犠牲なんだろうけど。
 記者が次のように書いている。「今月初め、映画「ハクソー・リッジ」の予告編をインターネットで目にした。信仰を理由に武器を持たない衛生兵が多くの負傷兵を救出した物語だった。聞き覚えのある話だった。具志川支局(現在は中部支社に統合)時代に取材した元米兵のことだと気付いた。 自宅に保管している取材ノートを探してみた。見つかった。冒頭に『デスモンド・T・ドス氏』とボールペンで走り書きされ、6ページのメモを残していた。 取材した当時、社会部に記事を送ったが掲載されなかった。戦後50年の節目の『慰霊の日』を目前に、紙面は沖縄戦の記事であふれていた。私の記事は時機を逸してしまったようだ。映画上映を機に、22年前の取材ノートをめくり、記事を書き直すことにした。」
 うーん、映画、見に行かないとなあ。

2017/06/23

島包む祈り 世界平和 誓う

19417349_1458082327585841_2844791_2 今日は慰霊の日。

島包む祈り 世界平和 誓う(琉球新報)

 沖縄は23日、沖縄戦の組織的戦闘の終結から72年となる「慰霊の日」を迎えた。沖縄戦で犠牲になった20万人余のみ霊を慰め、世界の恒久平和を誓う「沖縄全戦没者追悼式」(県、県議会主催)が23日午前11時50分から、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で開催された。
 平和祈念公園には早朝から多くの遺族らが訪れ、2017年度に新たに追加刻銘された54人を含む24万1468人の名前が刻まれた「平和の礎」に手を合わせた。県内各地で慰霊祭が開かれ、沖縄は鎮魂の祈りに包まれている。
 追悼式には安倍晋三首相をはじめ、関係4閣僚、衆参両院議長らが参列した。参列者らは正午の時報に合わせて黙とうした。
 追悼式で翁長雄志知事は平和宣言を読み上げ、米軍専用施設面積の70%が集中する不条理な現実を訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地整理縮小による過重な基地負担軽減を求めた。12日に他界した大田昌秀元知事が平和の礎を建立したことに触れ、平和の尊さを次世代に受け継ぐ決意を語った。
 平和宣言の後、県立宮古高校3年の上原愛音さん(17)が平和の詩「誓い~私達のおばあに寄せて」を朗読した。県遺族会が主催する平和祈願慰霊大行進は午前9時に糸満市役所を出発し、追悼式に合流した。

 翁長さんの思いの強さに比して、安倍さんは、なぜあそこまで、県民の感情を逆なでするようなことを言えるのかと、驚いた(NHKニュースの報道も驚いたが)。そして、高校生のまっすぐな思い。

286561 今日は吉浜さんの、こんな本を手に取ってみた。


2017/06/22

5分で知る沖縄 戦後の基地拡大

 琉球新報がヤフーと共同で、配信をはじめた動画。米軍基地が沖縄でどのようにつくられたのかがよくわかるものになっている。沖縄の思いが伝わる。
 http://ryukyushimpo.jp/pages/entry-518949.html

 3分でわかる沖縄戦も配信されている。

より以前の記事一覧

無料ブログはココログ
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31