歴史

2017/04/27

教育勅語 授業使用の政府方針 専門家らが反対声明

 おお! 乾さん。NHKで写っている。

教育勅語 授業使用の政府方針 専門家らが反対声明(NHKニュース)

 教育勅語について、政府が「憲法や教育基本法に反しない形で授業で使用することは否定しない」と閣議決定したことに対して、教育分野の専門家らおよそ120人が反対する声明を出しました。
声明を出したのは、東京大学大学院の本田由紀教授や、オックスフォード大学の苅谷剛彦教授など、教育分野の専門家など合わせて120人です。
 政府は今月、教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しない形で授業で使用することは否定しない」と閣議決定しましたが、声明では、過去の国会決議や答弁と比べて、今回の政府方針は教育勅語を容認する姿勢を強めていると批判しています。
 そのうえで、民主主義と対立する思想や価値観であり、授業では批判的に取り上げる以外使用すべきでないと主張しています。
 教育勅語は、戦前、国民が守るべき道徳とされていましたが、戦後は「国家主義や軍国主義に拍車をかけた」として、衆参両院で排除や失効を確認する決議がされています。
 本田教授は「現在の方針では、子どもたちの教育勅語への批判的な認識が醸成できないおそれがある。歴史的な過ちを繰り返さないためにも、政府は認識を改めるべきだ」と話していました。

 これが声明。

教育現場における教育勅語の使用に関する声明

 現代においては、国境を超えた人々や情報の交流が進むとともに、人々の生活や人生の多様化も進んでいる。このような中で次世代を担う子どもたちは、多様な他者との協同のもとで、全ての人々の基本的人権を尊重し民主主義的な社会を築く主体となることが期待されており、そのために教育は重要な責任を負っている。それゆえ、戦前の大日本帝国憲法下における「国家元首かつ統治権の総攬者」としての天皇や国体思想を前提とし、現憲法下での国民主権に反するかつての教育思想を現在に復活させることは、いかなる面から見ても弊害が大きいことは論を俟たない。しかるに今、教育勅語を教育現場で使用することに対する政府の容認的姿勢が目立ち始めている。
 政府は、2017年2月27日に逢坂誠二議員より提出された「教育基本法の理念と教育勅語の整合性に関する質問主意書」に対する答弁書において、学校教育法上の学校において教育のために教育勅語が使用されること、教育勅語を繰り返し暗唱させることに関して、「お尋ねのような行為が教育基本法(平成十八年法律第百二十号)や学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に違反するか否かについては、個別具体的な状況に即して判断されるべきものであり、一概にお答えすることは困難である。その上で、一般論として、仮に、同法第一条の「幼稚園」又は「小学校」(以下これらを合わせて「学校」という。)において不適切な教育が行われている場合は、まずは、当該学校の設置者である市町村又は学校法人等において、必要に応じ、当該学校に対して適切な対応をとり、都道府県においても、必要に応じ、当該学校又は当該学校の設置者である市町村若しくは学校法人等に対して適切な対応をとることになる。また、文部科学省においては、必要に応じ、当該学校の設置者である市町村又は当該都道府県に対して適切な対応をとることになる。」と答弁している。
 その後も国会答弁、文部科学省記者会見、質問主意書に対する答弁において、政府は「憲法や教育基本法の趣旨に反しない限り」、「教員および学校長の判断において」教育勅語の学校教育での使用を容認し、不適切な場合は「所轄庁が適切に指導する」という発言を繰り返している。
 むろん、個々の教師は思想信条の自由を保障されるべきであり、また私立の学校は建学の理念に即した教育を行うことが認められている。しかし、教育勅語という対象への上記のような政府の姿勢は、過去の国会決議や政府見解に照らせば、従来の方針に対して重大な変更を恣意的に加えたものと言わざるをえない。
すでに1948年の時点で、衆参両院は、「根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる」(1948年6月19日衆議院・教育勅語等排除に関する決議)との理由から、教育勅語の排除・失効を決議している。それゆえ、教育勅語そのものが憲法と教育基本法に反しているのであり、「それらに反しない」形での使用とは、「教育勅語は憲法と教育基本法に反している」ことを教える場合のみであるということになる。
また歴代文部大臣は、「敗戰後の日本は、國民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く揚げましたが、同時に、これと矛盾せる教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきたのであります」という1948年6月19日第2回国会衆議院本会議における森戸辰男文部大臣発言、およびある私立高校が学校行事で教育勅語を朗読していることが問題とされた際の「昭和二十一年及び二十三年、自後教育勅語を朗読しないこと、学校教育において使わないこと、また衆参両議院でもそういう趣旨のことを決議されております。(中略)教育勅語の成り立ち及び性格、そういう観点からいって、現在の憲法、教育基本法のもとでは不適切である、こういうことが方針が決まっておるわけでございます」という1983年5月11日第98国会参議院決算委員会における瀬戸山三男文部大臣発言等、これを教育理念とすることを明確に否定してきた。過去の国会決議や政府発言と比べて、今回の政府見解等は、教育勅語への容認の度合いを根拠なく強めるものであり、正当性を欠いている。
さらに、以下の諸点において、前記の政府の姿勢は、子どもたちが民主主義的な社会の担い手として成長を遂げる過程に対し、教育現場で教育勅語が不適切な形で使用される事態を防ぐためにはきわめて不十分である。
 第一に、その成り立ちや性格全体から切り離して、憲法や教育基本法の趣旨と一見合致するような教育勅語の一部分が教育現場で使用された場合、教育勅語全体の性質や歴史的背景についての批判的理解が子どもたちに形成されないおそれがある。
 第二に、実際に学校教育法上の学校(幼稚園を含む)において教育勅語の朗読等が長期にわたり行われていた複数の事例が存在することからもわかるように、憲法や教育基本法の趣旨と反する思想をもつ教員や学校長が教育勅語を使用し、所轄庁の発見や指導が遅れたり不十分となったりするケースは容易に想定される。その場合、子どもたちは、そのような教育が行われなければ実現されていたはずの成長を阻害されるという点で、多大な損害を被ることになる。
 これらの理由により、教育現場における教育勅語の不適切な使用に対しては、より実効ある防止策が求められる。
 それゆえ、我々は、過去の政府見解も踏まえ、「教育現場において、教育勅語の全体及び一部を、その歴史的な性格に対する批判的な認識を形成する指導を伴わずに使用することを認めない」という決然たる姿勢を政府に求めるとともに、教員・学校長・所轄庁のいずれもが、民主主義・国民主権・基本的人権と相対立する教育勅語の思想や価値観と決別することの必要性を、強く訴えるものである。
                           
2017年(平成29年)4月27日
教育研究者有志

2017/04/16

おんな城主直虎

E1484407667911_9577_1 なかなか視聴率はのびないけど、ボクは結構、はまってます。ベタなストーリーだけど、そこもいい。柴咲コウも文句なしなんだけどなあ。今週もよかった。


2017/04/03

北鎮記念館

17457342_1374602012600540_739374182 日本には、国立の戦争博物館はないのだけど、こんな形で、国立(?)戦争の記念館が存在するのか。形は自衛隊の広報施設なんだろうけど。展示は、日本陸軍の第7師団(だいひちしだん)の歴史そのもの。若手士官が解説してくれる。203高地の攻撃、ノモンハン、ガダルカナル、アッツ…。その歴史は、まさに日本陸軍の、自活調達、白兵のありようと一体で、かなり悲惨。そのことは隠さず、その誤りも、きちんと語る。だけど、アイヌの兵隊の話などは出てこない。やはり、ほんとうの影の部分は語らないということなのかな。もちろん、戦争そのものへの考え方は違うが、妙に納得させられるところもある。なによりも、単純な日本の戦争賛美ではないのが意外。そして、ここで、北海道の歴史の1面をいろいろ知ることができて、これは相当面白かったのは事実。とても貴重だった。


2017/03/26

昭和天皇の戦争―「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと

Photo 山田さんの新著。いいなあ。二〇一五年から刊行が進む『昭和天皇実録』は公式伝記だ。昭和天皇を論じるとき、避けて通れない戦争責任の問題を、著者は『実録』に書かれていないことを重視して解明する。他の史料と突き合わせながら、戦争拡大政策への天皇の同調や作戦への積極的発言などには言及していないことを明らかにする。また、天皇による各種観兵式の実態や軍部から頻繁になされる戦況上奏、大本営御前会議の開催回数など、『実録』によって明らかになる事実も少なくない。
 天皇は平和主義者だったというストーリでつくられた『実録』のあり方を批判しつつ、「大元帥」としてアジア太平洋戦争を指導・推進した天皇の実像を明らかにする。こうしたことが歴史から消されることへの警鐘の本となっている。


2017/03/21

強制収容所のバイオリニスト―ビルケナウ女性音楽隊員の回想

5169s7ykml_sx341_bo1204203200_ 著者のヘレナ・ドゥニチ‐ニヴィンスカさんは、1915年生まれのポーランド人。アウシュヴィッツ=ビルケナウに収容されたのはユダヤ人だけではなく、非ユダヤ系の人たちも、政治犯などが収容されていた。彼女は、自宅に反ナチス活動家を下宿させたことで、母親とともに逮捕された。アウシュヴィッツに移送された。ここが注目の1点目。
 アウシュヴィッツまでの彼女たちの道のりをみると、独ソの密約による支配がもたらしたものを痛感させられる。覇権主義的な国家がもたらしたものが何であったのかの歴史の証言者でもある。これが2点目。
 そして、アウシュヴィッツ=ビルケナウの女性音楽隊のこと。ナチスの収容所での音楽の役割などは、「収容所のマエストロ」のようなすぐれたドキュメンタリーもある。生きるための音楽ということはそうだけど、ここでは、囚人を送りだしたり、迎えたりするそういう音楽隊だ。もちろん、休日の音楽会、ときとして秘密の音楽会もあったわけだけど。だけど、音楽隊の人たちは、生きるには、良心の呵責に耐えて弾くほかなかったという体験だ。そして、そのため、戦後、多くの人はそのことを誰にも明かさなかった。そうした収容所での非人間的な体験や音楽隊の実態を、克明に記した回想録になっている。
 重い内容を問いかける。人間とは、人間にとって自由とは、人間の尊厳とは。その問いを忘れてはいけないなあ。


2017/03/20

肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師

 とにかくただただ、合掌。

肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師(毎日新聞)

 広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。
 軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所の理事長を務め、全国の被爆者への医療相談に取り組んだ。医師の立場から原爆被害の実態を伝えるため、欧米など海外約30カ国も訪問。各国の反核団体と連携して核兵器廃絶を訴えた。
 2000年代の原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、長年の臨床経験と海外の文献研究を基に証言。原爆投下後に広島・長崎に入った「入市被爆者」が、飛散した放射性物質を呼吸や飲食で体内に摂取し、「内部被ばく」を起こしてがんなどの原因になったと訴えた。国の認定手法の問題点を突き、原告勝訴の判決を引き出す力になった。
 09年に医療の第一線から退いた後も、各地で精力的に講演活動を展開。毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。

 肥田さんと言えば、広島であり、被ばくということだけど、もう一つの柱がある。陸軍から、戦後、厚生省に、国立国府台病院に勤めていて、全日本国立医療労働組合設立にかかわり、レッドパージで国立病院を解雇されている。そのテーマで、グラビアに登場していただいたこともある。ものすごい人生だなあ。ご冥福を祈るばかり。

2017/03/16

特集ワイド 「ウルトラセブン」放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影

特集ワイド 「ウルトラセブン」放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影(毎日新聞)

 主題歌冒頭の和音を聞くと、思わず「セブン、セブン、セブン!」と連呼したくなる中高年も多いだろう。「ウルトラセブン」の放映開始から今年で半世紀。日本特撮史に残るこのテレビ番組には、当時まだ米軍統治下にあった沖縄の複雑な状況がにじんでいたことをご存じだろうか。沖縄出身で、「セブン」のメイン脚本家の一人だった上原正三さん(80)に、当時と今の沖縄を語ってもらった。

織り込んだ「戦争」や「差別」/新たな「非武のヒーロー」作りたい

 砂ぼこりをまき散らして疾走するラリーカー。トランクの中には超高性能火薬「スパイナー」が積まれ、ウルトラ警備隊のダン隊員、アマギ隊員が地球防衛軍の実験場まで運ぶ任にあたる。コース上では地雷が爆発、オートバイに乗った人間爆弾が襲撃してくる--。
 上原さんが脚本を書いた「700キロを突っ走れ!」(1968年)は、72年の沖縄本土復帰前、統治機構として住民の生活を覆う米軍の存在がヒントになった。「さまざまな武器や爆発物を積んだ米軍車両が市街地を行き交うのは、沖縄ではごく当たり前の光景だった。いつどこに何が運び込まれるのか、われわれ住民には一切知らされない中で、日常がひっくり返りかねない怖さを常に感じていた」
 神奈川県内の行きつけの喫茶店でインタビューに応じてくれた上原さんは、最も印象に残る「セブン」の脚本を尋ねると、真っ先にこの回を挙げた。当時のTBSプロデューサーから「沖縄の人でなければ書けない」と評価されたという。
 ブラウン管の向こうでウルトラ警備隊が守っていた危うい日常は、放送の翌69年7月、沖縄の現実とつながる。米軍の知花弾薬庫(現沖縄市)で毒ガスが漏れ出し、米軍兵士ら20人以上が治療を受ける事故が発生。ひそかに貯蔵されていた物質にはサリンやVXガスも含まれていた。「沖縄では今も、米軍が生活の場からフェンスひとつ隔てた場所で存在する。その存在が、日常の平和を壊す危険をはらんでいる現実は、復帰前も今も変わらない」と静かに語った。…

 ウルトラマン、ウルトラセブンと沖縄の金城哲夫や上原正三のことを知ったのは、前にも書いたけど、NHKのドラマ、「私が愛したウルトラセブン」が最初だよなあ。世代的には、2回りもちがうもの。復帰前の、沖縄戦と地続きの米軍施政下の苦難を正面から背負っていた世代なんだろうあ。とくに金城は、そこからの脱出すべをみつけられうに、自己破壊的になってしまった感もあるのだけど。でも、ボクガなぜ、ウルトラセブンなどが大好きで、そこから何を吸収していたのかも、いろいろよくわかるというか、考えさせられるのではあるのだ。

2017/03/02

ある看護専門学校で

 今日は、午前中、ある専門学校の、地域フィールドという、学生たちがフォールドワークをして学んだことの発表の会に行ってきた。ちょっとだけお手伝いをしたこともあって。食料、町工場、アスベスト、雇用と社会保障、原発、平和、教育などのグループにわかれ、それぞれ7人ぐらい。何カ所かに出かけ、話を聞き、いろいろしらべて、討論しながら180ページにおよぶレポートにしあげる。それぞれ学びに行く場所も講師も文献も工夫されている。先生たちがしっかり考えて、そして学生たちも必死でがんばって。報告には圧倒されました! こういう学びが、若いころにちゃんとできるっていうのはすごくいいなあ。現場にでて、さまざまな問題に直面した時に、きっと、支えになる、そのきっかけになる学びなんだと思うなあ。とってもいい経験ができました。

2017/02/26

ただ涙を流すのではなく “分断する世界”とアウシュビッツ

 BS1スペシャル。

C5fzadovuaacouf 100万人を超えるユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所。その悲劇を伝え続けているのが、世界各国出身のガイドたちだ。今、ガイドたちは、大きな危機感を抱いている。移民や難民をめぐり広がる排斥の声。世界が分断を深める中で、自分たちは何を伝えるべきなのか。ただひとりの日本人ガイド・中谷剛さんも語るべき言葉に悩んでいる。揺れるアウシュビッツのひと冬を追った。ナレーションは俳優・東出昌大。

 涙をながすだけではなく、考えてほしい――その重い言葉を反芻しながら見て。排外主義的な感情や空気が広がるなかで、悩みながら伝える、日本人ガイドを追う。
 日本で、ボクらが加害について考えるとき。まず、被害者が、生きた1人の人間だったことからはじまる。そして、その痛みや悲しみに共感する。しかし、被害者が去り、時代が変化する中で、必要なのは、その事実を普遍化し、抽象化すること。しかし、いまの時代の流れのなかで、それでどこまで伝えていくことができるのか。そういう揺れと悩みのなかに彼もまたいる。それはまた、ボクらにつきつけられて大きな課題である。とりわけ、日本は、戦争体験に依拠しすぎてきたところがあるのかもしれない。一方で、歴史の事実を逆手に愛国に動員することは、イスラエルでも中国でもおこなわれているし、日本でも形を変えながら、突き付けられる課題でもあろう。
 うーん。重いなあ。それでも、こうしたいろいろな努力の蓄積をしっかり学びながら、考えていかなければいけないとも思うなあ。

2017/02/22

強制収容所のマエストロたち

 昨日のBS1のドキュメント。これがなかなかすごかった。

1 チスの強制収容所で死亡した音楽家たちが作った歌や楽曲を発掘してきたイタリア人指揮者のフランチェスコ。遺族や収容所跡を訪ね、死を目前に音楽に託した想いを蘇らせる。
 14万以上のユダヤ人が送り込まれたチェコのテレジン収容所では、多くの音楽家が犠牲となった。凍てつく寒さの中、命の灯火が消えるまで曲を書き続けた作曲家もいる。またスロバキアでは、収容所での過酷な日々や家族への思いが代々歌い継がれている。フランチェスコは死と隣り合わせの極限状態の中で生まれた美しい楽曲を収集してきた。その音楽を演奏することで、曲に込められた音楽家たちの想い、平和への願いを現代に伝える。

 ナチスや、そして日本軍の捕虜収容所、アメリカにおける日本人収容所などの場で、過酷な環境のもとでも、音楽を愛し、そして音楽に励まされ、生き抜いた人たち。そこに残された曲、収容所のなかでつくられた曲を追い、蘇らせる。そういう音楽家のとりくみを描いたもの。いや、こういう歴史は、ボクはあまり知らなかった。これは、ものすごく面白く、もっと知りたいと思った。こうしたことについて書かれた本などはあるのだろうか?知っている人がいれば教えてください!


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