読書

2017/04/18

共謀罪vs国民の自由―監視社会と暴走する権力

100000009002777412_10204 いよいよ本格的審議がはじまった共謀罪。のっけから、法相は、とんでも発言を繰り返している。そもそも、自分の発言が、憲法というか、人権についての普通の感覚からして、とんでもない発言をしているということの自覚がない。そこにもこの法案の問題がうきぼりになっているのだと思う。まったく嘘だらけ、それは、「テロ対策」「オリンピックのため」ということそのものが、ありもしない口実であることからはじまる。しかし、そこでおこなわれるのは近代刑法の原則そのものを捨て去り、「内心の自由」、言論の自由、民主主義を破壊するというものなんだから。そこには、人権だとか、その原点にある戦争への反省という憲法そのものをふみにじる国民観、憲法観が透けて見えたりもするのだ。そして、それがつくりだすのが監視社会だ。そうした問題点を明らかにしながら、戦前の治安維持法の教訓、対テロ戦争なるものがもたらしたもの、そして、この間、どのようなたたかいが「共謀罪」導入をはばんできたのかなどをふりかえる。緊急につくられた、運動のための一冊である。


2017/04/10

アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで

51ymrrb4r4l_sx336_bo1204203200_ だいぶ、世代が下の後輩くんの本。おもしろかった。アメリカの教育の本は、何冊か読んだりもするわけだけど、読むたびに驚かされる。とりわけ、近年のアメリカの教育の変化は、際立っているだけに。格差と貧困の広がりの中で、新自由主義的な教育改革が公教育、学校というものをどのように変質させているのかというのが1つのポイント。そして、もう1つのポイントは、インクルーシブ教育。いずれにしても、アメリカと日本の教育をとりまく大きな違いというものをきちんと踏まえながら議論されているので、よく考えさせられる。いずれにしろ一方で、アメリカは障がい者差別禁止の先進国でもある。そこでのインクルーシブ教育だけど、これまた単純ではない。多様さのなかで一人ひとりにどうかかわるのか、それが教育といういとなみのなかで、仲間とのつながりをどうつくっていくのか、そのなかでの発達をどう考えていくのか。新自由主義ともからみながら、その陰の部分がうきぼりになるような事態があるもとで、別の道のインクルーシブ教育が紹介される。オルタ―ナチブな教育としての、流動的異年齢教育は、教育方法、教育課程というもののあり方も含め、そうとう考えさせられるのだ。学校の姿、競争や自己肯定感とのかんっ系のなかで。本人自身が、子どもとともに、深く学校に入り込んでの体験レポートは、ほんとうに貴重なものになっていると思うなあ。ほんと、面白かった。


2017/04/05

ビブリア古書堂の事件手帖7 ~栞子さんと果てない舞台~

51pqspuxnll_sx350_bo1204203200_ 最終巻。人気が出たために、無理して続けたという感じがあるので、ストーリーは、ずいぶん間延びしてしまって、ミステリーとしての切れがなくなってしまった感はあるけどね。まあ、それでも、ずっと、読んできたから、ハッピーエンドで、少しホッとしたり。もっと、厳しい展開にしないと、しまらないのだけどなあ。ははは。


2017/03/26

昭和天皇の戦争―「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと

Photo 山田さんの新著。いいなあ。二〇一五年から刊行が進む『昭和天皇実録』は公式伝記だ。昭和天皇を論じるとき、避けて通れない戦争責任の問題を、著者は『実録』に書かれていないことを重視して解明する。他の史料と突き合わせながら、戦争拡大政策への天皇の同調や作戦への積極的発言などには言及していないことを明らかにする。また、天皇による各種観兵式の実態や軍部から頻繁になされる戦況上奏、大本営御前会議の開催回数など、『実録』によって明らかになる事実も少なくない。
 天皇は平和主義者だったというストーリでつくられた『実録』のあり方を批判しつつ、「大元帥」としてアジア太平洋戦争を指導・推進した天皇の実像を明らかにする。こうしたことが歴史から消されることへの警鐘の本となっている。


2017/03/21

強制収容所のバイオリニスト―ビルケナウ女性音楽隊員の回想

5169s7ykml_sx341_bo1204203200_ 著者のヘレナ・ドゥニチ‐ニヴィンスカさんは、1915年生まれのポーランド人。アウシュヴィッツ=ビルケナウに収容されたのはユダヤ人だけではなく、非ユダヤ系の人たちも、政治犯などが収容されていた。彼女は、自宅に反ナチス活動家を下宿させたことで、母親とともに逮捕された。アウシュヴィッツに移送された。ここが注目の1点目。
 アウシュヴィッツまでの彼女たちの道のりをみると、独ソの密約による支配がもたらしたものを痛感させられる。覇権主義的な国家がもたらしたものが何であったのかの歴史の証言者でもある。これが2点目。
 そして、アウシュヴィッツ=ビルケナウの女性音楽隊のこと。ナチスの収容所での音楽の役割などは、「収容所のマエストロ」のようなすぐれたドキュメンタリーもある。生きるための音楽ということはそうだけど、ここでは、囚人を送りだしたり、迎えたりするそういう音楽隊だ。もちろん、休日の音楽会、ときとして秘密の音楽会もあったわけだけど。だけど、音楽隊の人たちは、生きるには、良心の呵責に耐えて弾くほかなかったという体験だ。そして、そのため、戦後、多くの人はそのことを誰にも明かさなかった。そうした収容所での非人間的な体験や音楽隊の実態を、克明に記した回想録になっている。
 重い内容を問いかける。人間とは、人間にとって自由とは、人間の尊厳とは。その問いを忘れてはいけないなあ。


2017/03/13

「奨学金」地獄

11 ここのところ、奨学金に関する新書が相次いで発刊されているが、本書は、とりわけその実態編。何が起こっているかというところから問題を浮き彫りにする。ボクらは、この間、ずっと、奨学金の問題を取り上げ続けてきたけど。だけど、やっぱり、この問題が生み出している歪みの大きさ、規模も質も、がどこれだけのものかということを考えさせられる。ほんとに、それがいまの社会の歪みをもっとも端的に、映し出しているということも言えるわけで。ほんとうに、何とかしなければいけないのだ。

2017/02/27

政府の憲法九条解釈─内閣法制局資料と解説(第2版)

281172 なるほどである。内閣法制局は『憲法関係答弁例集』なるものをつくっていて、そのうちの「第9条・憲法解釈関係」の部分について、解説を付してつくられた本だけど、第1版から第2版の間に、あの安保法制(戦争法)の強行がおこなわれたわけだ。今回、その『答弁例集』が大きく変わった。なにしろ、厚みがほぼ倍というものになっている。それほど、政府にとっても、この論戦の意味は大きかった。われわれは、憲法解釈の180度改変と批判するわけだけど、政府としての整合性をとるための答弁から、結局、論理として何が変わったのかがわかるようになっているということなのだと思う。「立憲主義の回復」ということが、掲げられるわけだから、こうした点について、しっかり考えたいわけで、なかなか貴重な本だと思う。


2017/02/19

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち

511uu24rjjl_sx337_bo1204203200_ 上間さんのはじめての単著。読み通すのが苦しかった。それぐらい当事者によりそった本。レイプやDV、暴力が支配する沖縄の夜の街で生き延びた少女たちの物語だ。もうボクには言葉がない。だけど、この本がすごいのは、その少女たちに寄り添うだけではなく、その少女たちの選択と、少女たちの生きざまへのなんというか、とてつもない信頼なのだ。彼女たちはそうして生きてきて、そうして生きていく。彼女たちは決して保護される対象ではない。支援ということの難しさと、そして研究と支援との距離感の難しさ。そういうものを含めて、突っ込んていった本。ボクも花街の出身だ。だぶん、著者そのものがいろいろな思いをないまぜに生きてきたんだろうなあ。ほかに評価を求め、だけどここに帰るしかないという複雑な思い…。いろいろ難しいことをいろいろ感がえる。いずれにしろ参りました。
 実は、上間さんのこうした仕事をどう見ているのか、高里さんに聞いてみたことがある。『セクシャリティ』でいっしょに登場していたから、上間さんの仕事を全部知らなくても、少しは読んだことがるだろうと思って。高里さんは、「甘いって」、きびしかった。それはそうなんだ。沖縄のこうした貧困、そして暴力の背景には、沖縄戦と戦後の米軍統治がある。花街ができた経過からもそうだ。だから、この本の登場人物も、もっと突っ込めば必ずそういう背景があるにちがいないから。だけど、同時に、その彼女の目線の先に米軍基地があるわけではない。ならば、まずその目線の先にあることからはじめ、聞き取らないといけないのだから。そんなことも考えた。
 沖縄に、上間さんに会いに行きたくなった。

生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

10 今日、赤旗で、薗部さんが書評を書いていた。それ以上のことはないんだけど。死者19人、重軽傷者27人。あの恐ろしい事件があって、もう7カ月がたつ。いまだボクは企画化できていない。やっぱり、冒頭の藤井さんと福島さんの文章が胸に迫る。「生きるに値しない命などない」。本書の執筆者の叫びだ。それをふみにじるような「障害者は生きていてもしかたがない」「安楽死させたほうがいい」という容疑者の言葉。そこで浮き彫りになった「優生思想」を、ボクらのうちなる意識にまで踏み込んで明らかにする。同時に、その背景を、新自由主義の進展にみる。そんもとでのヘイトスクラムと重なってくるのだ。いまの社会のありようを根源から問いかけている。
 この本のできる過程で、国会でおこなわれた集会もあった。発言のいくつかはそこからとられている。それだけに、この本は、意識的に、施設で生きるということのもう一つの側面を避けている感じがする。施設でいきる人。重度の障害ある人が生きるとは? そこに迫れているのか。それだけに、施設=差別という印象もうけてしまう。生活は社会が規定する。そこで、豊かに生きるには、施設で生きるということもこの社会ではありうるし、そこに生きる意味があることもありうる。そういう丁寧な議論も必要だと思うのだけど。


2017/02/10

キャスターという仕事

41gjbfogydl_sx307_bo1204203200_ 国谷さんは、ボクより1学年うえ(あっ、誕生日は相方と同じだ!)。同じ、大阪の出身。まあ、だいぶ育ちは違うにしても。彼女がクローズアップ現代をはじめたのが93年。ボクがいまの雑誌の仕事をはじめたのは91年。ほぼ同じ時代を、かなり性格が違うにしても、メディアの世界で見つめていた。それだけに、読んでいておもしろいし、自分のことをふり返りながら読む。キャスターと編集者はだいぶ性格がちがう。編集者は黒子、だけど、その分、企画立案からはじめる。最初から、最後まで。取材者ではないのは同じ、見識ある人、専門家を相手に、そこから引き出すというのも同じ。こちらは弱小雑誌だから、NHKの編集者と違って、1カ月20本、かなり広い分野を、手当たり次第に、必死で勉強して仕事をするのは同じだなあ。
 この20数年の政治や社会の変容は大きい。そこで感じていることで、共感できることは多い。国際社会への関心、雇用や経済のあり方の問題…。なによりも、社会が複雑化し、単純に問題を描けないということ。テレビ化、ネット化がすすみ、短い言葉でわかりやすくということの危険性という問題意識は、強く共感する。
 だけど、クローズアップ現代そのものは、なぜ、つっこまないのか、なんと中途半端なのかという批判的な視点で見ることの多かった番組でもある。それはたぶん、立ち位置が決定的に違うからだろうし、だけど、彼女の立ち位置での葛藤は理解もできるし、共感もできる。それは、たぶん、ジャーナリズムとは何か、メディアと民主主義の関係で問われていることは何かということで、彼女がぶれていないからだろう。
 やっぱり、ボクなんかと違い大物であり、才女である。だけど、小さいながらもボクにはボクなりの自負もある。それだけに、たくさんその彼女のジャーナリストとしての仕事ぶりと、生きざまから、学びたいと思うことも多いし、忸怩たる思いや後悔などからm、学びたいと思うのだ。
 それでも理屈っぽい、もっとわかりやすくという意見もでるだろうなあ。永遠の課題でもあるのだろうけど。


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