教育

2017/06/25

学術と学術体制のあり方を問う総合シンポジウム~学術研究の軍事利用を拒否する~平和・自由・自主・民主的であってこそ学術の発展がある~

19264672_1460057494054991_782524114 昨日は早朝仕事で、睡眠不足なので、今朝はギリギリまで眠っていたかったんだけど、結局起きちゃうんだよね。そんでもって、洗濯や掃除をして、それから地域の活動に。そして、午後は科学者会議のシンポに。内容的には、おさらいの話と、それから、益川節と、新しい情報を少し。いろいろな人とあいさつ。今月お世話になったIさん、少し前にお世話になった、Tさん、いつものOさん、久しぶりのHさん、何度かお世話になったMさんにもはじめて会った! それからあいさつしたかったSさんにもあいさつ。それなりに目的を達した。うまくいかなかったこともあるけどね。夕食は中華にして、食べ過ぎたああ。


高大接続問題を考える~すべての高校生・青年の学び・成長を保障する高校・大学教育を

 昨日の夜は、高校教育研究会の表題の研究会へ。報告者は、佐々木隆生さん(北海道大学名誉教授)。話を聞いていて、ほんとうに悲しいことになっている。やっていることは、ほとんどの高校生や若者とは無関係なもの。だけど、それで振り回されるのも彼ら彼女らだもの。しかも、こうした入試改革の最大の動機である、思考するエリートづくりも、それとは縁遠いものになろうとしているのだもの。なぜ、このような改革になるのか。もともと、改革にたいして、ちゃんとした理論づけというか、きちんと現状を総括してとりくまなかった文科省の問題のうえに、行革など、財政を理由に、政治優位を振りまわす政権の介入が合わさって、悲惨な結末を迎えようとしている。そこにh、若者の発達保障という視点は微塵もないのだもの。それでも、進むのか。
 いちばん大変なのは地方国立だろうなあ。旧帝大でもむずかしい自前の入試づくりもできないし。でも、相方のような地方の大学は、より地域に密着して、やってくる学生とともに歩むってことだろうなあ。

2017/06/21

教育勅語と道徳教育 ―なぜ、今なのか―

51r3kmyrnkl_sx350_bo1204203200__3  園児に暗唱させる幼稚園の出現に端を発した問題は、教育勅語を容認する閣議決定と政府の答弁へのすすんだ。しかし、その教育勅語にはいったい何が書かれているのかを読み解き、その危険性を告発する。そして教育勅語は、戦後の出発点、憲法・教育基本法の制定とともにきっぱり否定され、廃止された歴史も紹介。後半の、道徳教育では、大阪の「維新」による教育現場の実態もリアルに紹介しながら、その問題性を明らかにする。
 なによりも本書の魅力は、そのわかりやすさ。「変わった子」だった著者が教師となり、子どもたちをとことん信頼し、ともに成長しようという思いにあふれれている。「憲法が生きる学校に」という現場からの強い思いが伝わり、読者にも、共感をもってうけとめられるものになっている。


子どもの貧困、日本下位 先進41カ国、ユニセフ調査

 共同配信のこのニュース。1週間ほど前のものだけど、知らなかったなあ。もとの調査もまだ見つけられていない。

子どもの貧困、日本下位 先進41カ国、ユニセフ調査(東京新聞)

 国連児童基金(ユニセフ)は14日、先進国中心の経済協力開発機構(OECD)や欧州連合(EU)に加盟する41カ国の子どもの貧困や不平等の状況を順位付けした報告書を発表した。対象にした10分野のうち、日本は「貧困の撲滅」で23位、家庭の所得格差を比べた「不平等の削減」で32位と下位だった。
 日本は「飢餓の解消と栄養改善」や「働きがいのある人間らしい仕事」の分野でいずれも1位だが、相対的な貧困割合や所得格差に課題を残した。日本のデータを提供した首都大学東京の阿部彩教授は「特に底辺に属する子どもの状況が厳しいことが分かった」と指摘した。

 「飢餓の解消と栄養改善」「働きがいのある人間らしい仕事」が1位というのは、首をかしげるし、ほかの先進国が、すごくいいというわけではないのだろうしなあ。だけど、困難な状況にいる子どもたちへの施策が大きく遅れていることは、明白な現実だろうなあ。

 

2017/06/18

日本教育学会公開シンポジウム。「教育勅語を考える」

19143946_1452890941438313_39580959020170618_132031 朝、洗濯、掃除して、炊事して。たまっているから結構、時間がかかる。それからこのシンポに。報告は、まず、「政府の教育勅語容認答弁の問題点」=中嶋哲彦さん。政府の答弁で何を容認したのかという点について、①教育勅語をいろいろある指導原理の1つとして容認したことと、②教材として使用することを容認と分析。どうしても後者に注目が集まるが政府の答弁を見ると①の点があると指摘。その法的な問題点を、事実をおさえながら、展開。なるほどなあ、中嶋さんらしい押さえ方。ボクはきちんと読み込んでいないなあと、もう反省しきり。続いて、「1948年教育勅語排除・失効確認決議の意義」=三羽光彦さんは歴史の人らしく。そもそも、戦前も世界標準を政府は意識していたわけで、国家神道が宗教でないとしたように、教育勅語も法律ではなかったわけで、その失効をめぐってはいろいろな議論がなされるわけで…。そこからイデオロギー問題も展開、3本目は、「教育勅語と唱歌ー儀式による共存関係を中心に」=有本真紀さん。よく考えたらボクの母親の世代も、そういう教育をうけたわけで、それはとてもリアルな話だった。
 こういうところにきて話を聞いたり、議論を聞いたりすると、自分が全然つめて考えてないことを反省させられる。やっぱり議論しないとなあ、と同時に、もっと日常的につめて勉強しないと。とりわけ、国民統合をめぐる問題は、なかなかその背景や、何をめざしているのかが見えないだけに、ついあいまいにしてしまうところもあるしなあ。きちんとしないとなあ、とつくづく思うのだけど、なかなかできないなあ。

2017/06/17

第6回子どもの貧困対策情報交換会

19143774_1451970068197067_79254040419095665_1451938521533555_637217365 今日の午後は、ここ。内容は大田と沖縄。いろいろ考えた。とりわけ、3つの点。やっぱり、この実践と知恵はすごいなあ。報告だけではなく、議論を聞いていておもしろかった。2つめには、大田と沖縄というまったく条件のちがうところの報告(両極端といってい)を聞いて、いやおうなしに、国の役割を考えた。ナショナルミニマムというか、社会福祉における国の責任というか。そして、3つめに、南風原の実践の踏み込み。これは聞いていて、涙が出るほどすごかった。あとで課長さんと話したけど、これはどこでもできるって。たぶん、理念の力だな。そこが大事だとも思ったなあ。


センター試験後継、大学に波紋

 もりあがらないけど、結局は、社会全体が振り回されることになる。そして疲弊する。これもまた、文科省ではあるのだけどなあ。


センター試験後継、大学に波紋(朝日新聞)

 大学入試センター試験の後継となる「大学入学共通テスト」(仮称)が、大学に波紋を広げている。国立大学協会(会長=山極寿一・京都大総長)では、英語で民間試験を活用する文部科学省の実施方針案に賛否が割れ、日本私立大学連盟(会長=鎌田薫・早稲田大総長)も記述式の問題について懸念を表明している。
■英語、民間試験を活用 移行時期、意見割れる
 「英語の廃止についての意見は、全く割れた」
 14日、東京・神田の学士会館で開かれた国大協の総会で、入試委員長の片峰茂・長崎大学長が報告すると、出席していた学長たちからどよめきが起きた。
 文科省が打ち出している入試改革の大きな目玉は、英語で「読む・聞く・話す・書く」の4技能を測ることだ。このため、民間試験を活用する方針で、実施方針案では大学入試センターが作ってきた従来の「読む・聞く」の英語の問題について(1)新テスト開始時の2020年度から廃止し、民間試験に全面移行する(2)制度変更の影響に配慮して23年度まで残す――の2案を提示し、6月末までにどちらかを選ぶとしている。
 5月中旬の実施方針案の公表を受けて、国大協の入試委員会は、86国立大学のうち大学院大を除く82大学の意向を調査。(1)(2)に加え、(3)「大学入試センターによる英語の問題を23年度まで残すが、リスニングのみ20年度から廃止」の独自の選択肢も示した。その結果、(1)は34・1%(2)は29・3%(3)は18・3%といずれも過半数を満たさなかった。さらに「その他」も18・3%で完全に意見が分かれた。
 国大協は新テストについて基本方針の暫定案をとりまとめる予定だったが、「様々な意見、懸念、疑念が提出された」(片峰委員長)として断念。英語試験の廃止を現時点で決めることは「拙速」で、20年度の民間試験の活用状況を検証して判断すべきだという意見書をまとめるにとどめた。民間試験の内容が学習指導要領と合っているかや、受験生の経済的な負担の軽減策などについて文科省に説明を求める内容も含めた。
 総会でも、ある学長が「私学が使う気がないと、国立大だけが4技能試験をやることになる。やりたい方式を打ち出さないと」と発言した。しかし、別の学長は「20年度の新テスト実施は受けないという心づもりも含めて対応してほしい」と述べ、考え方の違いがにじんだ。
 総会では「4技能試験を国か入試センターが責任を持って作るのが本当かなと思う」と述べた片峰委員長も、記者会見では「50万人の受験生の4技能を測るには、民間試験を活用するしかないことは理解している」と語った。今後については「文科省に投げたボールにどんな答えが返ってくるか。着地点を早く見つけることで国大協は一致して改革に貢献できる」とした。
■国語・数学、記述式の導入 成績、提供遅れを懸念
 国大協は各国立大学へのアンケートで、文科省の実施方針案全体への意見も聞いた。回答欄には国語、数学で新たに導入される「記述式」の問題への懸念や、記述式問題の採点などに時間がかかることから文科省が「成績提供を、センター試験より1週間程度遅らせることを検討している」としていることについて、不安が並んだ。……

 内容面で、記事は、英語の試験と、記述式に注目する。また、私学が、「国語と数学の記述式問題については、難易度が高まると、多くの私立大が受験生の力を十分測れなくなる可能性を指摘し、作問や評価の工夫を求めた」と。これはなかなか、深刻な問題。ほんとうに、学生のためはもちろん、大学のためになるのか。ひいては社会にとってプラスになるの。混迷しているなあ。

2017/06/16

政府の「教育勅語使用否定せず」に17学会が反対声明

 まあ、当たり前っちゃそうだけど。きちんと、これは引き続き追いかけないといけないなあ。

政府の「教育勅語使用否定せず」に17学会が反対声明(NHKニュース)

教育勅語について、ことし4月に政府が「憲法や教育基本法に反しない形で授業で使用することは否定しない」と閣 議決定したことについて、教育の研究者で作る17の学会が反対する声明を出して、教育勅語の使用禁止を改めて確認するよう求めました。
 声明を出したのは教育学の専門家らで作る17の学会で、16日は日本教育学会の広田照幸会長ら5人が会見を開きました。
 教育勅語についてはことし4月、政府は「憲法や教育基本法に反しない形で授業で使用することは否定しない」と閣議決定しました。
 これについて声明では「政府は教育勅語には普遍的な価値が含まれており、憲法に反しないかぎり肯定的に扱うことも容認されるとしているが、戦前・戦中は国民を排外主義的、軍国主義的愛国心に導くことに使われた。肯定的に扱う余地は全くない」と指摘しています。
 そして「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とする日本国憲法とは相いれない」と述べて、批判的な歴史的資料として用いる場合を除き教育勅語の使用禁止を改めて確認するよう求めました。
 広田照幸会長は「教育勅語を容認するような政府の方針は学校現場を混乱させるもので、早期に撤回すべきだ」と話していました。

 これがたんに、単体であるのではなく、歴史の見直しと、教育への国家統制と一体になってあるということが大きな問題なわけで、それだけに、いろいろな論点をきちんと見ていかないといけないということなのだと、少し、反省。

2017/06/08

私たちのこれから #子どもたちの未来

 先週のNHKスペシャルは子どもの貧困。うーん。番組の途中で、チャンネルを変えた人が多かったんだろうなあ。

Thum_01 市民参加の討論番組「私たちのこれから」、今回は「子どもたちの未来」を取り上げる。「あなたは、自分の将来に明るい希望を持っていますか?」―― 日・米・英・韓国など7か国の若者を対象に、日本政府が行った意識調査によると、「明るい希望を持っている」と答えた日本の若者は62%。80%以上の他の国を大きく下回った。こうした状況に大きな影を落としているのが、6人に1人の子どもが相対的貧困の状態に置かれている問題。この状況を放置すれば、子どもの教育や成長に著しい影響を及ぼすだけでなく、社会全体にも大きな損失を及ぼすという試算もある。一方で、海外の研究では、解決の秘策が幼少期からの「早期介入」にあることもわかってきていて、日本でも幼少期の支援を充実させる方策が議論され始めている。日本が、すべての子どもたちが未来に可能性と明るい希望を持てる「公正な社会」であるために、「貧困の連鎖」をどう断ち切るか。番組では、専門家・市民による徹底討論、そして生放送での視聴者の声を交え、今打つべき対策を具体的に探っていく。

 実態編はこれまでのおさらいのような話で、あまり深めたような話はない。ではどうするのか、の対処編は、やたらと「公平」ということが強調される。貧困な子どもへの支出が増えれば、消費税も公平な負担だということまで、主張されてしまう。いつのまにか、そういう議論が強まり、税の再配分、累進課税という問題が、明らかに骨抜きにされているのは注意が必要だなあ。加えての実践編は、ジェームズ・J・ヘックマン。ノーベル賞経済学者だけど、こちらもその公平性。幼児期の教育の重要性に注目するのは、大事なことだけど、幼児教育の制度も、社会的な環境もちがう日本とアメリカで、そのまま議論を持ち込むのはどうなのだろうか。ヘックマンの議論への疑問は、山野良一さんが、『岩波講座 教育 変革への展望3』で書いていたので、ぜひそちらを。しかも番組の解説は、竹中さんの弟子の、中室さん。エビデンスを掲げ、『「学力」の経済学』で売れた人ね。いつのまにか、この言葉も、恣意的に、経済的に強い人の意のままに使われていく感じがするなあ。というわけで、子どもの貧困に向き合うということからすれば、かなりしんどい議論になっていく。「私たちのこれから」は、これが最後だった。うーん。何という幕切れなのかなあ。

2017/06/04

シンポジウム・貧困と特別ニーズ教育

18891490_1437249289669145_292772090 今日はちょっと問題意識があり、このシンポに行ってきた。SNE学会の中間集会。そもそも教育の場ではなかなか貧困は語られない。子どもの貧困の集会でも、学校関係者はほとんど参加がない。だけど、子どもの貧困対策法などのフレームは、学校がプラットホームと位置付けられている。では、この課題を教育の側がどう引き受けるのか。大綱で書かれていることは、メニューとしては、生活困窮者支援法によっていて、それが羅列されている、だけど、それを学校でどう引き受けるのか。『現代思想』で山野さんは、対策が教育に偏重していないかと問題提起されていたが、それをどう考えるのか。
 学会のシンポなので、運動より外側の人の議論とうのもちょっと興味があった。シンポジストは、SSW、保健室、通常学校、支援学校となかなかの人選。報告のそれはそれで、なかなかいろいろ考えさせられる。それを学校というところに流し込んで、政策的課題ということで、いろいろ設計図を考えると、とたんに息苦しくなる。それはなぜなのか。うーん。たぶん、いまの学校のありようとなかで議論を組み立てると、とたんに子どもが不在になる。親が入れなくなる。そんなことを考えさせられた議論だったのが、ちょっと発見でもある。そして、ここから、よく考えなければならない問題が見えてくる感じもする。学校というユニバーサルな場で、一人一人の子どもの発達や経済的困難に即した支援をどう組み立ているのか。それがなかなか難しいことをどう変えていくのか?そのための議論や合意はどうなっていくのか??
 結構、難しいなあ。シンポは議論で、ぐっと絞られていくというのではなく、むしろ、手探りの議論。それそのものが、たぶん教育の側の手探り差のすがたなのだろうなとも思った。そういう問題意識がむくむくと。関係者の議論にとどまらず、学会という枠組みで議論に取り組んでいるところが、大事な点だと思う。続きの本大会も行こうかな。
 


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