「スパイ 機密と監視の境界で」
今日は移動日。朝、なかなか動けない自分を感じながら、もしかしたら、こんな感じは、ずっとあったりなかったりんおかなあと思ったり。その頻度が強くなっているのはそうだけど。こんなもんなんだ、それにあわせて生きていくしかないんだとおもうことが大事だとおもったりして。まあ、気楽に行きましょう。だけどね、もう疲れたってなったら全体ダメなんだと思う。疲れはしかたながいと思いつつ、そこは強い気持ちで、やることは、少しずつでもやると、ならなきゃって思ったり。まだまだ、がんばらないといけないし、がんばれるんだしね。
資料もボチボチ読む。取材先への移動は、結構長い。この地に来るもの、これが最後かなあなどとも思いながら、しっかりやる決意で。
出張先では、人と会う用事がなければ、夜の食事は一人。外食の文化はあまりもっていないので、コンビニが多いなあ。ご当地ものを買ってきて、夕食。ついでに久しぶりにご当地のお酒。
「スパイ 機密と監視の境界で」を見て、あまりにものくだらなさに、腰を抜かす。取りあげられているロシアや中国の手法も、いわゆる古典的なもので、そんなもの日本でも以前から散々、警察などがおこなってきたものだし、おそらく日本も海外で情報収集の名でおこなっていることではないかとか。ちょっと考えてみてほしい。ボクらは警察によるスパイ工作をどれだけ経験し、目の当たりにしてきたか。そんなことおかまいなしに、中国とロシアのスパイの危険をあおる煽る。日本の権力がおこなっているのは、スパイに対抗するための情報収集で、国内にかぎられていたり、スパイ防止法なども含め、監視社会が懸念されるが、もちろんその点は大事だが、同時に、監視に国民が動員されていくような社会になること。同時に、情報戦はさらに高度化されていき、それを政府・官邸が独占する国家になっていくのだけど、そういう視点はまるでない、お気楽な分析。安全保障の名のもとに、国家・官邸が情報を独占する社会を想像してみればいい。同時に、安全保障を名目に国家間で競い合えば、この面でも際限のないものになっていき、危機と緊張はいっそう激化する。権力の動きを第三者機関で監視と言うのは、大事な視点であることは否定しないが、安全保障を名目に行われれる以上、それでは抑えきれない面も大きいとも思う。そういうことも含め、のんきに考えてはいられない課題ではあるのだとは思う。















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