音楽

2024/05/15

辺野古の抗告訴訟、住民の原告適格認める 福岡高裁 と 「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」

 今日は、まだまだ体調のこともあるので、通勤時間の負担を省くために自宅で仕事。インタビュー③の起こし作業から原稿づくりを猛スピードですすめる。明日には原稿の形をつくりきって、明後日には仕上げをして、何とか日程どおりという感じが。ほんとうに、猛スピードで進行させている。ほかには、今月追加の原稿をどう着地できるのかの相談、それから来月以降の企画の相談も……。いろいろな困難も多い。しかし、とにかく、編集が安定するまでは、下から支えないと。

 さて、ビッグニュースが入ってくる。

辺野古の抗告訴訟、住民の原告適格認める 福岡高裁 住民訴訟で初めて 那覇地裁に差し戻し 沖縄(琉球新報)
 沖縄県名護市辺野古の新基地建設工事で、県による埋め立て承認の撤回を取り消した国土交通相の裁決が違法だとして、辺野古周辺に住む市民4人が国に裁決の取り消しを求めた抗告訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部(三浦隆志裁判長)は15日、原告の訴えを認め、「原告適格がない」などとして原告の訴えを却下した那覇地裁の判決を破棄した。住民4人の原告適格を認めた上で、審理を一審那覇地裁に差し戻した。辺野古新基地建設工事を巡る一連の住民訴訟の判決で原告適格を認めるのは初めて。

 三浦裁判長は判決理由で、原告側が訴えていた新基地建設に伴う騒音などの被害について「著しい被害を受けるおそれがある」と判示した。……

 ようやくこじ開けたね! 住民訴訟で意見書を書いた方に、インタビューをしたこともあるので、とてもうれしい。これまで、とにかく原告適格を認めず、門前払い。辺野古の裁判は多くは門前払いだから、新基地建設に伴う騒音などの被害について「著しい被害を受けるおそれがある」と踏み込んだ意味は大きいし、これぞ住民訴訟だね。公害関連の裁判も、これまでは住民訴訟が中心だったのだもの!!!今後も注目していきたい。

 あと、おくればせながら「映像の世紀バタフライエフェクト 奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」を見た。

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20世紀最高の歌と評される名曲「奇妙な果実」。木につるされた黒人の遺体を果実に見立てたこの歌は、1939年、伝説の黒人ジャズシンガー、ビリー・ホリデイによって発表された。差別が根強いこの時代に、黒人自らが人種差別を告発するなど前代未聞だった。破滅と引き換えに歌い続けたビリーの怒りと悲しみは、時空を越え人々に受け継がれていく。公民権運動、ブラックライブズマター。「奇妙な果実」は世界をどう変えたのか。

 こちらもブラックライブズマターのときに企画化したし、若いころ『奇妙な果実』とビリー・ホリデーについての本は読んだことがあったので、知っている話も多かったけれども、ぐっときた。ビリーの破滅は苦しかった。しかし、ボブ・ディランにつながり、クック・サムからバラク・オバマ、そして、ジョージ・フロイド事件へのつながりは、ぞくぞくさせられた。差別や不条理は今なお続く。いま、世界でも、日本でもおこっていることと決して無関係ではない。だから、ビリーの最後の言葉が胸につきささる。怒りと悲しみが前面に出ていて、それはそれでそうだろうけれども、思想的な歩みみたいなものも知っていきたい感じはする。それが、いまのアメリカのZ世代の動きにどうかかわるとか。アメリカのことも、もっと知りたいよなあ。



2022/11/24

籠城2日目は

 籠城2日目は、事情があって、ちょっと変則に。コツコツと仕事することを言い聞かせる。いろいろあっても、ほんとに無心にコツコツ仕事ができればいいなあ。邪念が多すぎるというか、妬みや怒りが渦巻いてしまうものだからなあ。

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 劇的なドイツ戦から1日。ワールドカップについていろいろな議論が散見される。もともと、スタジアム建設に際して、移民の権利が認められていないカタールではたくさんの人が亡くなったとかもあり、ボイコット運動もおこっていた。LGBTQ+の権利が守られていないなどの人権問題もずっと指摘されていて、ドイツ代表は、昨日の試合の前にもパフォーマンスをおこなった。予選の段階からドイツ代表は、この種のパフォーマンスをやっていて、注目されていた。いろいろ考えさせられるワールドカップとなっているけれど、イラン代表は、試合前に国歌を歌うことを拒否したり、やってくれるのである。いろいろな形でのアジア勢の奮闘は、また一つの歴史にもなっている感じはする。

 ながらで、参議院議員会館でおこなわれていた、原発被害者の会の集会をyoutubeで視聴した。熱気に満ちた集会だった。6月の最高裁のなんとも酷い判決をどう覆すのか、決してあきらめずにたたかっているすばらしい人たちの話を聞くと、ほんとうに自分は何をやっているのかなあと、反省させられる。ほんとうに、自分に何ができるのか、もっと心も体も入れて、無心に真剣に考えたいものだ。

 Hさんが、桑田の新しいアルバムを買ったとFBで書いていたので、ボクも、いま、ストリーミングで聴いている。

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 昔、「闇の子供たち」を見たとき聞いた主題歌の「現代東京奇譚」を久しぶりに聞けてうれしい。強い告発の映画だったが、映画が衝撃的で、映画館を出た後にはハプニングも。そのときの思いは持ち続けているだろうか。まだまだ、がんばんなきゃ。

2022/05/26

「OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル」

 籠城明けの職場での仕事。インタビュー①の映像資料を見て、インタビュー項目の相談。場所も相談して、オンラインに。40年ぶりの母校(学部)?訪問ならず(笑)。実務作業もする。でもやっぱり、明けは眠いなあ。


 なかなか、その次がうかばない。来月座談会①も、なかなか設定にすすまない。もっと、行動的にならないと。


 録画してあった、Nスぺをみた。「OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル」。ラストのAwichがすごくせまってくる。


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 たしかに、沖縄の音楽は、いつも自分の横にあった。70年代の紫からはじまって。



沖縄の本土復帰から50年。時代を彩ったヒットソングから半世紀をたどる異色のミュージックドキュメンタリー。70年代の「コザ・ロック」。90年代以降音楽シーンを塗り替えた「アクターズスクール」。「花」の世界的ヒットが象徴する「島唄」の普遍性…。そして令和の今、若い世代を熱狂させるヒップホップの女王・Awich。歌が生まれた知られざる舞台裏、聴く人の心を魅了する源泉をアーティストたちの貴重な証言でつづる



 沖縄の音楽の歴史とからむ、「基地」と「貧困」、そこで生きる人の生き抜くことへの「強さ」と「したたかさ」。


 この歌は、ほんとに涙が出た。


 


2017/03/21

強制収容所のバイオリニスト―ビルケナウ女性音楽隊員の回想

5169s7ykml_sx341_bo1204203200_ 著者のヘレナ・ドゥニチ‐ニヴィンスカさんは、1915年生まれのポーランド人。アウシュヴィッツ=ビルケナウに収容されたのはユダヤ人だけではなく、非ユダヤ系の人たちも、政治犯などが収容されていた。彼女は、自宅に反ナチス活動家を下宿させたことで、母親とともに逮捕された。アウシュヴィッツに移送された。ここが注目の1点目。
 アウシュヴィッツまでの彼女たちの道のりをみると、独ソの密約による支配がもたらしたものを痛感させられる。覇権主義的な国家がもたらしたものが何であったのかの歴史の証言者でもある。これが2点目。
 そして、アウシュヴィッツ=ビルケナウの女性音楽隊のこと。ナチスの収容所での音楽の役割などは、「収容所のマエストロ」のようなすぐれたドキュメンタリーもある。生きるための音楽ということはそうだけど、ここでは、囚人を送りだしたり、迎えたりするそういう音楽隊だ。もちろん、休日の音楽会、ときとして秘密の音楽会もあったわけだけど。だけど、音楽隊の人たちは、生きるには、良心の呵責に耐えて弾くほかなかったという体験だ。そして、そのため、戦後、多くの人はそのことを誰にも明かさなかった。そうした収容所での非人間的な体験や音楽隊の実態を、克明に記した回想録になっている。
 重い内容を問いかける。人間とは、人間にとって自由とは、人間の尊厳とは。その問いを忘れてはいけないなあ。


2011/09/30

居場所の社会学 生きづらさを超えて

51y06nqqx9l_sl160_ バイク便ライダーで有名になった阿部さんの新著。「居場所」を論じたもので、この居場所っていうのも、なかなかその定義からして難しい。だけど、論じていることは、そんなに極論ではない。むしろ現場ではあたりまえのように語られていることであったりする。
 いまの時代は、さまざまな問題が個別の個人的な問題として表出する。それをどう考えるのかは、やっぱり個別の問題への検討を通してこそはじめて可能になる。そういう意味で、個別の問題に徹底してつきあおうとするそういう姿勢は、こうした社会学的な検討から学ぶべきだと思う。しかも、阿部さんの文章は、社会的に批判的な視線もある。
 だけど、そういう分析は、やっぱりある側面についての分析にとどまっていて、その問題は、社会的にはどういう位置にあるのか、そういう社会全体の構造のなかでどうとらえるべきなのかなどはやっぱり不満でもある。だけど、やっかいなのは、その当事者にとって、社会全体のなかで問題をとらえるということはとても難しいことだ。それは、ある種の答えをもちこんで、議論することは容易だけど、それでは心に響かない。そういう意味では、個別の問題からの議論を、一つひとつ積み重ねるなかで、そういう社会への認識をいっしょになって深めていくということしかないのだろうなあ。そういうことも考えさせられる。具体的な居場所の問題は、まあ、横に置いて置くけれども。
 あと、Jポップの歌詞の分析の対談はおもしろかった。80年代に青年向けの雑誌をやっていたときに、当時のいまでいうJポップ(なんて呼んでいたのかなあ)の歌詞の分析なってやったことあったなあ。あまり、ちゃんと歌詞までチェックしていなかった最近の歌をまじめに読んでみるのもなかなかおもしろかった次第。

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2011/05/26

徹底検証 日本の軍歌 戦争の時代と音楽

1106026742  最近は、結構、軍歌にかかわる本の出版が相次いでいるし、その何冊かをこの数年の間に読んでいる。結構、労作が多い。
 ボクの子どものころは、駅前には、傷痍軍人と名乗る人が物乞いをしていた時代だ。今では、右翼の街宣車から流れるときぐらいしか耳にしなくなった軍歌だが、一昔前までは、宴席などでは日常的に聞かれた日本人にとって、とても馴染み深いものでもあった。では、その軍歌とは、いつ、どのようにして生まれ、定着したのか。この本のいちばんの特徴は、軍歌を、歴史の全体のなかで、ていねいにとらえないそうというところ。
 必ずしも一次資料によるものではない著作ではあるけれど、もう1つ、歴史家ではなく、音楽評論家である著者ならではの視点から、なぜ、軍歌のなかには「戦友」のような厭世観を増幅させるようなものが存在するのか、軍歌というのもの特徴を明らかにする。こうして、幕末から日清・日露戦争、第二次世界大戦の敗戦にいたる軍歌の歴史とその特徴とはどんなものえだったのかを丁寧にひも解いている。
 たしかに、音楽を侵略戦争遂行のための精神的支柱として活用するため、軍歌はつくられ、実際にその役割を果たした。同時に、軍歌の歴史は、西洋音楽を受容する歴史とかさなる。だから、その歴史は、日本の近代とは何だったのかをも考えさせてくれると考えさせられるのだ。

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2005/08/01

元ちとせの「死んだ女の子」

 奄美の島唄と言えば元ちとせ? 私は彼女の唄が大好きで、何枚かのCDももっています。結婚して、出産して、しばらく、姿を見せなかった彼女ですが、今月5日のTBS系「NEWS23」に出演するそうです。

 彼女のホームページによると、元ちとせが歌唱するのは「死んだ女の子」。「死んだ女の子」は、トルコの社会派詩人=ナジム・ヒクメットの詩を、ロシア文学者=中本信幸氏が日本語に訳し、その訳詩を読んだ日本を代表する作曲家=外山雄三氏が作曲した名曲。原爆の悲惨と戦争に反対する切なる気持ちを、原爆の火に焼かれてしまった女の子に成り代わって歌った重いテーマの作品。坂本龍一氏がアレンジ・プロデュース。NYでのレコーディングを経て、TBS系NEWS23内において広島原爆ドーム前でのパフォーマンスへも参加することとなったそうです。

 私の知っている「死んだ女の子」は、木下航二の曲のもの。原爆許すまじの作者です。外山先生の手による、この作品もぜひ、聞いてみたいですね。いずれにしろ、いまから待ち遠しい番組です。

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