伊藤さんのデモについての論考
すっかり緑が深くなっています。そういう季節です。
月曜日に移動、その後4日間、長時間通勤で、さすがにバテています。職場に向かう道をトボトボ歩きながら、体力ないなあとつくづく感じます。ほんとになあ。
朝から昨日のインタビュー①の起こし・整理作業。たくさんしゃべってもらったので、ちょっと時間がかかるなあ。ほんとは、明日まででこの段階の作業をクリアしたかったけど、ちょっと難しそう。ひたすら頑張るしかないかあ。今日は会議もあり、トラブルもあり、いろいろしんどかったりもするが、とにかく、いろいろ考えたいなあ。精度をあげる。しかし、本を読む時間が今日もつくれなかった…。
世界の伊藤さんのデモについての論考を読む。この間の、伊藤さんのおしごとは、今度新書になったものも含め、学ばされることは多かったが、今度の論考はどうだろうか? これまでの分析を無理やり、いまの問題に押し込もうとしている感じの違和感があるところはある。それほど、現実は複雑だ。だけど、デモを揶揄する人たちも平和を願っているという指摘は、とてもよく考えなければいけない点。一方で、そういう人たちをひっぱる政治家は、大軍拡を批判しなかったり、さまざまな悪法に反対しない。だけど、それだけ、あいまいな平和言説は影響力をもっている。そのなかで、いわゆる平和勢力がほんとうに小さくなった下で、どのように大きな平和の塊をつくるのかというのは、大きな課題。左派の経済への関心の後退という指摘もよく考えたいところではあるのだけど。
皇室典範議論について、もう一言。これはまったく個人の見解としてだけど。皇室の数を増やす理由として、公務があげられる。だけど、憲法に規定された国事行為以外、いわゆる公的行為には法的根拠はないし、ましてや皇族のそうした行為には法的根拠はない。憲法が、天皇の活動に、きわめて厳しい制約をかけたことを考えると、そもそも、公的行為について、あらためて議論がなされるできではないかと、思ったりする。ボクは、個人的には憲法の規定に厳密にそうべきとは考えているのだけど。現上皇がつくった象徴的行為は、きわめてあいまいだし、肥大化し続けている。メディアに至っては、天皇の私的な活動(宮中祭祀)まで、天皇としての活動のように報道してしまっている始末。たしかに、天皇に政治的権能はなくなった。しかし、影響力はあるのだから、そのことをどう考えるのかはよく議論する必要はあるはずなのだけどね。個人的見解。そういうことも含めて、議論はなされるべきだけどなあ。
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