「悲しみのピーア 海底炭鉱で待つ183人」
久しぶりの青空。家族的責任を果たす日。とにかく、待つのが仕事。とりあえずは今日の責任は果たしたところ。無事、終わってほっとはしているけれども、まだまだ落ち着かないところ。
その役目が終わった後は、待っている時間もそうだけど、とにかく、資料を読む。そのなかでいろいろ考える。新自由主義の修正の展開。アベノミクスの継続・継承と飛躍。などなど。アベノミクスは、明確な経済理論というか、経済再生の姿を描けなかったものだったので、かなり下世話な経済政策がとられたという感じ。それがお友達経済だったわけで、その下世話さは引き継がれているような印象。だけど、手法的には同じでも、安全保障の名をまぶすことで、少しスケールを大きくしているのかとも思えてくる。いずれにしろ、そこには政治の末期的姿と、経済のゆきづまりしか見えてこないのだけれども。地方自治体がそういった修正新自由主義推進の役割を果たさせられようとしている現状を、住民の生活を守るものにどう組み替えていくのかがこれから問われていくということなのかなあとも思ったりする。
考えてみると、ことしも半分が終わった。その最後の日は沖縄の宮森小の事故の日でもある。今日は少し、沖縄とのやり取りもあった。そのほか、先の企画の相談もいくつか。また、企画化まで距離があるものばかりで、どう手を付けていくのか、自分のなかでなかなか整理もされないところ。あれこれ、あたふたとやっている感じ。
今日は国会で、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会が政府と交渉。引きあげらて遺骨を日韓両政府で鑑定を急いでいるという発言はあったが、調査には直接は乗り出す予定はないというのが返答。鑑定は急いでほしいが、なぜ、調査をしないのか。安全面で検討が必要ならば、その安全面での検討に乗り出すべきだ。そんな思いもあって、先日、山口放送で放映された「悲しみのピーア 海底炭鉱で待つ183人」を見た。とても、切なく、つらい番組でもある。だけど、長生炭鉱で戦争中の水没事故で朝鮮人を含む183人が亡くなったその遺骨の調査は、いろいろな困難があっても、一つ一つ解決してすすめるのが歴史的な責任でもあるはず。いろいろな人の思い、困難を前にした葛藤もあるだけに、何とか、前に進めてほしいもの。この日本社会が抱える歴史の責任はしっかり向き合いたい。北の地でもそれは同じ。














































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