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2026/05/08

「与那国・石垣・宮古・沖縄島の戦争準備に反対する集会」

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 北の国と東京では、ほんとに気温差が大きくて、なかなか体がついていけません。今日は久々の編集部に。電車にとって感じるのは、ほんとに東京っていうのは、どこまでも人が多いんだろうということ。北の国では、人とすれ違うのも少ないんだもの。

 今日は職場でひたすらインタビュー①の起こし整理・作業。まだはじまったばかり。明日が勝負だな。会議もあった。久しぶりの職場なので、居心地が悪い。ちょっと、掃除・整理をしたいなあ。

 

 先日訪れた、石垣・宮古・与那国ですすむ軍事基地化にかかわって、沖縄島・那覇市の県民広場で、 「与那国・石垣・宮古・沖縄島の戦争準備に反対する集会」が昨日、開かれたそうだ。沖縄島に加え、いずれも自衛隊配備が進む宮古島や石垣島、与那国島から参加した市民200人以上が「沖縄を再び戦場にしない」と島を越えて連帯。日本政府や米軍に対し、あらゆる戦争の準備を中止するよう訴えたそうだ。石垣は沖縄島から400キロ以上離れている。ほんとうに遠く離れているので、先島ですすんでいることに、沖縄島の人たちも必ずしも敏感ではない。しかし、沖縄島でのミサイル配備をふくめた、軍事強化と先島のそれは一体にすすんでいるだけに、こうしたとりくみはとても注目したいと思う。

 先島は、沖縄島と違い、地上戦は行われていない。それでも戦争マラリアの被害でたくさんの人が死んでいるし。戦争の傷跡はあちこちにある。たとえば与那国には軍神・大舛松市大尉の墓があり行ってきた。彼は、1943年1月、ガダルカナル島で戦死し、県人として初めて個人感状(戦時において並外れた戦功を挙げた軍人に対し、軍司令官や直属の部隊長から授与される賞状)が贈られ、天皇に戦地での功績が伝えられとして、軍神として祀られていく。その墓のとなりには、ひめゆり部隊の一員として亡くなった妹を祈念する碑もつくられていた。

 宮古には「高澤歌碑」というものが、「アリランの碑」のすぐ近くにあった。高澤義人さんは、補充兵として召集され、朝鮮と「北満」を経て衛生兵として宮古島に移駐し、遺体を焼くことを本務としていたそうだ。宮古は飢餓戦ともいわれ兵士の死因のほとんどが餓死だったそうだ。高澤さんは、戦後、不条理な戦争の実相を告発、平和の尊さを行動と短歌で訴え続けたそうだ。2005年に、宮古で戦争のあったことを記録にとどめ、反戦平和を誓い行動する記念碑にしようと、高澤義人「歌碑」が建立された。歌碑には、過酷な体験を包括的に表現している歌「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸焼きし宮古よ八月は地獄」(「朝日歌壇」第1席、近藤芳美選)が刻銘された。

 反戦への思いは先島も同じだ。そのたたかいに、歴史を学びながら連帯したいと思う。

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