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2025/08/20

応答にはならないかあ

 さて、何と15日ぶりの職場(苦笑)。まずは、机の上にたまったものの整理から。そして、通常モード。いつになれば、夏休みがとれるのか? ことしは完全の旅行や休息はなしだなあ。家でボーっとする時間を少しは……。

 仕事の方は、とにかく追い込み。当初予定していた雑誌とはだいぶ違うものになりそう。ここのところ、個々の企画は、かなりがんばっているのだけど、全体の雑誌の作り方が思うようにいかない感じ。難しいなあ。

 いろいろあった「つどい」。ある人への応答を意識して、ちょっと書いていきたい。問題になったのは、若い人へのベテランの応答のあり方と、超ベテランの若い人への問いかけのありかた。そのことへの若い人の苦痛、痛み、悩み、なんというか、そのしんどさやうまく対応できないことへのいらだちと、そういうなかでも組合で何をどう実現していくのかの悩み。そうだよなあ、言っている通りだよなあと、つくづく思う。

 そのことをとおして思い出したことがある。以前、やはり教育研究の場で、超ベテランの人のお説教的発言が問題になった時、ボクは、T先生といっしょに老人期のあり方について追及する企画をやったことがある。老人期とは何なのか、エリクソンの老人期についての論考を参考にしながら、老人期の「発達」を、その際の自身の人生の「再経験」と、そこでも若のもとの対話をとおして考えるという趣向。あらためて、老人期というものへの自覚と探求を、ボクら以上の世代はよくよく考えたいもの。

 ぞくっぽく言えば、「つどい」のような現場では、そのこたえは若い人のレポートのなかにこそある。そこでの対話への探求、そこに自身の人生の「再経験」を重ねること以外にない。そのようにレポートを読めなければ、まずなぜ読めないのか、そのことを考えるべきだ。その思考こそ、老人のあるべき姿ではないのかなあ。一つは、そのことをあらためて考えた。

 

 その際、若者の悩みはどうなのるか。おいてかれるようなあ。だけど、その悩みも、苦痛も、うまくできないいらだちも、ボクもすぐうだうだと悩んでしまう人間だけど、それは「つどい」のような場で話していると、決して、個人でどうのこうのできることではなく、つどいでの出会いを通してこそ、解決したり次の一歩にふみ出せるということ。そのある人が、そういう出会いと、仲間のなかで、つぎの一歩を踏み出していくことを願うばかり。

 ひさしぶりに、エリクソンなんか考えた。世代の役割もあらためて考えた。世代間というものが、客観的に難しい時代だからこそ、老人期のわれわれの自覚はためされるとつくづく思ったりする。50代への期待も考えたりもする。

 そして、最後には、そこに現実ある、さまざまな、理不尽への怒りや、さまざまな思いについて考える。

 

 

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