平和の詩「おばあちゃんの歌」 戦後80年の沖縄慰霊の日
工場籠城1日目。今日も暑そう。
朝から、自分のゲラで精いっぱい状況。3時ごろに、ほかのことにもやっと手がまわるようになる。なかなか、つらいところ。
都議選の結果が出た。やっぱり悔しい。減らしたくはない議席。だけど、当初、予想されていたことから考えると、踏みとどまったとも言えなくはない。とくに、2人区、3人区の奮闘。一方で、野党共闘は機能している。おたがいの競い合いという形ですすんだ、4人区、5人区が厳しい。そういう結果。
感想としては、小池与党の強さ。ここに突き刺さり、東京を変えようということが世論にはならなかった。立憲はふやしたが、その分共産が減ったという感じ。自民党は減ったけど、その右部分が賛成に行き、それ以外が、都ふぁや国民に。ある意味わかりやすさ。だけど、そういう新自由主義的な保守の強さ。いわゆるリベラルもそこに引っ張られるのか。
慰霊の日。国連事務次長の中泉さんや、被団協の参加。知事からも心のこもった平和への強い思いの宣言。
やっぱり詩の朗読には涙。
【全文】平和の詩「おばあちゃんの歌」 戦後80年の沖縄慰霊の日
「おばあちゃんの歌」 豊見城市立伊良波小6年・城間一歩輝(いぶき)さん
毎年、ぼくと弟は慰霊の日におばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせウートートーをする
◇
一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入って いましょう防空壕(ごう)」
五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに
◇
一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」
泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦の時に死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった
沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった
おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず
防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった
手榴弾(しゅりゅうだん)を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった
でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた
◇
五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った
◇
八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繫(つな)いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく
一方で、石破さんの式辞。ぞっとする。「私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたものです」と、犠牲をねじまげて美化する。そこには、政治の、軍の責任はまったくみえてこない。反省も、総括もなく、その後の政治のとりくみは、そのうえにあるとだけ言う。ほんとうに恐ろしい。軍の論理のうえに立つ政治……。
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