たちどまっちゃいけないなあ。
通勤電車も混んでいるなあ。
いずれにしても、戻っての生活になると、ほんとに余裕がなくなるのはなぜなのだろうか? 通勤時間で4時間近くとられるのが最大なんだろうと思うけど、家事がなんだかんだ、相方といっしょにいると、半分とまでいかなくても、だいぶ楽になる。職場に行っての雑事もなくなるなどなどかなあ。でも、そういう慌ただしさのなかでも、心にはもうちょっと余裕をね、今日は、結局、イライラしていた。
夜、生協の注文。しかしまあ、なんでこんなに高いのか! 米もいよいよ5k4000時代だなあ。冷静に、ひと月、いくらかかっているのか、もう一度チェックしないといけないなあ。カード支払とか、支払いが多様化しているから、いっそう、生活状態を冷静に認識できなっているように思えて不安もある。いずれにしろ、ほんとうに深刻さが広がっていると思う。ここのところの食糧支援なども、利用する人の数はこれまでの最高を更新し続けているそうだから。きちんとした議論をしないといけないなあ。
地平3月号や世界3月号をみながら、筆者や内容の重なり感や、自分(たち)ができていないことは何なのかを考える。同時に、こういう雑誌状況の中で、自分(たち)には何が求められているのかをしっかり、考えないとと思う。答えはそう簡単ではないなあ。ヒントはあるけど、うまく具体化するには、血のにじむ努力や葛藤がこれから必要。ほんとに、こういうの読みたかったといってもらえるような雑誌をつくるために、楽しちゃいけないし、たちどまっちゃいけないなあ。
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