「子育て・教育に「評価」を超える楽しさを
早朝仕事は、2週連続の雨。今日は風もあったので、ちょっと悲惨だった。桜の花は……。
散華。桜の花が戦争動員に利用された歴史のことも、頭によぎる。
午前中は、団地の会議。それから、職場に。たまった、実務を処理。いろいろ、手配もする。来月も厳しそうだ。
午後に、教科研の三月集会を聞く。自森に行きたかったけど、それはかなわず。昔、長男と、よく遊んだ、校庭とか、食堂とか、久しぶりに行ってみたかった。もう30年以上前だね。
集会のテーマは「子育て・教育に「評価」を超える楽しさを」。久しぶりにおもしろかった! C(T)さんすっかりベテランだねえ、年のたったことを感じさせる。とくに彼女の目から見た、子どもの苦しさと教師のしんださが印象的。一転、徹底した子どもの遊びにこだわる実践。そして、Iさんの学校の学校づくりの視点と教育実践!。圧巻は、自由の森学園の報告。とりわけ自己評価の取り組み。やっぱり、教育が人間的なぶつかりあいのなかでこそ、生まれる。そのことを痛感させられる。もちろん、学校にも権力関係は生じる。教育というのは2面性がたぶんだるのだと思う。だけど、それをこえるような教育の営みのなかでの人間的ぶつかりあい。それがとっても印象的だったなあ。
早々に帰っても、それなりの時間。
夜、「月食の夜は」を見る。
高校受験で進路を決める季節。宮内駿(吉田日向)は、同級生の岸本翠(外原寧々)を好きになる。明るく振る舞う翠だが、実は心の病を患う母・美代子(安達祐実)を抱えていた。家で葛藤する翠の姿を垣間見てしまった駿は、進路など考える余地もない翠を思い、何とか彼女の力になれないかともがく。ある夜、絶対にしてはならない過ちを犯しそうになった翠のもとに駿が現れ、全てを察した駿は珍しい月食鑑賞に彼女を誘い出す…。
若者のリアルな姿なのか、それとも大人から見た解釈なのか。そことのところは、ボクにはわからない。けど、いろいろ考える。ヤングケアラーの最大の問題は、ケアが家庭責任になっていること。家族の中に沈殿する困難。だけど、個々の問題は個別に向き合う必要がある。尊重すべき個人は、自立した強い個人ではなく、弱い、不安定な存在としての個人なのだ。
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