全国障害児学級&学校学習交流集会2日目
仕事が本格化すると、やっぱり睡眠がなあ。そんな目覚め。うーん。
なんだか、ぼけーっと朝から過ごしていると、あ、もう集会の時間。
なわけで、今日は、全国障害児学級&学校学習交流集会2日目。まずは、越野さんの講演を久しぶりに聞く。うむ。
「特別支援教育」の歴史をふり返り、それが、結局、権利条約の理念からどれだけ離れたものとして、おこなわれてきたのかをまずは。それが権利条約以降、どのような議論になっていくのか。ほんとうに、何も手をつけず、いろいろなことを口実に、むしろ条件整備を後退させてきた日本のありようそのものに唖然とさせられる。それだけに、今回の勧告は大きなインパクトをもつ。それをどう理解するのかが後半の論点になる。なぜ権利委員会が、ここまできびしく、隔離された特別な教育ということで厳しく批判したのか。それが「永続的」なのへの批判なのか「継続」への批判なのか。なかなか難しい問題。だけど、権利条約を理解するときに、「一般的な教育制度」からの排除ということが、どうおこなわれているのかが大きな点だと思う。いろいろ、議論をすすめなければいけない内容で、とても勉強になる密な2時間だった。しかし、なぜ、越野さんは長い髭を生やしているのか。そこのことが気になる。
午後からは、文科会。運動と父母との共同がテーマの分科会だったけど、兵庫と向ヶ丘のレポートで、栃木の方も参加していたので、さしずめ、寄宿舎の第三分科会みたいな感じになっている。なぜ、設置基準直後なのに、寄宿舎か? やはり、切実な要求としてこの問題がある。いま、父母は、新自由主義政策のなかで、自己責任というか障害児の子育てが家族責任にされて、ほんとうに追い詰められた状態にあるということが背景にあるということがあらためて、痛感させられる。指導員と父母の関係というのが大きさも感じたり。
総じて、原点というものをとっても考えさせられる2日間で、自分としては、すごく充実した取材となった。よかったです。
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