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2022年8月

2022/08/31

副反応から通常モードへ ウトロ判決と普遍的価値 寄宿舎は「分離」か?

 昨日は4回目の副反応で、軽い発熱。今日は、ほぼほぼ通常モードに無事、復帰(まだ、肩が少し痛い)。ぜんぜん、関係ありませんが、暑さもぶり返しです。

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 ひたすらインタビュー①の原稿づくり。ぜんぜん知らない分野の作業だけに、結構、頭が痛いし、時間もかかる。集中力がなかなかねえ。インタビュー②の日程の設定も、そろそろ。いろいろ来月もたいへんそうだなあ。当たり前かあ、そんなに事態が変わっているわけでも決してないし、がんばろう。

 毎日、いろいろなことが起こる。テレビは、基本、統一協会問題でぎっしり。それはそれでとても大事な問題。

 昨日は、在日コリアンが集まる京都のウトロ地区に火をつけた容疑で起訴された被告の裁判があって、懲役4年の判決。判決文には、ヘイトだとか差別という言葉はなかったが、弁護団のがんばりで、裁判で被害当事者の発言もなされ、「偏見や嫌悪感に基づく犯行で、民主主義社会では到底許されない」としたことは重要。おりしも、明日は9月1日、関東大震災の日だ。

 日本国憲法は、普遍的な価値を体現していると言われるが、それが十分に力を発揮しないのは、その実現を支える、日本社会のありようが、普遍的な価値を大事にしない状況にあるからだ。その一つの要因が、植民地支配の歴史への向き合い方にあることははっきりしているとは思うのだけれど。

 励まされるニュースもある。

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 がんばるなあ寄宿舎の親たち。記者もがんばる。

 国連で障害者権利条約の日本審査もすすんでいて、そのなかで、特別支援学校や寄宿舎は「分離」だという意見も耳にする。Oさんの発言をうけてのものだろうけど、少し違うと思う。ヨーロッパでも、かなり機械的な「分離」と「統合」の議論をするところもないわけではないが、すべてはそうではない。たとえば、北欧でも特別支援学校は存在する。そのあり方は、健常児の学校と同じ土地のなかにあるというもの。大事なのは、その子どもが将来にわたって、地域で、みんなといっしょに生きていくために、どのような支援が必要かということ。そのためには、特別な支援が必要なこともある。ましてや、日本のように、すべてを家庭に、母親におしつけるような社会では、いっそうの家庭支援が必要あろう。そういうことは、子どもの権利条約の議論からだって導き出せる。ほんとうはそういうことが大事だと思うのだけど。

2022/08/29

ワクチン接種4回目 特集ドラマ「アイドル」

 今日は、なかなか起き上がれず。少し、涼しかったのが救いかなあ。

 さて、原稿はいくつかやってきていて、処理ができていない。いろいろバタバタが続くなあ。対談①を設定しようとして、これはなかなかうまくいかないでいる。いくつかの仕事を同時進行ですすめなければいけないのだけど、なかなかねえ。とにかく、無心と夢中で仕事しよう! 前に向かおう!!

 しかし、夕方、ワクチン接種の4回目があったので、ちょっと落ち着かなかった。そもそも、職場を出る時間を1時間まちがえて、ちょっとたいへんだった。そんなこんなの一日。だけど、副作用はどうなるのかなあ。今のところは大丈夫だけど。

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 夜、何となく特集ドラマ「アイドル」を見る。
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いつの時代も若者を熱狂させ、ときめかせる“アイドル”。
昭和初期から終戦間際まで、戦時下の日本で、1日も休むことなく営業を続けた劇場「ムーラン・ルージュ 新宿座」。そこは、“アイドルに会いに行ける劇場”でもあった。
ファンとともに成長し、劇場の絶対的エースとなった明日待子(あした・まつこ)。
日本が戦争へと進む中でも、ファンの声援に笑顔で応え、ステージで歌い、踊り続けた…

 実在した登場人物や劇場をベースとした、オリジナル作品ということだけど、そもそも、実在するまっちゃんと呼ばれた明日待子のことについては、全然知らなかったので、戦前の大衆文化と戦争の関係を垣間見れて、 新鮮だった。もちろん、それは、戦争のごく一部の側面、兵士についてもほんとうに一つの側面なのだけど、しかし、その話は、つらく、悲しかった。椎名桔平が番組へのコメントで、「戦争の痛烈な痛み」ということを言っていたのが印象的だった。もっと、いろいろ知らないといけない。

2022/08/28

「無言館」「女たちの戦争画」東京ブルーノート

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 昨日は、夜、ドラマ「無言館」を見た。もうちょっとわかかったころ、上田に、スキーやキャンプに行ったときに、何度か「無言館」には立ち寄った。そのとき感じたことがドラマを見て甦る。戦争中、絵を描くことを断念させられていった画学生の無念の切ない思いが、胸に迫る。それを受けとめていく、窪島さんの思いとともに。

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 さらに衝撃的なのは、ETV特集の「女たちの戦争画」。吉良智子さんの『女性画家たちの戦争』をベースにしたものなのだろう。たしかに、画学生の話も男性の話だ。そのとき、絵を描くことをめざした女性たちは? 長谷川春子の話を軸に、画家としての自立をめざそうという思いと、それが戦争に巻き込まれていくその悲劇を戦後にわたって追っていく。とても苦しい話だった。
 たしかにこの夏も、力作というような番組が多かった。それはやはり希望なのだろうか?

 今日は午前中は、団地の会議。できて30年の団地だからいろいろ問題は生じる。それを高齢化のもとで、どのように対応していくのか。話を聞いていて、頭が痛い。一つひとつ解決していけるように、ボクも努力しないとなあ。

  会議後から午後にかけてインタビュー①原稿化作業。そして夜は、東京ブルーノートへ。

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 おんとし85歳、その喜び、悲しみ、祈りに満ちた演奏。ベースは控えめな楽器の印象だけど、しっかり、主役になる演奏の凄さ。そして俺は生きて演奏しているぞって姿に引き込まれた❗️

2022/08/27

だいぶ間が開きました

 ブログ(日記)は、だいぶ、間があいてしまいました。高知に行って、大変疲れて、そのまま、工場籠城に向かって怒涛の日々だったので。なんだかんだ言って、今月もハードでした。夏の疲れ方が、もう半端なくなってしまっているので、立ち直るのが少し大変です。

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 今年の夏は、大阪(奈良・京都)、釧路(夕張・室蘭)、そして高知と、いろいろなところに行きました。そこで、いろいろな人に会い、いっぱいおしゃべりもしました。そのことは、とても大事な時間で、貴重な体験でもあった。
 この夏、とりわけ、高知で考えたことは、たくさんあるけど、それは、少しずつ文章にできればいいなあ。ずっと、頭の中にあったのは、参院選の結果も含め、厳しいことが続き、現実的には、かなり絶望的な状況が広がっているなかで、「希望をどこに見て、どのように自分は未来を語るのか」ってこと。
 栃木で、いろいろヒントをもらってきた。釧路からオンラインで参加した教科研では、東畑さんの実践、高知では、一つは40代の教員を中心としたネットワークのもつ意味、そして、粘り強く、あきらめない実践。

 籠城が終わり、少しは落ち着いて、いろいろ考えたいところ。ところが、今朝、起きたら、なんだか落ち込んでいる。暑かったからかなあ。夢がよくなかったのかも。おまけに、早朝仕事でミスで、さらに落ち込む。
 午前中は立命土曜講座を拝聴。山本めゆさんの「演題:彼女たちの引揚げ―性暴力被害者の帰還と「混血児」排除をめぐって―」。なかなか大事な内容で、刺激的でおもしろかった。敗戦を前にした関東軍の撤退とソ連軍の侵攻、戦後の引揚援護政策の遅延で、満洲や朝鮮半島北部に残された民間人は剥き出しの暴力に。性暴力被害者が帰還した引揚港の周辺では、相当数の人工妊娠中絶が実施された。当時違法であったはずの中絶は、なぜ、どのようにして可能になったのか。「混血児」の急増を懸念した厚生省の「上から」なのか、むしろ女性たちの窮状を目の当たりにした現場の医師たちの英断と献身に支えられた「下から」なのか。山本さんは、さまざまな資料を駆使して、基本的に「上から」であることを示す。それは、中絶にとどまらず、生まれた子の「処理」にまで突き進んでいる。これは衝撃だった。そして、そうしたものは、単に上からだけではなく現場の医療者たちとの協働によって実現したというのが山本さんの読み解き。

 午後は、インタビュー③(来月インタビュー①)原稿づくりをしっかりがんばる。夏はいろいろあって、掃除ができていない。掃除をしたいが、。明日は会議やお出かけもあるなあ。

2022/08/16

反省とモヤモヤのはらし方

 暑かったですね。午前中は、来月企画の資料読み。わあ、たいへんだあ。夕方には専門書を2冊注文。関連文献を、自宅で探しているのだけど、ぜんぜん見つからない。本のある部屋は暑いから、これも相当しんどい作業。午後は、インタビュー①取材でちょこっと都内を西へ移動。ホントに暑く、体にさわる一日。ふー、暑かった。自宅に帰ってインタビュー①作業。時間がないので、夜まで作業。

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 夕食は、相方といっしょに自宅で。年に何度あるのか自宅での、いっしょの食事。残された人生のなかであと何度あるのだろうかともちょっと考えたり。おだやかな老後があればいいのだけどね(苦笑)。

 昨日は、戦没者慰霊祭。首相のあいさつは、菅さんと8割同じ。つまり安倍さんのものをそのまま踏襲する。天皇のそれも、反省とはいうが、加害には言及しない。戦争の惨禍はいうが、政府の行為によってとは言わない。反省という言葉があるのは大事だけど、具体的な内容はダメだと言うのが、いまの政権の「指導」。これこそが政治利用だけれど、これがメディアを規定し、社会を規定していく。そのことはよく考える必要がある。ここに来て思うのは、実は、保守なり、自民党のなかで、反動保守というか、右翼的潮流の大きさがここにきてあらわになっている感じがする。岸田さんも動きが取れないで、そうせざるを得ない。それが、統一協会と自民党の関係にもあらわれている。統一教会の記者会見も、聞きようによっては、自民党を脅しているようにも聞こえる。われわれを悪者にできるのかと。

 そういう潮流と自民党の関係が今後どうなるのかはわからないが、なかなか難しそう。そのことが政治を変えることにつながるのだろうか?

 戦没者慰霊祭と、メディアの戦争をめぐるモヤモヤの関係を考える。先の戦争の最大の教訓は、戦争の違法化と集団安全保障の体制、それをさらにすすめたのが戦争の放棄であるはず。しかし、いまの議論を支配しているのは、力対力という19世紀的思考。戦後の最初に、めざされるはずだったのは、軍事同盟なき世界ではなかったのか。そのことと、戦争の反省とは直接にむすびつく。そしていまは逆の方向にすすんでいる。そのことを問わない限り、モヤモヤは晴れない。そのことをもっともっと議論したいところ。

 

 

2022/08/15

「沖縄戦争孤児」 と 「ビルマ 絶望の戦場」

 久々に職場に。今日は4本の提稿作業をすすめる。インタビュー②の準備と、それから来月、特別企画(インタビューか対談か)の資料が届いたので、勉強をはじめるが、なかなかたいへんだなあ。関連する資料が家にあるはずなのにみつからないで、困っている。どこにいったのか? ほんとに困ってしまう。

 昨日は、BS1スペシャル「沖縄戦争孤児」を見る。

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 復帰50年の沖縄で空白となってきた歴史がある。沖縄戦で親を亡くした戦争孤児。凄惨な地上戦で何を体験し、基地の島となった戦後をどう生きたのか。圧倒的な証言で描く。

 地上戦に巻き込まれ、目の前で父と母を亡くした沖縄の戦争孤児。終戦前後は米軍が孤児院で保護したが、その後の足取りは調査されたことがない。徹底取材で浮かび上がったのは、壮絶な戦争体験と孤立無援で生きた過酷な戦後。幼くして孤児となったため、自分の名前も出自もわからず、いくつもの家を転々とした人。戦争中に餓死した妹を救えなかったトラウマに今も苦しむ人。初めて語られる証言から、今も続く戦争の傷あとを描く。

 沖縄戦のなかで、家族・兄弟とも別れて孤児となっていくその経験の悲惨さだけでも、本土のそれとは、また違うたいへんな体験である。と同時の、戦後の彼ら彼女らの体験の困難さは、ほんとうに想像を超えていた。語れない、語りづらさも圧倒的でもある。それが沖縄の戦後でもある。ほんとうに強烈だった。

 そして今日は、NHKスペシャル。「ビルマ 絶望の戦場」。

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1944年7月、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦は3万もの戦死者を出し、惨憺たる結果に終わった。しかし、その後、終戦までの1年間で、それをはるかに上回る将兵の命が失われていた事実はほとんど伝えられてこなかった。今回、国内外で入手した一次資料や証言からその実態が浮かび上がった。太平洋戦争の形勢がほぼ決した中で、失われ続けた命。証言と新資料から明らかになった“絶望の戦場”の実態とは。

 こちらも、ほとんど知らない話だった。インパール後のビルマで、インパールうぃはるかに超える死者……。くり返される無謀な作戦。見捨てられ、取り残される絶望的なたたかい。そこでおこなわれた、いっそうの住民虐殺……。これは……。

 はたして、そこから、これらの経験から、戦後の日本は何を学んだのだろうか。戦争をなくす、そのことをめざす外交を積み重ねるということができてきたのだろうか? ほんとうに深く問いかけるべきだと思う。

 しかし、NHKはここではがんばるよなあ。

2022/08/14

「ウクライナ 戦争と人権」 と 「戦争はどう終わるのか」

 今日は、家族的な責任をはたす日。

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 孫①②とともに、水族館へ。孫①は元気いっぱい。じいじも、元気をもらう楽しい時間。

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 ばあばとすごす、孫①。貴重な時間だなあ。

 

 さてさて。朝日新聞のここ数日のオピニオン。たとえば、13日の 豊永さんの「ウクライナ 戦争と人権」などにはモヤモヤが広がっている。14日の千々和さんの「戦争はどう終わるのか」についても同じ。何が足りないのか。実は、とても単純なのだと思うのだけど、そのことがあまり議論されないというのが、いまの論壇のいちばんのしんどさなような気がする。たとえば、千々和さんの戦争の終わり方には、戦争を20世紀から21世紀にかけて、どのように考えるようになったのかという原理というものがない。ただ、力関係と戦争の終わり方を結びつける。それは、19世紀の思考と連続しているのではないか。豊永さんはそれでも人権という原理から考えようとする。だけど、もやもや。それは、いまの国連憲章の、国連のもとで、その原理を実現するうえでは、残念ながら過渡期的な、なかなか簡単には解決できない到達点にあるからだ。では、そこで、どのように原理にもとづいて、解決していく努力ができるのか。ヨーロッパの安全保障、国際的な安全保障への接近の考察というものがない。そういう意味では、論壇の現状は厳しいのかもしれない。力に対して、対抗する知恵の結集には成功していない。そんなことを考えてしまう。原理と現実。もう少し、こだわりながら現実に向き合う模索という営みはなされないのだろうか。

 

 

2022/08/13

東京への移動

 台風のさなか、東京に移動。よく移動できるなあと驚いた次第。

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 そういうわけでバタバタして、あまり、仕事はすすまず。そろそろ、仕事前回モードにしていかないと、間に合わないなあ。がんばらないと。

2022/08/12

夕張、室蘭、それからウポポイ

 昨日、今日は夏休みに!! 朝から、相方と喧嘩しつつ、まずは夕張へ。しあわせの黄色いハンカチの炭鉱住宅のセットに。それから炭鉱博物館。博物館は、ほんとに廃墟のなかにあるという感じ。誘導の看板に、廃墟感あふれるなかを勇気をもってすすめって。炭鉱の盛衰はよくわかるが、強制労働の展示はまったくなかったのは驚き。難しいなあ。

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 それから室蘭に向かう。「イタンキ浜事件」で 室蘭で砂浜に遺棄された中国人たち追悼の碑に向かう。事件の全容はまだまだよくわからないのかもしれないが。

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 夜は、30代、40代の若手研究者としこたま飲む。若いというのは、未来があることで、それだけで素晴らしい。ボクもくらいついて、少しでも未来をめざさないと。

 今日は、3カ月ぶり2度目のウポポイ。常設展は、近現代を中心に、もう一度確認しながら。特別展の知里真志保の展示がよかった。GWとあわせて知里姉弟の世界を堪能。感動と、そして背筋がピンとなる。

 体験コーナーで、GWに続き、若いアイヌの語りを聞く。ウポポイの展示は?だけど、若いアイヌたちが、アイヌ以外の人と協力しながら、言葉や文化を継承していこうとする取り組みにふれることができること。

 最後に慰霊施設に行くこともできた。他には誰もいなかったけど。いちばん問題として話題になった施設。

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2022/08/10

「自己の育ちへの着目から教育実践の豊かな構想へ」 と 「ブラックドッグ~新米教師コ・ハヌル~」

 急きょ、朝からインタビュー①の日程の調整。それは無事、完了。緊張ある日々が続くんですよねえ。

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 さて、今日は、教科研大会の3日目。フォーラムは、予定を変更して、「D. 自己の育ちへの着目から教育実践の豊かな構想へ」に参加。かつて、教科研が「講座 教育実践と教育学の再生」を出したとき、第一巻の「子どもの生活世界と子ども理解」で注目した「自己の育ち」。そのときの著者でもあった、小池さんと前田さんが、10数年たって、その後について述べるというもの。
 小池さんの、障害ある子どもの気持ちになるもの、前田さんの困難校の若者たちの心の傷。そのことと、いまの子どもや教師のたちの息苦しさを考える。子どもの側の自己の育ちということはますます、難しくなる。教師の側が子どもを支えることも大きな困難が生じている。多くの方が言われていた新自由主義の進展――それは基底的にはとても大事なことではあるのだけど――とともに、ボクは、強権的、権威主義的な考えが、あらためて力をもっていることを考えるべきだと思う。ある暴力的な抑圧が広がるとともに、社会全体がこの2つの力に対し、迎合的、忖度するような気分、空気が充満している。
 それだけに、民主主義というものを考える。社会全体が民主主義にかかわって、抱えている問題と、それは共通しているのかもしれないと思ったりする。それを現場から見たとき、対話だとか、安心した関係性とか、声を発するということが語られたことは、大きなヒントになる。社会自体が、政治的領域で、対話というものをどうつくるのかが大事なように。もちろん、政治でも教育でも、そのことは容易ではなんだろうけれども。
 討論は、教科研のお歴々の発言が続いた。それはとても重要な発言が続いたわけだけれども、討論が6、70代で完結してしまうのはちょっとね(苦笑)、苦しいね。
 午後は、おわりの会。若い人たちの発言が続く。20代の人の感じ方は、ほんとうに大きく違う。自分の子どもよりもさらに若い。思いの裏側について理会するのは、想像力だけでは、ちょっと無理な感じがする。気になることの裏側に何があるのだろうか。それそのものが、若者理解だし、ほんとうに対話しなくっちゃいけないのだろうなあ。籠っていてはだめだね。そういうたくさんの刺激もうけた。

 夜は、相方のおすすめで、「ブラックドッグ~新米教師コ・ハヌル~」を見る。新任の非正規教員の物語。なぜ、教師を続けるのかを考えるドラマ。まずは、おすすめ。

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2022/08/09

「教室と授業を語る―授業を教室の外(保護者・同僚・管理職)へひらく」 と 『日本の中絶』

 北の国は涼しいですよ。快適。外にはコスモスも咲いています。だけど、どっと疲れが出てきます。疲れを取り切りたいです。

 さて、今日はインタビュー③原稿を仕上げて、そして発信。ふー。ここのところ、来月、対談企画の相談とか、今日も、新しい企画の相談。それぞれ、手間のかかりそう。仕事だから手間がかかるのは当たり前だし、楽しようなどと思ったりしたら絶対だめだと自分に言い聞かせる。だけど、いっぱい勉強しなくっちゃいけない課題が増える。しかし、実際の仕事はそんなにすすんでいるわけではない…。

 今日は、教科研大会の2日目。できるだけ、聞くようにします。だけど、齢をとると、夜眠れないから、昼間眠たくなる。一日の研究集会はちょっとつらいお年頃。広島は大丈夫かなあ。

 分科会は18。「教室と授業を語る―授業を教室の外(保護者・同僚・管理職)へひらく」。まずは大日方さんの学級通信の調査の報告。これは、おもしろい。ちゃんと、彼の調査報告論文読みたいと思った! ここに結構、問題を考えていくヒントもありそう。西田さんの報告は、一度聞いた話が半分。今年の話は初めて聞く。ほんとうに圧倒される。個人のとりくみから、学年づくり、学校づくりへと発展する。これは西田さんだからできるのか? そういう面ももちろんあるけど、学級通信というか、学級通信のような教育とりくみだからこそ発展しているという面もあるというか、そこにもヒントはありそう。3つめは、石垣さんの校内研。これもそうだんだよなあ。そこで注目していくこと、意識されていることということが、根底ではつながっている。授業や教室の子ども観ということにこめられていることということはとても考えさせられる。
 だけど、そのことに向かっていくことと、現実に教育現場を支配している苦しさとは、どうつなげることができるのか。どうすればそこへの一歩が踏み出せるのか。現場の苦しさは、新しい段階に至っているとも言われる。なにがそこに至らせたのか。8~90年代ごろからはじまった新自由主義は、2000年代に加速したが、そこからもさらに段階があがっている。それは、どこからで、どのような特質があるというのか? 示されたヒントと、その苦しさをつなぐヒントをもっともっと見つめていかないとと思ったり。

 夜には、塚原久美さんの『日本の中絶』の学習会。ちくまから新書として発売された。お仕事でもお世話になった方で、この人の議論からは学ぶことは圧倒的に多い。この本、読まなくっちゃなあ! ものすごく勉強になりそうだ!

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2022/08/08

涼しくって、ぐんと体が楽です

 今日から北の国に移動です。

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 涼しくって、ぐんと体が楽です。しばらく、涼しいところにこもって、仕事します。

 今日は、移動しながらインタビュー③原稿の整理をすすめます。明日には仕上げに入りたいですね。

 もう一つの仕事は、教科研大会の取材。

 岡野さんの話は、どんどんグレードアップして、シャープになっていく。とても、しっくり確信になる。

 シンポジウムは、コロナ後の学校。ボクもいろいろふり返りながら、考える。教師の仕事の意味を文字通り考えさせられる。夜の懇談会は、よく知った人たちがいっぱいいるところだった。

2022/08/07

「侍従長が見た 昭和天皇と戦争」

 日曜日だから、掃除日だけど、なかなか忙しいから最低限の掃除。お風呂なども。いっぱい洗濯をしたかったけど、天気がね。ずっと、すっきりしない天気が続くのかなあ。

 とにかく、インタビュー③の整理。時間がかかるけど、夕方には何とか形になりつつある。ほんとうは昼間に時計の修理に行きたかったけど、それはかなわず。

 昨日の夜は、ETV特集。ふたたび百武日記。「侍従長が見た 昭和天皇と戦争」

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 太平洋戦争中、昭和天皇の動向を健康状態まで克明に記した侍従長がいた。海軍大将の百武三郎。開戦当初、戦勝に「天機麗しい」としたが、ミッドウェー海戦の敗北で天皇は衝撃を受ける。短波放送など海外情報も、定期的に進講を受けたことも明らかになった。ガダルカナルの戦いで対立する陸海軍に協力を求めるが戦局は悪化。敵に一撃を与えた上での講和を模索していく。初公開の百武三郎日記を軸に昭和天皇と側近たちの戦争に迫る。

 昨年末の番組は、開戦にむかう時期に焦点をあてていた。今回は、戦争の局面が悪化し、敗戦に向かっていく時期。前回にもまして、天皇の戦争指導への関与はリアルで、戦時期の天皇の実像をうめる資料にもとづいて迫力をもって描かれておもしろい。戦局の悪化への動揺や、事態の収拾にすすまないことへの苦悩なども描かれる。その時期には、戦争指導体制そのものの制度的な問題もうきぼりになる。それはたしかにそうなんだろうけど。最後の加藤さんの結論はどうなんだろう。国民が育つには時間が足りなかったって。

 問題は、なぜそうなったのか、つまり、制度的な問題とともに、どこに責任があったのか、なぜ、その問題を変えることができなかったのか。それは、そのことは戦後にどう生かされたのかということにつながっていくはず。いろいろ考えなきゃいけない問題もみせてくれる番組だった。

2022/08/06

「わきまえない!史上初の3社合同開催“声を上げる新書3冊”の著者トークイベント」「アジア・太平洋戦争と「徴用工」―帝国日本の労働力動員―」

 早朝仕事スタート。ベランダの朝顔もたくさん咲くようになってきています。

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 昨日は、夜に、「わきまえない!史上初の3社合同開催“声を上げる新書3冊”の著者トークイベント 佐藤千矢子×清水晶子×坂下史子」を聞く! 佐藤千矢子さんの『オッサンの壁』(講談社現代新書)、清水晶子さんの『フェミニズムってなんですか?』(文春新書)、坂下史子さんたちの『私たちが声を上げるとき アメリカを変えた10の問い』(集英社新書)という新書3冊。どれだけ、オッサンの壁が厚くって、それがなぜ、そうなるのかを明らかにし、それを問いかけるとりくみという3つの新書。ほんとうに、ひとつひとつが、魅力的すぎる。勇気も出る。時代を動かすなあ、これは。ここから学ぶものって、大きいと思うなあ。

 今日の、朝は立命の土曜講座「アジア・太平洋戦争と「徴用工」―帝国日本の労働力動員―」を聞く。茨城の佐々木啓さん。日本における国家総動員法などで、多くの人びとが軍需産業に動員されていく。まず日本人の男性、そして女性や学生。それは外国と違い、日本人の無権利があったから。ところが植民地支配下にあった朝鮮人や占領地の中国人なども動員されていく形で、国家総動員体制は「帝国」という枠組みを拡張させ広がっていく。そのさまと、そのなかでの、いっそうひどい朝鮮人たちへの抑圧。その差異なども考えさせられる。

 うーん、こういうの企画にしなくっちゃ。なかなか追い付かないなあ。

 午後は、全進研で、スピーキングテスト。報告を聞いて、うーんひどなあこれ。なんで、こんな、あいまいなことがすすんでいくのだろうか?と思いつつ、インタビュー③原稿の整理においこまれて、途中からは、そちら集中! という感じで時間が過ぎていく。がんばんなきゃ。

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パッと画面から文字が消える!

 また、記事が突然消える。なぜだんだろう。パッと画面から文字が消える!

 今日は、どんと温度は下がったが、じとじと。

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 今日はひたすらインタビュー③の作業。起こしを終え、形を整える作業に入っていく。まだまだ先は長い。途中、先の企画を冷静になって考える。うーん。インプットの取材や勉強ができていないので、どうも狭い感じ。臨時号が重なる、9月、10月〆切は、相当負担が大きくなるだろうから、何とかしないとなあ。でも、齢をとって、作業の時間もかかり、効率も悪くなる中で、どのようにしていくのか。これからの仕事の仕方、人生の行方は結構、難しそうだ。

 難しいという点では、悲観主義のボクにとっては、ほんとうにつらく、難しい問題が多く、耐えられないことも、それでいいのだろうかと思うことも多いが、自分がもつかなあという思いも大きくなる。そもそも何かしでかさないか心配(笑)。ここでも、よくよく考え、学んで、考えて、行動しなきゃ。

 国会では立民がややこしい。選挙総括も話題だけど、報道を読む限り、提案型野党への反省は踏み込むが、30代、40代の世代の支持の拡大のために連合との協力を強めるとか。国会でも、合同ヒアリングの復活とかもいわれているが、一方で、単独でとか、共産主導と思われないかとかの議論も。報道を読む限り、揺れる立民。肝心なのは、市民の運動がどう広がるか。そこに立ち戻らないとダメなんだろうと思うのだけど。

 今日で河野談話から29年。談話そのものの意義とともに課題も当時は問うていた。いまはむしろ、問われるべき歴史認識と、実際の認識の間の差をどのように考えていくのかは、いまこそ大きな課題になっている感じがする。それは、ある意味で、われわれの取り組みの弱さであり、到達点でもあるだけに、ほんとうにここをどうしていくのかに切り込む議論が必要か。統一協会ともかかわって、右派潮流のありようも話題になっているだけに、こちらの側のこともいろいろ考えたいところでもある。

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2022/08/03

『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』 と 政府による安倍元⾸相の国葬の決定は、⽇本国憲法に反する―憲法研究者による声明―

 ほんとうに暑い日が続きます。連日の40度近い猛暑、しかも朝から暑く、夜も温度が落ちないというなかで、かなり体力を消耗させています。

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 いろいろ、思うようには行きません。ちょっとなあ、ということが積み重なる日々。

 ちょっと、ショックなこともあります。それなりに知る研究者の方が、それはでの自説を180度転換させて、われわれとはまったく違う主張をしていることに遭遇したり。

 たしかにものすごく難しい時代です。とても展望を持ちづらい局面でもあります。そういうときだからこそ、原理とか哲学とかいうものが大事なのだと思う。そのときに、いま議論されていることと、何が違うのだろうということも考えます。いろいろなことをつかまなければなりません。もしかしたら、ボクはとんでもないことを考えているのかもしれません(苦笑)。

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 宮間さんの『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』を読みました。

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 地道で実証的な本が、突然、注目をあびています。とても、面白い本です。明治の天皇制政府の確立していく過程は、治安とか、教育とか、政治制度という点ではいろいろ学んだことはありますが、死の儀式化という角度での注目、それも天皇の死ではなく、功臣のそれです。儀式化に国民を巻き込み、支配の強化からやがて戦争に動員する仕組みをつくりあげていく過程がよくわかります。そもそも、国葬はそのようにつくられたのです。それが、天皇制政府の終焉とともになくなったはずなのに……。

 いつもお世話になっている憲法学者たちが声明を発表した。

政府による安倍元⾸相の国葬の決定は、⽇本国憲法に反する
―憲法研究者による声明―

2022年7⽉22⽇、政府は閣議決定をもって、9⽉27⽇(⽕)に東京都千代⽥区の⽇本武道館において、安倍元総理⼤⾂の葬儀を国葬という形式で執り⾏うと発表し、遺族もそれを承諾した。岸⽥⾸相が葬儀委員⻑を務め、これに掛かる経費は全て本年度の予備費から⽀出するとしている。われわれは憲法学を専攻し研究する者として、この国葬が⾏われた場合には、それが単に法的根拠を持たないだけでなく、⽇本国憲法に⼿続的にも実体的にも違反することになると危惧し、この国葬の実⾏に反対する。

1 明治憲法下では、「国葬令」(1926年公布)が存在し、皇族と「国家に偉功ある者」に対して国葬が⾏われてきた。国葬令の適⽤は、⼤正天皇の国葬に合わせることになった。天皇の思し召しによって、国葬が実施され、国⺠は喪に服することを義務付けられた。国葬という形式は、⼭本五⼗六の時のように、何よりも明治憲法の軍国化を促す効⽤をもたらしてきたが、この「国葬令」は戦後の⽇本国憲法の施⾏と同時に1947年に失効している。国葬令は、なによりも憲法14条の平等主義に反するものであり、憲法に規定された基本的⼈権の保障に反するからである。戦後は吉⽥茂元⾸相の国葬があったが、これは「戦後復興に尽くした」との理由による例外的なものであった。佐藤栄作元⾸相の時も、国葬が提案されたが、憲法の番⼈である内閣法制局が認めなかったことにより、国葬案は実施されなかった。⼤平正芳元⾸相の時より、政府と⾃⺠党による合同葬の形式が慣⾏的に続いてきた。

2 ⻑い間封印されてきた国葬が、岸⽥内閣によって以下の理由をもって実⾏されようとしている。それは「⼀ 憲政史上最⻑になる8年8か⽉にわたり、内閣総理⼤⾂の重責を担った ⼆ 東⽇本⼤震災からの復興、⽇本経済の再⽣、⽇⽶関係を基軸とした外交の展開等の⼤きな実績を残した 三 外国⾸脳を含む関係社会からの⾼い評価 四 選挙中の蛮⾏による急逝」と説明されている。しかし、この⼀~三に評されるように、安倍内閣はそれほどに評価すべきことを⾏ってきたのであろうか。1回⽬の任期(第90代内閣総理⼤⾂)の時は、教育基本法の改悪と防衛庁の省への昇格を実⾏したが、内閣スキャンダルと⾃⾝の病気を理由にして退いた。さらに、⻑期に及ぶ2回⽬の任期(第96~98代内閣総理⼤⾂)は、憲法に違反する法改正(組織犯罪法における共謀罪、安全保障関連法等)を繰り返しながら、「モリ・カケ・サクラ」と⾔われたような⾦銭疑惑を残した。そして再度、病気を理由に職務を放り出し、多くの疑惑に正⾯から答えることなく、⾸相の座を明け渡した。とくに財務省の記録を改ざんし、⾃殺者を⽣み出すまでして事実を隠ぺいした安倍元⾸相の疑惑は⼤きいが、もはや闇の中にある。他⽅で、外交に多⼤な功績を残したとあるが、これまでの懸念材料であった「領⼟・基地・朝鮮半島問題」に⼤きな進展はない。安倍内閣は憲法の改正を望んできたが、現実に憲法の核⼼部分は徐々に削られてきたことになる。

3 岸⽥内閣は、この国葬を今度は内閣法制局の⽰唆を受けて、内閣府設置法の4条にある「所掌事務」として形式的に実施しようとしている。国葬の実施は政府が主体となる国事⾏為であるから明確な法的根拠を必要としている。ところが、法4条3項33号は、「国の儀式並びに内閣の⾏う儀式及び⾏事に関する事務に関すること」を内閣府が関わりうることを定めた限りであって、国葬という実体を定めているわけではない。国葬の実施はいかなる場合になされるかという要件を定めた法規があることを前提としてでなければ、この法4条3項33号の実施は不可能である。さらに、国の最⾼機関である国会が関わる余地は、内閣府設置法からはなんら⾒えてこない。ここに⼿続き上の明⽩な違反があり、これは法治主義に違反することになる。しかし、形式だけを整えても、国葬は実体的に憲法に反する問題をもっている。

4 内閣官房⻑官の説明では、「国葬の当⽇公⽴学校は休⽇にはしない」とあるが、政府が実施しテレビ放映による映像が流れることによって、社会が受ける反応には⼤きな影響が起こりうる。国⺠に時間を指定して哀悼の気持ちを求め、公的機関での半旗の推奨もありうる。現時点で、⽂部科学⼤⾂が国公⽴⼤学に求めている「国旗掲揚」の⾏政指導が、強く、広範囲で実施されるおそれがある。こうしたことは全て⽇本国憲法19条が保障する「思想・良⼼の⾃由」に抵触することになりかねない。この⾃由は「内⼼の⾃由」に当たり、個⼈の思考の核⼼部分を保障するものであり、これへの制約は厳しく審査されなければならない。とくに、学校⾏事として国葬への参加が強制されることのないように気を付けなければならない。場合によっては、憲法20条に保障された信教の⾃由や21条に保障された表現の⾃由を侵害することにもなりうる。こうした国葬は強制がなんらないと⾔われるが、⾃⼰の信念に反する国葬が実施されるという事実をもって、国⺠の各⼈がもつ⼈としての在り⽅、「個⼈としての尊重」(憲法13条)への侵害が⽣じるおそれがある。

5 財政的には現在試算がされているが、これを財務⼤⾂は予備費から⽀出するとしている。しかし、警備も徹底するとなればかなりな費⽤を必要とするであろう。⾦額の問題もあるが、問題は予備費の使われ⽅にある。本来は⼤災害、コロナ対応等の不測の事態にあてるべきであり、国会での審議を求めるのが筋であろう(憲法83条)。また、公費をすでに私⼈となってしまった個⼈の死に振り向けることには、その妥当性がないといえるのではないだろうか(憲法89条)。宗教性を払しょくして⾏うとしているが、個⼈の死に関係することであるから宗教儀式の⼀環と受け⽌める国⺠も多いはずである。これを国家が私⼈に代わって国費で実施することが異常なのであり、国が実施することに格別の政治的な効⽤があると推定されてしまう(憲法20条3項、89条の政教分離原則)。もしも、国葬をもって死者を必要以上に美化し、それを国⺠の記憶に残し、政治的効果を意図し、現政権の継続を願うものであれば、そのことこそ国家の⾏為を厳格に制約しようとする、⽇本国憲法の⽴憲主義の構造に反することになるおそれがあると考えられる。

2022/08/01

ウトロ平和祈念館

 打った記事が消えちゃった。数日間、西の方に。姉の様子を見に行ったり。義姉夫婦にも会いたかったけどよんどころない事情でかなわず。ちょっと、イレギュラーな形での学習会の参加もあり、いろいろ刺激を受ける。オンラインで土佐の高知のシンポも少し聞いて、あまりにも現場のしんどさに胸がつぶれる思い。ほんとうに何とも言えないような事態が広がっているということは、学習会でもだされたこと、この国、この社会はどうなってしまうのか。そのことは、もっともっと考えないといけないと思う。

 緊急のインタビュー③の資料を読み切り、内容を決めるやりとりもする。あわただしく時間は過ぎるが、2カ月半と少しぶりにオフタイムもとる。1日完全オフにはならないが……、それでも日をまたいで、1日はオフ。そんななかでウトロ平和祈念館に行ってきた。何と、開館4000人目ということで、記念にパンフレットをいただいた!!!

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 ウトロのことは、知っているつもりだったけど、その歴史について、知らないこともたくさんあった。とりわけ、そのたたかい、ここで生きた人も思いが強く押し寄せてくる祈念館だった。ちょうど、研修に来ていた集団もあり、副館長の金秀煥さんの解説もしっかり聞かせていただいた。ヘイトクライムの標的となった放火現場はほんとうにつらくなる。一方で、すごく、心に残ったのが韓国の民主運動との合流のこと。韓国の人たちは、この問題が、65年の日韓請求権協定の問題だと、自分たちの問題だととらえて、韓国政府を動かした。それが、写真にある、セウォル号の被害者の若者たちにつながっていく。これがウトロ広場にある。ほんとうに充実した時間となった。

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