批判される「権力批判」
日々の気温の変化も激しく、かつ、朝夕の寒暖の差もある。なかなか、体がついていかないなあというのが実感。
団地の桜、工場近く・都内の桜、ベランダのチューリップ、駅前の温度計。
さて、今日で工場籠城は終了。今月は、さらに疲労度は半端ない。ご協力いただいたみなさま。ありがとうございました
感謝感謝です。
昨日の「朝日」の耕論を見ながらいろいろ考える。
(耕論)批判される「権力批判」 両角達平さん、富永京子さん、松元ヒロさん(朝日新聞)
野党は「政府の批判ばかり」と批判され、デモに参加する人は「意識高い系」などと揶揄(やゆ)される――。日本ではいま、権力を批判し、物申すことが忌避されてはいないか。なぜだろう?■変わらぬなら波風立てず 両角達平さん(若者政策研究者)
ネット言論を見ていると、政府を批判することへの批判、さらにそれに対する批判などが堂々巡りで繰り返されていますが、参加しているのは全体からすれば少数派でしょう。そんな風潮の根底にあるのは、社会を変えることへの無力感だと考えます。……
人選がとてもきちんと議論できる人なので、安心して読めるものだったけど。
そこから考えるのは、これは「権力批判」についてのことだけど、それにとどまらず、人との間で、議論することそのものを避ける傾向もひろがっていないかとも考えてしまう。もちろん、強圧的な態度で意見を言うことなどは論外ではなるのだけど……。うけとる側のことを考えて、議論すべきことも言うまでもないが、だからといって、議論や批判がなされなくなると、それはそれで、認識が深まらないことになってしまいかねない。その難しさをいろいろ感じる。
上記のことは年齢の差があるときに生じることが多いけど、さらにいうと、年齢にかかわりなく、けっこうコミュニケーションをとることそのものがむずかしくなっている感じもする。ごく近い人とも、ものごとをありのまま見るということにかかわって、なかなか言葉が通じないもどかしさを最近よく感じるが、さらに少し距離のある人と、いろいろなことを共有して話をするということのむずかしさも感じるこのごろ。
もともと、民主主義と言うものはものすごく、労力も手間をかかるし、スキルも必要なことなのだと思う。ある側面で、日本の社会はそういうことを積み上げていく努力が不足しているのだろうなあとも感じるところ。もう少し、腹を据えてとりくまないとなあ。
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