« 白曼殊沙華の花をパチリ | トップページ | 「コロナ禍における社会の分断:ジェンダー格差に着目して」 »

2021/09/18

「歴史認識と植民地責任」と「心はつらいよ、他者は遠いよ」

 今朝の早朝仕事は、台風直撃で、車で配達する人が代わってくれました。感謝です。やはり疲れているのか、朝、結構、寝過ごしました。

 今日は、引き続き、提稿作業から。4本提稿して、残りはあと4本です。ハラハラするものも数本あります。

 午後からは、学術会議のシンポ。「歴史認識と植民地責任」 。

284s03151

 愼蒼宇さんが「朝鮮近代史研究の立場から」、内海愛子さんが、「戦争責任・アジアにおける戦後補償問題の角度から」、井野瀬久美恵さんが、「世界史的視角――植民地責任と帝国の『記憶』、歴史意識のあり方」。愼さん、あいかわらずキレッキレだなあ。報告のそれぞれを聞きながら、植民地支配というものが、一定の期間、矛盾を顕在化させながら体制として継続し、おこなわれるもので、その全体像からその責任をみつめる必要性を考えさせられた。その分、それは根深く、解決は容易ではない。朝鮮半島の植民地支配における植民地戦争の継続と抑圧、そのことが戦後、なぜ解決しないのか。ヨーロッパでの植民地主義の反省と、しかし、イギリスにおいても、それが継続しなく現実。いまなお、世界的にも植民地主義の克服は大きな課題であるし、そのなかでの日本の問題を考える必要があるということか。

 夜は、 家事をしながら、『他者の靴を履く』『心はどこへ消えた?』(文藝春秋)W刊行記念 ブレイディみかこ×東畑開人トークイベント 「心はつらいよ、他者は遠いよ」 を聞く。

51yewk26shs_sy291_bo1204203200_ql40_ml2_ 81yehsaldnl_ac_ul320_

 どちらかというと、ブレイディさんが全開。東畑さんは聞くのがうまいなあ。仕事柄。ブレイディさんのアナキズムについての考え方がよくわかった。彼女の本を読むようになったときに感じた、新自由主義の親和性のような感じだとか、それがいま、なぜそう感じないのかとか、アナキズムの基本とか、そういうところはよくわかった。それを、いまどう考えるべきか。個人というものをどう考えるかは、いつの時代も難しい問題。いずれにしろ、2人の話から、ちょっと刺激を受けたことがある。この2冊。ちゃんと読み切らなければなあ。弱った、弱った。

 今日の朝顔。
20210918_091402

 

 

 

« 白曼殊沙華の花をパチリ | トップページ | 「コロナ禍における社会の分断:ジェンダー格差に着目して」 »

日記」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

読書」カテゴリの記事

政治」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 白曼殊沙華の花をパチリ | トップページ | 「コロナ禍における社会の分断:ジェンダー格差に着目して」 »

無料ブログはココログ
2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30