沖縄タイムスの樋口陽一さんのインタビューを読んで……
今日も、電車は混んでいる。午前中から、座談会①原稿。かなりの形のところまで持っていく。明日の午前中に仕上げにかなりたいなあ。今日は、会議と打ち合わせの日だったのだけど、その合間をぬって、相談のキャッチボールも、いろいろ国会の状況を聞くと、なかなか、歯止めが効かなくなっている感じがする。いろいろな政策問題、提出されている法案に対しての、運動や議論がなかなか広がらないから、よけいにそうなっているのだろう。このコロナ禍で、国会の形骸化がさらにすすむのだろうか。うーん。
さて、今日、沖縄タイムスを読んでいると、樋口陽一さんのインタビューが載っていた。立憲主義とかかわって、「個の確立」が強調される。憲法13条の個人の尊重は、あくまで、強い自立した個人を前提とするということなのだろうと思う。先日、clubhouseで、清末さんの議論を聞いていたら、個人の尊重と24条の個人の尊厳の違いを強調されていた。彼女の解釈は、個人の尊厳は、ドイツ基本法の「人間の尊厳」に近い。人として、侵されることのない大事なものということなのだ。だからこそ24条は、自由権と社会権をつなぎ、社会権を切り開くということなのだろうと思ったりした。そこ個人は、むしろ弱い個人も包摂する。その人たちの権利としてあらわれている。そこのは、とても共感するし、未来も感じるのだけど。
朝日の鮫島浩さんが、「新聞記者辞めます」で、数日前、野党はなぜ弱気かについて書いていた。いまの有権者は、与党3、野党2、無関心5だと言っていた。野党が勝てないのは、この無関心5の代表になれないからだと。そしてその無関心の人々は、「怒り」から「あきらめ」になった人だと。エリートではない「あきらめた人」にどう接近するのか。そういうことと、先ほどの弱い個人も包摂する、個人の尊厳の視点は、何か関連もあり、そこにはヒントも転がっていそうだ。「あきらめた人」が、自分の日常にある、目の前にあることがらから、何らかの気づきをとおして、先にすすんでいく。そのことをいっしょに考える活動が必要なのかもしれない。そんな場や、つながりをいろいろ悩みながら、つくっていく工夫がもとめられるのだろうなあ。
今日もclubhouseを聞く。かなり立場に違いがある人たちの議論。良心的なのだろうけれども、見えることなのか、取り上げることなんか、あえて、見ないふりなのか、見えないのか。一致点をしっかりつくるということと、少し下がって冷静に、批判的に見るということと。いろいろな難しさも感じながら、いろいろ考えなきゃなあと思った次第。脱皮が求めらる時代、変化が求められる時代、自分に何がどこまでできるのか、沈んだ気持ちにもなるけれども。
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