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2021/03/10

東京大空襲の証言ビデオ 20年以上放置 300人超の証言が封印の恐れ 都平和祈念館計画凍結で

 今日は、インタビュー②原稿整理。ひたすら机のうえのパソコンに向かう日だからそれはそれで鬱々するなあ。運動する気力と気持ちの余裕もないしなあ、と。それなりに集中はしての仕事だけど、鬱々とした気持ちの時は、からだも好きっとしない。なんか、体のなかにたまっている感じだねえ。
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 うーん、しかし、やらなければならない仕事に優先順位をつけて、もう少し、堅実な仕事の歩みをつくらないとダメだなあ。とりあえず、もっと、本を読んだり、資料を読んだり、企画を蓄積する作業をできるようにならないとなあ。これは、つよい反省だけど、かなり、強い気持ちをもたないとできないなあ。この余裕のなさのなかでは。よし、もうちょっと、前へ!

 さて、テレビは、やっぱり3・11に向かっているという雰囲気。だけど。今日は3月10日。そんななか、次の記事が目にとまった。

東京大空襲の証言ビデオ 20年以上放置 300人超の証言が封印の恐れ 都平和祈念館計画凍結で(東京新聞)
 東京都が記録した東京大空襲など戦争体験の証言ビデオ300本以上が倉庫に放置され、活用されない状態が20年以上続いている。当初展示予定だった「都平和祈念館(仮称)」の建設計画は凍結。都は別の方法での公開には「本人同意が必要」とする一方、意向確認は進めていない。10日で大空襲から76年。証言者が高齢化する中、「無責任」と批判の声が上がる。(岡本太)
◆祈念館凍結で公開も立ち消え 都、公開の意向確認の予定なし
 「みんな自分の経験を後世に伝えたいと思って、必死に話している。埋もれさせるなんて」。証言者の1人で、作家の早乙女勝元さん(88)は、語気を強めた。
 証言ビデオは1996~99年度、当時都が建設を目指していた祈念館での公開を目的に収録した。330人分が集まったが、日本の加害についての取り上げ方など、祈念館での展示内容や歴史認識を巡って反発があり、都が99年、建設の計画を凍結。ビデオの公開も宙に浮いた。
 都の担当者は「祈念館での公開を条件に集めたもので、本人の同意なしに、それ以外の目的では使えない」と説明する。
 記録した330人のうち9人は同意を得て、空襲関連の展覧会で部分的に公開しているが、残り321人については「祈念館での公開が前提」という原則を強調。意向の確認をする予定はないという。
 祈念館建設は意見が分かれたまま、見通しが立っていない。……

 この問題は、ずっと問題になってる。しかし、なかなか動かず、資料は倉庫のなかに埋まっている。ふと、東京都現代美術館(MOT)の2016 キセイノセイキ 展のことを思い出した。表現規制がテーマになった美術展だったのだけど、《爆撃の記録》という作品は、作品展示が全くなかった。これがインパクトを与えた。これは東京大空襲の記憶を後世に継承しようと、市民による設立運動で建設が計画された展示館。しかしその展示内容が加害の歴史を含むことから、保守派からの反発にあい、予算の執行が凍結されて現在に至る。展示は、一見何もないおうにみえて、キャプションが点在する。5040点の戦災資料の目録から作成したキャプションだ。設営は、東京大空襲を知る75歳以上を中心とした住民に協力してもらい、彼らの自発的な行動や言動映像に記録し、「作品展示がない」空間に展示していた。

 空襲と孤児の戦争はいまだ終わったわけではない。この日は、いろいろな形で記憶していかなければいけない。



 

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