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2020/08/09

「教育のつどい」のWeb分科会「教育課程・教科書」

 朝から、仕事にとっかかるまえの家事。ベランダに行くと、朝顔がいくつか咲いている。やっとそれらしくなってきた感じ。

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 今日の話の前に、昨日のETV特集。長崎の原爆孤児の話。

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原爆投下後の長崎を訪れた米軍カメラマン、ジョー・オダネルが撮影した「焼き場に立つ少年」。近年ローマ教皇によって取り上げられたことで世界から注目を集める写真だ。しかし撮影から75年経つにも関わらずその撮影日時や場所は謎に包まれたまま。番組では米軍が戦後九州で撮影した約4千枚の写真を主な手がかりに写真を多角的に分析。原爆孤児らの証言をひもときながら「焼き場に立つ少年」が生きたはずの戦後の日々を見つめる

 孤児たちの戦後史の意味を考えさせられた。原爆の被害もそうだけど、孤児となった後の戦後の行く手の酷さを考えさせられる。証言者の「言いたくない」という言葉が思い。若くしてなくなっていくきょうだい。どれだけつかかったかと、証言者は涙する。そこには、この孤児たちを棄てた、国の責任があるはずだ。最後のオダネルの言葉がさらに重い。原爆は誰も救わなかった。彼は、原爆投下の誤りを認めるようになる。

 さて、今日は、朝から、対談原稿、作業は第三段階には入っている。いろいろ予定が入ってきて、一気に仕上げに向かえない。うーん。

 午後からは、「教育のつどい」のWeb分科会「教育課程・教科書」。いろいろな論点があり面白かった。若い先生の実践に励まされる。若い先生が、子どもの実態と向き合って、ストレートに、では、どのような子どもの成長をめざすのかを考え、教科と教科外の行事を組み合わせて、教育課程づくりに向かっているのがすごいなあと思う。時数の工夫などもそのうえにあっておこなわれる。ああ、ストレートに、こういくのかというのは、驚きでもあるのだ。大阪はいろいろたいへんだけど、びっくりするような実践が出てくるんだよなあ。

 授業づくりと子ども理解の関係の議論もおもしろかった。子ども理解を軸にした実践に対して、教科の観点で疑問が出されたという話。この2つの観点は矛盾しないのではという問題提起があっての議論。ボクが考えさせられたのは、この「子ども理解」をめぐって、いろいろおこっているということ。現場の問題としてはスタンダードなど、子ども理解を重視しない状況があるということもあるけれど、これまでの教科教育そのものが曲がり角にきているということもある。社会の変容、子どもの変容から、キーコンピテンシーなどの議論がはじまったわけで、もちろん、それは日本に持ち込まれる過程でかなりの歪みがつくられているにしても、やはり従来の議論では教科の議論は無理なわけで、そのときに、子ども理解に立ち戻る必要があるということなのだと思うのだ。子どもの事実、子どもの成長の姿をとおしてこそ、スタンダードに対してた対抗できるのではないか。だから授業の中の子ども理解なのだと。少なくとも、学習指導要領の文面では、その社会と子どもの変容を前提にした実践を求めている。それが極めて一面的なものであっても。だからこそ子ども理解をベースにした、教科の授業実践の新しい形というものが求められているのだろうと思う。学習指導要領をめぐる問題、そして、学校で教育課程を子どもの実態から出発してということと、合わさってくるのだなあ。

 そして、教科書の問題も含め、文科行政と、政府全体、政治とのかかわりの構造をどう理解するのかがいまは結構大事なんだろうと、とても思った議論だったなあ。結構、充実した議論だった。

 そんなことをしながら、原稿整理はすすまないよう。家事もこなさないとと、結構結構、あわただしく一日が終わっていった。

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