思考の営みが停滞しているのだろうか
今日は、堤稿作業からスタート。読み込みながらの作業で、結構、時間がかかる。それを2本。相談・発注のメールを数本、催促と相談の電話の数本。ゲラを執筆者に送ったり、細々した仕事で、どんどん時間がたっていく。それでも、先の仕事にやっと少しずつ手がついてきたという感じかなあ。
1カ月ぐらいの新聞をもう一度めくってみると、明らかに、一般紙の新聞編集も、非常に狭くなっている。コロナ禍で取材が制限されるようになって、話題も、内容的な掘り下げもとても限定されたものになっていると実感させられる。ほんとうは、さまざまな問題を投げかけているわけだけど、われわれのがわの思考の営みは、停止とまでは言わないけど、ものすごく限定されたものになっているということをものすごく考えさせられた。でも、どう考えればいいのだろうか。
たとえば、よく、コロナ禍での「孤独」「孤立」という言い方がされる。だけど、ほんとうは、コロナの前から、この社会で、人は「孤独化」し、「孤立化」しているのだと思う。コロナ禍がそれをいっそうわかりやすくした、顕在化したということなのだろうけど。その現代の、「孤立化」「孤独化」というもについては、もう少し、深めた方がいいのかなあとも思ったりするのだけど。
つまり、きちんと考えなければならないことが、コロナを理由に、その思考の営みが停滞しているのだろうかなあ。
まあいよいよ最終局面で、最終局面になると、細々した仕事が多いが、まだ、インタビューも残っているという緊急事態でもある。まだ、届いていない原稿も三分の一ほどあるし、うまく乗り切れるか? 体が緊張してこわばる。結果、体調は最悪というのが実際。体の緊張を強く感じるほど、体が固まっているというのがつらいところ。がんばれ自分。この局面は、動かないで仕事しているのに、気持ちにも、時間的にも余裕がないから、散歩もなかなか難しい。気分転換が難しいなあ。
それでも、ベランダの草に水をやりながら、少しいいやされる。ちゃんと育つかなあ。5月の後半に、あらためてベランダに花を植えた。
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