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2020/04/18

問われているのは大学のおける知のありかた

 学生の実態の深刻さの話はよく聞く。学生にアンケートをとった大学では、「不安を感じてている学生は8割以上、経済的影響があるとした学生は3割に上っている」とか、ある大学では、「新型コロナの流行で、学生の約6割が、1か月あたり収入(奨学金・仕送り含む)が減少したと回答。4割以上収入減少した学生は実に40%近くになり、全くゼロになったという学生が8%もいる」。

 そういうなかで、和歌山大学の学生さんの訴え(コロナウィルスによって先行きが不透明な状況下で、授業料を徴収しないで下さい)

が話題を呼んでいる。これまで、文科省は、さんざん、受益者負担主義を言ってきたのだから、受益が「なくなっている」状況下で、こうした学生の声が出てくるのは、至極当然ではある。

 ただ、この議論だけで、学生の利益が守られるかというと、なかなか難しい。ともすれば、この時期に、大学が学生への教育に責任をもたないことを免罪しかねないし。

 そもそも、学費・授業料は、本来的には、授業や施設利用の対価ではないはずだ。それを、受益者負担主義という世界の流れとは、まったく違うような方向にすすめてきたことへの矛盾があらわになってきている。大学のほうでも、そういう意識にからめとられていなかったのかということへの自己点検も求められているのではないか。大学の学問というのは、もっと公共的な価値、人々が共有すべき知の営みであるはずだ。だからこそ、公費なのだ。

 だから、こうした困難なときであるからこそ、大学のおける知のありかたそのものが問われているのではないのか。たとえ、授業がなく、大学の構内に入れなくても、教員と学生のあいだで、こうした知の営みがなされるべきではないのか。そうすると、また学費・授業料に対して、ちがったものが見ててくるにちがいない。

 たとえば、いま、さかんにトリアージということが言われる(今日のNスぺでも出てきましたねえ)。「命の選別」が現実のものになりつつある。では、そこでは、優性思想が席巻をするのか? そうではないはずだ。まさに、そこでこそ、「人間性」が問われる。最大限、人間的な営みがつらんぬかれる、そのために、この危機の時代に社会はどうあるべきなのか? それこそが、知のありようではないのか。そんなことをつらつらと考える。

3

 ちょうど、今朝、「イントランスの時代」という神戸さんがつくったドキュメンタリーを放映していた。神奈川県相模原市の障害者施設で46人を殺傷した植松聖被告に、RKB東京報道制作部の神戸金史(かんべ・かねぶみ)記者が6回接見取材し、その内容を再現。重度障害のある子を持つ神戸記者へ向けた植松被告の言葉には、憤りともどかしさを感じてしまう。「イントレランス」とは、事件からちょうど100年前の1916年に公開されたアメリカ映画の題名で「不寛容」という意味。古代バビロンから現代のアメリカまで四つの時代の物語が描かれ、「世の中から寛容さが失われた時、悲劇は起こる。いつの時代も、どの国でも、それは変わらない」がテーマとなっている。寛容さが失われてきているように見える現代。誰もが心の中に潜ませている差別の刃は、表に出ると攻撃される人々にはとてつもない苦しみを与えてしまう。心の中のナイフをどう扱うべきか。番組では、さまざまなイントレランスが生み出されている現代社会の姿を描く。

 今日大雨の中、早朝仕事。少し早めに。それから二度寝。自宅で、メールのやりとり、資料読み。原稿読みなど。

 夕食は、メンチカツ、きんぴらごぼう、キムチ、ほうれんそうの和風ソテー、スープ。

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