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2020年2月

2020/02/23

ファーストラヴ

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 公認心理師の主人公・由紀(真木よう子)は、出版社から話題の「女子大生の父親刺殺事件」のルポの執筆依頼を受ける。容疑者・環菜(上白石萌歌)が取り調べで「動機は見つけてください」と警察に言ったことで、波紋を呼んだ事件だ。
 環菜の国選弁護人で、由紀の義弟でもある迦葉(平岡祐太)からも協力を請われて、由紀は環菜と面会し、カウンセリングのような形で、環菜の家族に何があったのかを突き止めようとする。しかし、環菜は正直に話しているかと思えば、嘘を言い、時には感情を露わにして、由紀を翻弄する。環菜の心に触れることは、由紀自身の辛い過去と向き合う作業でもあった。
 真相を探る中、明らかになる環菜と殺された父親、さらには母親・昭菜(黒木瞳)とのゆがんだ親子関係。隠され続けた家族の秘密。そして、環菜はついに「初恋」について語り始める。果たして環菜は、本当に父親を殺したのか。由紀がたどり着いた真実とは―。

 この手のドラマは、たぶんに心理主義的。人間関係が親子関係に矮小化されていく。社会的な人間の造形がなくうすっぺらい。

 だけど、ある面では、自分を見ているようでつらかった。つらかった。

車中の人々 駐車場の片隅で

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 私たちに身近な「道の駅」。実は夜になると様相が一変する。片隅に目立つのは目張りをした数々の車。長期にわたり駐車場を転々とする「車中生活者」の車だ。レジャー目的とは違い「年金だけでは家賃が払えない」「DVから逃れるため」など、それぞれに深刻な事情を抱えていた。小さな車に家財道具を満載し、狭い車内で身体を丸めて眠りにつく。
 公式な統計はなく、NHKが全国の道の駅などを独自に徹底調査。すると、車中生活の末、体を壊し、命を落とす事例も出てきていることがわかった。ある道の駅の従業員は「もはや車中生活者の死を珍しいと思わなくなった」と明かす。
一方で車中生活者=貧困と、ひとくくりにできない一面も浮かび上がってきた。ふとしたきっかけで社会や家族から逃避し「車という逃げ場」に駆け込み、安住する人々がいた。
 社会から離れ彷徨い続ける車中生活者。その存在は社会の何を反映しているのか?徹底した現場ルポで迫る。
【語り】玉山鉄二

 

 どう受けとめればいいのか。問題は、ホームレスではあるが、同時に、ひきこもりの様相もある。問題の所在は多様であり、根底に貧困がありつつ、複雑である。しっかり向き合って、社会のありようを、考えなければいけない問題。

2020/02/11

「建国記念の日」に反対する2・11集会

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 朝、起きて、9日ぶりの掃除。キッチンとリビング、それから風呂やトイレ。作業部屋の整理や新聞の整理。それから、2・11集会へ。結局、日本橋公会堂に行ったけど、松戸で、趙景達さんの講演もあったので、最後までどちらに行こうか迷った。

 日本橋のメーンの講演は、加藤圭木さん。彼の話の筋はきっぱりしている。日本の植民地支配の不法と犯罪性をしっかりみすえる。もう一人は、千坂純さんが、安保のもとで、日米同盟と日本の軍事化がいまどうなっているのか、自衛隊のいまの状況もふくめてのお話。いろいろ企画の話を仕入れる。まずまずの成果。

 ただ、参加者がめっきり少ないなあ。高齢化がさらにということだろうか。だけど、その状況は、今後のうちの雑誌の状況をしめしているのだろうか。その打開の方向はまだ見えてこないなあ。ただ、わかりやすさ、たんなる「言葉」だけでは、打開できないとはまだ思っている。

 なかなか、気持ちが安定しない。どうすればしっかり日常をおくれるかなあ。

2020/02/10

しばしの…… 北の地へ

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 ちょっと、危ない感じだったので、先週の後半は、東京から脱出した。正月三が日からはじめてのオフ。ほんとうに働きづめだったので……。とりあえず冬の釧路湿原の散策。タンチョウヅルやオオワシと出会ったり。癒しの空間である。

 翌日は一転して、囚人労働ツアー。釧路には、集治監というところがあって、ここに囚人たちが集められ、強制労働がおこなわれていた。硫黄山があり、そこでの採掘も囚人がおこなっていた。安田財閥の安田善次郎がつくった硫黄運び出しの鉄道もそうだし、この地域の道路などもそうだ。安田善次郎といえば、富山である。うちの相方の育った家のあった場所の近くには安田公園があり、安田の生家があった場所。そんなつながりも発見。さらに言えば、集治監はその後、網走監獄に吸収されるのだけれど、そのあとには軍馬の育成所となり、戦後は、そこに、満洲から戻った開拓団の人たちが、移植することなる。極寒の地での開拓は、ほとんど成功はしないのだろう。ほとんど、跡形もないようなのだけれども。いずれにしろ、北海道には、朝鮮人などの強制労働の裏側に、こういう歴史がある。

2020/02/06

プロフェッショナル 仕事の流儀「虐待・貧困支援 高橋亜美」

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 高橋さんのお話しは、何度か聞いたことがある。相方が、パネラーとして同席したこともあるし、学生さんたちをつれてお世話になったこともある。ボクも本も読んでいる。しかし、知らないことも多かった。「寄り添う」ということがテーマ。児童虐待をうけ、大人になってなお、かつて受けた虐待の傷に苦しむ人を支援する。養護施設を出る18歳を超えると、社会的支援の仕組みがない。そうしたなかで、つくられてきた自立援助ホームであり、長期わたった支援をすすめるためにつくられたのがアフターケア事業である。彼女が受ける相談の内容は重い。

 支援のあり方も大きなテーマ。彼女の支援は、ある意味で踏み込む。ただし、押し付けではなく。それは、彼女自身の体験ということからもきているのだろうと思う。子どもの頃に受けた傷や、友人の「死」。ここは、自分の問題としてもいろいろ考えさせられる。その自分語りは、いろいろ迫ってくるなあ。

 若者の生きる世界が変容しているなかで、支援のあり方も考えさせられる。それも、少し、考えた。

 まだまだ、知らなければいけないことも多いなあ。

2020/02/03

子どもの貧困対策法・大綱の見直しを受けて-市区町村の子どもの貧困調査を考える

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 久しぶりになくそう!子どもの貧困ネットワークの取り組みに参加してきた。子どもの貧困基本法が改正され、大綱ができ、この分野の取り組みは大きく前進している。素人目にも、子どもの権利に言及され、意見表明などに触れられているだけでも画期的だ。ただ、法律そのものは、政府をしばらないもの。そこから大きな課題が生まれるのだけど、地方自治体、市町村で、「計画」策定が「努力義務化」されたことで、地方の取り組みが注目される。調査をおこなって、計画へ。昨日の集会では、鹿児島市、越前市、世田谷区が取り上げられていた。その取り組みはなるほどなあと思わせる。とりわけ、越前市は、規模がいちばん小さいこともあり、要対協などとタイアップして、相対的には手が届くという感じはする。

 ただ、課題は、やはり多いなあと感じる。親世代の貧困の様相が大きく変わってきているはず。そこに追いつくような議論になっていくのはかなり大変な感じがする。子どもの実態も深刻、子どもを痛めつける要素も複雑になっていることにどう向き合っていくのか。とりわけ、教育などの問題は、いっそう複雑。どうしても、旧来的と言えばいいのか、わりあいとこれまで取り組まれてきたモデル的な事業から、まだ、出ていってない感じもする。そういう意味で、まだまだ、始まったばかりの取り組みであるということが大事なのだろうし、さまざまな探求が必要なんだろうな。そういう視点で、探求していくことが大事なのかなあなどとも思ったりした。

2020/02/02

幸福な監視国家・中国

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 中国のIT技術の進行は、格段のものがある。この本の主題ではないが、とりわけ軍事の面ではそうだと思う。

 そのIT技術を駆使した監視社会をどうみるか。そこで作られるビッグデータ。それは安定した秩序ある社会をつくるというわけで。なるほどなあ。しかし、そこには、「公」と「私」の関係の問題があるという。その関係の中で、民が、権力を通じた介入を望むという。そのなかで、民主主義がどう位置づくのか。ボクは著者たちの言うほど単純じゃないとは思っているのだけど。

 暴走ということとともに、それだけにもとどまらない課題はあまりにも大きい。そのことは、ちゃんと見ないとなあ。いろいろ考えがえさせられる本だな。

 

吉田裕先生最終講義 自分史の中の軍事史研究

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 吉田さんの最終講義に一橋に行っていた。ボクが最初に吉田さんといっしょに仕事をさせてもらったのは、ボクが20代のころ、吉田さんはまだ30前後だったと思う。それから35年ほど。結構、たくさんの仕事をお願いしてきたが、ここ15年ほどはかなりの頻度だった。

 もともと、20代のころに、藤原彰先生と仕事をさせていただいた。藤原先生のお宅にも何度かうかがった。ものすごく、貴重な体験。藤原先生の業績をまとめた、藤原・吉田対談は、ものすごく貴重な体験だった。

 吉田さんの最終講義は、自分史をふり返りながら、軍隊や軍事というものにどう関係してきたのかという視点から、軍事史研究の変遷をみていくという趣向。3つ違いという比較的同世代だけに、体験というものはよく重なっている。軍事とのかかわりもそうだし。どのように平和と軍事を考えてきたのか、個人的な体験とかかわりながら、どのように問題意識が変化してきたのか、など、自分のことも振り返りながら、共感しながら聞いていた。戦争への強い怒りは、やはり、そのベースにはある。

 長く、仕事をさせていただいたので、迷惑もいっぱいかけてきたし、いろいろ甘えてしまったことも多い。ほんとうにご苦労さま。また、今後もたくさんのことを学ばせてほしい。いずれにしろ、この経験は、ボクの宝ものでもある。

 

 

 

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