安倍首相が珍答弁 「募っている」けど「募集」ではない
募っているけど募集はしていない――。28日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相から「桜を見る会」をめぐる「迷答弁」が飛び出し、現場は騒然となった。
首相の地元事務所名で、同会を含む観光ツアーへの参加を募る文書が地元有権者に送られていた問題で、共産党の宮本徹議員が文書を示しながら「この文書は見たことがなくても、募集していることはいつから知っていたのか」と追及した。すると、首相は「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と述べた。
宮本氏は厳しい表情で「私は日本語を48年間使ってきたが、『募る』というのは『募集する』というのと同じですよ。募集の『募』は『募る』っていう字なんですよ」と諭した。だが、首相は「ふさわしい方ということでいわば募っているという認識があった。例えば新聞などに広告を出して『どうぞ』ということではないんだろう」などと苦しい説明に終始した。
笑いとばせばいいことなのかもしれないが、でも、国会という場で、こうも議論というものが成り立たなくなった姿を見てボクらは、どう考えればいいのだろか? 今後、政治にどう向き合えばいいのか? かなり深刻な問題が突きつけられている気がする。
では、なぜ、こんなことが許されるのか? なぜ、安倍政権は支持されるのか? 一義的には、メディアが伝えないから。それはそうだろう。消極的支持で、対案が見えないから。などなど、さまざまな議論もなりたとう。一方で、この日本では民主主義が未成熟、熟議もなりたたず、国家の権威にたよって、市民社会には限界があるなどの議論も出てくる。だけど、そう単純でもないとは思うけど、そレへの反論は簡単ではないかあ。
でも、政治的議論は、ほんとうにダメだなあ。選挙の論戦でも、京都のようなことが、平然と行われる。しかし、それへの反撃は、ひろがtっているのは頼もしい。福山さんの「私が当選すれば、赤旗が立つのではなく、保育園が建つ」というのはうまいなあ。
話はまったく違うことなのだが、議論が下手なのは、政治の世界だけじゃない。身の回りの議論でも、ある人の議論に、反発する人が、ちょっと勇んで、飛躍した批判をすることはあろう、それにたいして、逆に、非難をしてしまう。ほんとうはそこには議論すべきこともあったりするのに。ていねいな議論がしたいなあ。そんなことは、ボクの仕事でも、ついありがちなこと。むずかしいことだけどねえ。
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