平成の天皇制とは何か――制度と個人のはざまで
いよいよ代替わりに、いろいろ物事がすすんでいくので、ちゃんといろんなことを頭の中で整理しなくっちゃいけないと思って、きちんと読んでみた。
象徴天皇制というのはとても不思議な制度である。そもそも憲法の規定は、きわめて矛盾したものになっている。主権の存ずる国民の総意といっても、国民が選んだわけではないし、総意ということと、世襲ということの間はなかなか、難しい。では、明仁天皇と美智子皇后は、そこでどんな天皇として立ち振る舞ってきたのか。
あらためて、いまの象徴天皇制ということの内実が、とりわけ平成の時代につくられて、天皇自身や皇后が主導的にその像をつくってきたことは驚かされる。そこで肥大化したのは、公的行為というものであり、さらにいえば、私的行為とされる宮中祭祀も肥大化している。そこから、見えるのはやはりある意味で「君主」としての自覚でもあるのだ。
その像は、かなり日本国憲法の想定とは違う。その危うさと、さらにそれを支える国民意識との乖離という危うさ。平和意識の強い天皇というイメージも、実は政治の大きな枠組みのなかにある。天皇の問題は、やはり政治的な問題。この問題をどう議論していくのか。さまざまな乖離があるなかで、どう議論するのか。しかし、いまだからこそ、あらためて、この問題についてのきちんとした議論をすべきときにあるのは同感。さて、どう料理しますかねえ。
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