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2017/09/29

「軍が強制」の記述は復活せず 沖縄戦の「集団自決」 教科書検定の県民大会から10年

 そうか、あの県民大会から10年か。

「軍が強制」の記述は復活せず 沖縄戦の「集団自決」 教科書検定の県民大会から10年(琉球新報)

 高校の歴史教科書から、沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)での日本軍による強制を示す記述を削除した検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が2007年9月に開かれてから、29日で10年となる。「歴史の改ざんだ」と県民から抗議の声が上がり、文部科学省は07年12月に記述を「日本軍の関与」として部分的に認めたが、「日本軍の強制」を示す記述は復活してない。
 文科省が06年度検定で「集団自決」の強制の記述を削除した背景には、慶良間諸島に駐留していた元日本兵や遺族らが「沖縄ノート」の著者・大江健三郎さんと版元の岩波書店を訴え「集団自決」の軍命の有無などを争った「大江・岩波」裁判があった。元日本兵らが「軍命はなかった」と裁判で陳述した。
 この裁判は「新しい歴史教科書をつくる会」の活動に代表される、従軍慰安婦や南京大虐殺などアジア太平洋戦争での日本の加害性を薄める歴史修正主義の流れに位置付けられる。高嶋伸欣琉球大名誉教授は「南京大虐殺などに続き、歴史修正主義の矛先が『集団自決』に向いた」と指摘する。
 文科省と検定審議会は、裁判でのこの陳述を参考に「沖縄戦の実態を誤解する恐れがある」との検定意見を付け、高校歴史教科書の5社7冊から「集団自決」での「日本軍の強制」を示す記述を一斉に削除させた。県内で抗議が広がり、県民大会には11万6千人が結集し、検定意見撤回と記述回復を求めた。
 県民大会後の同年10月、渡海紀三朗文科相(当時)は再修正を認める考えを示し、各教科書会社も再修正作業に入った。しかし文科省は「強制」の明示を認めず、各社は文案を何度も練り直す。ある社の編集者は「文科省は具体的に『こう直せ』とは言わないが、意図する記述に誘導するように修正を求めてきた」と調整の厳しさを語った。
 結局、07年12月に多くの社が、日本軍が住民に教育や宣伝をしていたことや手りゅう弾を配ったことに触れ、住民が「集団自決」に「追い込まれた」という記述で検定に合格した。
 検定意見の撤回はなされず、07年12月に文科省は「軍の命令によって行われたことを示す根拠は、現時点で確認できていない」とする「検定審議会の基本的なとらえ方」を出す。現在も「集団自決」を巡る記述はこの基準を基に判断されている。
 10年を迎えた今、実教出版教科書の執筆に携わった石山久男さんは「文科省の決めた枠内でしか記述できない。根本的解決には検定意見の撤回しかない」と語気を強めた。

 あらためて、この経過といまの教科書の現状をきちんと確認しておくことは、とても大事だと思う。沖縄からは、『県史』の発行を含め、くり返し、沖縄戦の実相について、日本軍が何をしたかについて、発信をしている。問題は、本土のメディアだと思う。無視するのではなく、どう共有し、みずからが発信していくのか。相当、深刻に考えないといけないと思うなあ。

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コメント

沖縄県民の皆様に置かれましては、大日本帝国軍性奴隷問題の前科を裏付けるような事実関係も残されているのならば、これもまた、逆手に取れば、中国外務省と共に、まんまと騙されたふりをして、韓国が建設し、世界記憶遺産として登録申請しようとする大日本帝国軍性奴隷博物館に、寄贈することにしてもよいのかもしれませんね。

アメリカにしてみれば、国立公文書館でも大切に保存してきた、このような大日本帝国軍性奴隷問題の前科を裏付ける証拠を、この大日本帝国軍性奴隷博物館に寄贈してもらうことにするならば、韓国に置かれましては、これに対する見返りとして、ソウルの日本大使館前をはじめ、韓国国内で、建立している、大日本帝国軍性奴隷問題の前科を裏付ける、「少女の像」を、靖国神社に寄贈してもらうことにするならば、靖国神社に置かれましては、正々堂々と建立し、心置きなく、どんどん涙を流しながら「感謝!感激!雨あられ!天皇陛下有難うございます」ということを誇りとするならば、この感謝の思いというものを、国際社会にも、どんどんアピールして参りますので、靖国神社に置かれましては、どうぞ安心して、心置きなく、、もっともっと、どんどん涙を流しながら、誰一人として参拝する人がいなくなってしまうことになろうとも、もっともっと、どんどん涙を流しながら、どんどん泣き寝入りしながら、どんどんご衰退下さい、ということで、そっと静かに、暖かく見守りながら、応えていくことを誇りとすればよいのではないでしょうか?

これだけのことであれば、憲法9条を亡き者にしてでも戦前の日本を取り戻そうとする魂胆だけが、どんどん打ち砕かれ、そのまま歴史の闇の中に、そっと静かに葬り捨ててしまうことになるだけのことで、この靖国神社そのものの存在を否定するものではないことを根拠とすれば、これに対する全人類からのご褒美として、「憲法9条にノーベル平和賞のお墨付きを賜る」ことになるのならば、これを一つの具体的目標として共有することで、アメリカの言いなりと言っておきながら、これをごまかそうとする魂胆が見え見えの外務省自らが、核発電推進原理主義組織にまんまと騙されて核開発計画書なるものを作り上げたことがバレバレであることを、自ら自白させてやり、国際社会の表舞台で、どんどん涙を流し続けながら、憲法9条にノーベル平和賞のお墨付きを賜ることに対してのみ、「感謝!感激!雨あられ‼天皇陛下有難うございます」ということを誇りとして、どんどん輝かされることになるのならば、これを誇りとして、核発電推進原理主義組織自らが、アメリカの言いなりになって、どんどん涙を流しながら、中曽根大震災の尻拭いをすることを誇りとして頂くのならば、自らのメリットしか考えずに、核武装をしてでも原発にしがみつこうとした魂胆が見え見えの日本経団連自らが、正々堂々と、アメリカの言いなりになって、譲歩するならば、どんどん譲歩して、グローバルj競争なんかには、どんどん一人負けする道を選択し、大企業にとっては、売り上げをどんどん減らし続けることになろうとも、黒字経営を維持できることにこそ、誇りをもって、どんどん涙を流しながら、国際社会の表舞台で、どんどん輝かされることをほこりとして頂ければ、日本国民全体としては、天皇陛下と共に、そっと静かに暖かく見守って参りますから、日本経団連に置かれましては、どうぞ心置きなく、安心して、もっともっと、どんどん譲歩して、どんどんボロ負けすることになろうとも、国際社会の表舞台で、もっともっと、どんどん涙を流し続けながら、どんどん輝かされることを誇りとして、もっともっと、どんどん譲歩して、もっともっと、どんどん涙を流し続けながら、もっともっと、どんどん泣き寝入りすることになろうとも、もっともっと、どんどん輝いて下さい、ということで応えていくことにすることで、日本全体が、どんどん孤立化することになろうとも、名誉ある孤立化をして、国際社会の多極化の流れの中に、そっと静かに適応させていくことで、このまま、ひっそりといないふりをしながら、自立自律していく道を、正々堂々と選択することで、日本社会全体を、どんどん安定化させ、どんどん改善していくことにより、これを国際社会に向けての良いロールモデルとして、どんどん見せつけていくことにすることで、特別な感情を抱きながらの永続敗戦国を逆手に取った、平和孤児国家となることを誇りとして、目立たなぬ国と成り下がりながら、デンマークやスウェーデンあたりをロールモデルとした社会福祉国家となることで、ユーラシア大陸の東側の片隅で、中華圏の端っこで、ひっそりと取り残された弱小島国としてなり下がりながらも、このまま、そっと静かにいないふりをしながらも自立自律していく道を選択することにすれば、大いに結構なことなのかもしれませんね。

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