障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて
うーん。このように描いたか。昨日の番組「日本人は何をめざしてきたのか」を録画で今日見た(サッカーを見ていた)。
戦後、日本は、障害のある人たちとどう向き合ってきたのか。
戦時中「米食い虫」「非国民」と呼ばれ抑圧されていた障害者。戦後、困窮する傷痍軍人への対策をきっかけに初めて公的な障害者福祉の制度が生まれた。1960年代、重度の障害がある子どもの親たちの訴えがきっかけで、国や自治体は「コロニー」と呼ばれる大規模な施設の建設を推進。障害者施設を充実させていった。
ところが1970年代、障害者たちは、閉鎖的で自由のない施設での生活に不満を訴え始めた。都立施設に入所していた三井絹子さんは「施設は社会のゴミ捨て場だ」と、都庁前にテントを貼り座り込んで抗議。そうした動きを後押ししたのが1981年、国連の「国際障害者年」。障害者も他の人と同じように地域で暮らすべきだという「ノーマライゼーション」の思想が流入、国の政策も施設から地域へと移り変わっていく。元厚生省障害福祉課長の浅野史郎さんは、「これからは地域福祉だ」と制度作りに邁進。宮城県知事に転身後は、知的障害者施設の“解体宣言”を公表した。
今年4月、「障害者差別解消法」が施行される。障害による差別をなくすため自治体や企業、一人一人の意識改革が求められる。高齢化が進み、誰もが病気や障害と無縁でなくなりつつある今、戦後の障害者政策を当事者や政策立案に関わった人たちの証言をもとにたどり、障害のある人もない人も共に暮らせる社会へのヒントを探る。
描いてほしいことって、もっとたくさんあるのだけど。
たしかに、青い芝の会が向き合ってきた問題は、ボクらが向き合うことが求められていたことではあったのだ。そのなかで、さまざまなとりくみがあったのだけど。それは「さよならCP」もそうではある。いかに、健常者の目線でしか、障害の問題が語られなかったのか。それが、自立支援法にまで続いていく。
権利条約の時代に、それでも公的な責任が後景に追いやられようとしている時代に、考えなければならない問題でもあるのだけど。私たち抜きで私たちのことを決めないで!
だけど、さまざまな議論があった。いま、では、大きな歴史のなかで、そして、現在直面している問題に向き合う中で、青い芝の会の歴史をどう位置付けるのか。自分としてどう考えるのか。いろいろ割り切れない思いや、考えなければいけないという問題を感じながら、なかなか難しい宿題をつきつけられた感じの番組だなあ。大きな共同の先駆けとなったとりくみでもあるしなあ。
だけど、もっと、もっと、描いてほしいことが多かったというのも率直な思いでもあるのだけどなあ。
ただ、かつての時代の保守は、懐が太かったというのは痛感させられる。とりわけ70年代初頭の福祉への向き合い方。これも考えさせられるなあ。
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