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2015/08/09

“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~

 今日のNスペは、長崎。

Img_01_5敗 戦から4年後に撮影された1枚の集合写真。写っているのは、長崎原爆を生き残り、その被爆体験を手記に残した37人の子どもたちだ。NHKでは35年前の1980年、この37人を訪ね、被爆を乗り越え懸命に生きている様子を記録に残した。あれから35年―。
 再びこの37人の足跡をたどり、平均年齢が78歳になる“あの子”たちの戦後から現在までを見つめる。「もう思い出したくない」と過去を語ることを拒む人。「いまでもアメリカを許すことが出来ない」と激しい怒りをぶつける人。中には「生きることは地獄だった」と家族に語り、亡くなっていった人もいた。その一方で多くの人が「自らの命の残り時間は少ない。次の世代に何か残さなくてはならない」と考え、複雑な思いの狭間で生きていることも分かってきた。一体何が、彼らを70年間苦しめ続け、今、どのような思いで生きているのか。あの日のことを忘れ穏やかに死にたいという願望、今なおさまざまな問題が降りかかってくることへのいらだちや孤独感。原爆に翻弄されながら生きるしかなかった彼らの人生を見つめる。

 ブログでも何度も書いているけど、ボクにとっては原爆というのはとても苦手なテーマ。広島に行ったのは数度。長崎は一度だけ。しかも、世界大会には一度も参加したことがない。もちろん避けて通れない課題だし、何度が企画にはかかわってはきたけど。とくにグラビアはずっとやっているし。
 被爆者の話も、何度かお聞きした。地域でも、そういう取り組みをおこなって、自分の子どもたちをつれていったりしたし、映画の企画をしたこともある。

 そういう原爆被害を、その原爆が投下されたその時点の話というより、このドキュメントは文字通り、戦後史だった。被爆を乗り越えて、孤児となって生き残った人たちの人生。その悔しい思いは、ほんとうにショックだった。そこには、原爆というものの非人道性とともに、アメリカに追随することにすべてを流し込んでしまった日本の戦後史がある。日本の戦後とは何だったのか。番組そのものは、やや感傷的で、その戦後に迫っているとは思えないのではなるのだけど、その人生に向き合うことで、ボクらが考えなければならないことをいろいろ考えさせられた。
 実際に、戦争体験を伝えることは重要だが、70年をへてのその困難さにも直面している。そのときに、被爆者たちの戦後の歩みから、その語りからボクらのような世代が何をどう受け継ぐべきなのか、そのことを真剣に考えなければならないと思った。
 平井さんの本も、早く読まなくっちゃ。

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