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2015/08/04

九大生体解剖事件:戦争の愚劣さ語る資料 福岡で公開

 映画もみたし、文献を読んだことはあるけれど、あらためて、関係者の話を読むと、やっぱり息をのむよなあ。

九大生体解剖事件:戦争の愚劣さ語る資料 福岡で公開(毎日新聞)

 太平洋戦争末期の1945年、旧九州帝国大(現九州大)で発生した「九大生体解剖事件」の資料が、福岡市中央区の医院「東野産婦人科」に並んでいる。捕虜の米兵8人が「実験手術」と称して殺され、軍や大学関係者23人が戦犯として裁かれた事件。当時、医学生として手術に立ち会った同医院の会長、東野(とうの)利夫さん(89)が「戦後70年を機に、改めて戦争が生み出す愚劣さを伝えるべきと思った」と自ら集めた資料などを初めて展示した。
 資料は東野さんが米国立公文書館などから収集した。犠牲となった米兵の写真や裁判記録のほか、手術が行われた解剖実習室の外観や手術台の写真など約40点が並ぶ。当時九州帝大の解剖学教授で、軍事裁判で重労働25年の判決を受け9年6月で出所した平光(ひらこう)吾一氏の「獄中日記」の一部も公開されている。
 事件は1945年5〜6月に起きた。米兵8人が旧日本陸軍の大佐に連れて来られ、4回に分けて手術台に上げられた。入学して1カ月だった東野さんは、人手不足から2回の手術に立ち会わされたが、手術の目的や理由は聞かされなかった。
 8人は、不足する血液の代用として開発中の海水に体の血を入れ替えられたり、新しい手術方法の実験として肺や肝臓、脳を切除されたりして息絶えた。東野さんは「70年たっても頭に焼き付いている。心の傷です」と顔をゆがめる。
 展示された平光氏の獄中日記には、不審に思った平光氏が解剖実習室を手術で使うことに抵抗したが、外科の教授から「時局がそうさせるのだ」と押し切られる様子も記されている。
 戦後、手術に立ち会っただけの東野さんは罪に問われなかったが、平光氏は戦犯として裁かれ、出所12年後に79歳で亡くなった。東野さんは、平光氏も手術内容を知らされていなかったのに進んで罪を負ったとして、恩師の汚名をそそぐために当時の資料を収集。79年には事件の真相を訴える著書「汚名」を出版している。
 東野さんは「命を助ける立場の医師である以上、私自身もあの事件は償っても償いきれないが、軍が絶対だったあの時代の異常な空気感は言葉では言い尽くせない」と指摘。平和な時代では想像もつかない心理状況が戦争によってもたらされるとして「あの事件ほど戦争の悲惨さと愚劣さを表すものはない」と話している。展示は8月15日まで。入場無料。

 こうして、発言されていることがすごいことだと思うけど、平光さんの話も、とてもいろいろ考えさせられる。戦後に生きてきた、ボクらにつきつけている問題も大きいと思うなあ。うーん。

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コメント

事件は1945年5〜6月に起きた。米兵8人が旧日本陸軍の大佐に連れて来られ、4回に分けて手術台に上げられた。入学して1カ月だった東野さんは、人手不足から2回の手術に立ち会わされたが、手術の目的や理由は聞かされなかった。

これが主訴であるとするならば、それこそ、最初に米兵8人を連れてきた、陸軍大佐こそが、本来であれば、B級戦犯の容疑で有罪となっても当然のことですが、陸軍参謀本部としては、終戦後に速やかに軍法会議で、企業で言えば懲戒解雇処分となるのは当たり前のことですが、いずれにせよ、同時の大日本帝国憲法の下であったとしても、密秘の故意による殺人罪あるいは殺人未遂罪の罪は問われてもおかしくはないのではないかと見て間違いありませんね。
この点については、詳しい資料が無いので何ともいえませんが、少なくとも、この手術に直接携わり、戦犯として罪を償ったのであれば、これ以上でもなければこれ以下でもないのだし、手伝っただけのことであるならば、この状況からすれば、特に罪に問われることはないし、仮に罪に問われることになったとしても、執行猶予付きの有罪判決で済まされることになったとしても、特に問題ではないのではないかと見て間違いありませんね。

だが、こうした事実が明らかにして頂いただけでも、大いに結構なことだし、それこそ、他にもこれと同様のことがあるのではないかということならば、簡単に想定することにでもなれば、これが明るみにされてこなかったということそのものからして、当時の日本政府にしてみれば、何か後ろめたいものがあり、明るみにすることが無いように、もみ消そうとしたにすぎないのではないかというのが、本質的な見立てではないかと見受けられるとすれば、これだけでも怒りなんていうものを通り越して、聞いて呆れるばかりとしか言い様がありませんね。

こうした事実を裏付ける動かぬ証拠であれば、どこかに隠し持っておくくらいのことならば、誰だって簡単に出来ることだし、ましてや、中国や韓国にしてみれば、まんまと騙されたふりをして、どこかに隠しておいてから、いざとなれば、これを外交カードに利用して繰るならば、幾らでも日本国に対して、歴史認識で攻撃されることになろうとも反論の余地は何処にもないことは当たり前のことだし、ドイツやイタリアにしても、同じことであることも当たり前のことですよね。
日本人としては、こうした事実にも、どんどんむきあって行くことで、何か後ろめたいことがあるならば、その後ろめたいものだけを、悔し涙と共に、どんどん歴史の闇の中に葬り捨ててしまうことで、これを乗り越えて行くことこそが、日本の将来にとって何より大切なことであることは言うまでもないことは明らかなことですよね。

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