格差と貧困 豊かさを求めた果てに
昨日のETVの「日本人は何をめざしてきたのか」は、久しぶりに見応えがあった感。よかった。
戦後の日本は、格差や貧困に、どのように向き合ってきたのか。
敗戦後、新憲法の25条は、「健康にして最低限度の文化的生活を営む」権利を保障した。この生存権の理念を実現すべく、病床から生活保護の充実を求めて裁判を起こした朝日茂さんの「朝日訴訟」(1957年)。支援の輪とともに、日雇いや中小零細企業の労働者を支援する個人加盟の労働組合が全国に広がる。
1965年、国は貧困世帯の調査を打ち切り、地方への補助金や公共事業などの経済対策で所得再分配を行う政策を推進。正社員になれば安定した生活がおくれる日本型の「企業社会」が作られていく。高度経済成長期、低所得者層の社会調査を続けてきた経済学者の江口英一は1972年に“働いても働いても最低限の生活が送れないワーキング・プアーworking poorが存在する”と指摘。しかし、世界第2位の経済大国となり「一億総中流」の意識が広がる中で、格差と貧困は注目されることはなかった。そしてバブル崩壊後、派遣法が改正されて非正規雇用が大量に生まれると、ようやく人々は格差と貧困を社会問題として「再発見」する。
敗戦から2008年の年越し派遣村まで、生活保護と雇用の現場で声を上げてきた市民たち、そして社会保障政策を担ってきた官僚や政治家などの証言をもとに、格差と貧困の戦後史を描く。
戦後の生活保護行政の戦後の推移を概観する。そのポイントにあるのが、朝日訴訟であり、江口の調査研究。戦後の貧窮対策の時代から、高度成長の時代、そこで隠された貧困=低所得世帯。日雇い労働の「生産」。それが、バブルをへて、非正規労働の拡大へとつながっていく。貧困の根底にある、雇用と労働の問題。そして、それに対しての、社会保障制度の不十分さ(未確立)と日本型福祉社会という扶養依存の制度への再編。この雇用と社会保障を軸にしているところが、とてもわかりやすくすぐれたドキュメントにしあげているかな。朝日さん、川上さん、公文さん、新井さん、尾藤さん、登場人物の話もよかった。
貧困の問題を語るとき、やっぱり、ある意味での階級的視点というか、社会構造的な分析という面と、貧困を人権の問題としてつきだしていく視点があると思うけど、そういう突き出しを突き詰めるという点では、いろいろ言いたいところがでてきてしまう。まあ、そのあたりが、最後の、「彼」の「信頼」という言葉につながっていくと言えばそうだんでしょうけどね。
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