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2015/07/01

沖縄の痛みとともに 言論の自由を守れ 編集局長 清田 透

 大分合同の1面に、編集局長の「声明」が掲載されている。メディアへの弾圧への強い抗議の一文。

沖縄の痛みとともに 言論の自由を守れ 編集局長 清田 透

  「マスコミをこらしめるには、広告料収入をなくすよう働き掛けるべきだ」「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」。自民党の若手国会議員の勉強会で出席者から出た言葉を聞きながら、戦時中の「竹槍(たけやり)事件」のことを思い出した。
 1944年、毎日新聞の記者が書いた政局記事をめぐり、東条英機首相が激怒した。掲載紙を発禁処分にし、書いた記者はその後、陸軍に「懲罰召集」を受けた。記事の中で「竹槍では間に合わぬ」と書いたことから、俗に竹槍事件と呼ばれている。
 現在の憲法21条にはこう書かれている。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」。政治家なら誰でも知っているはずの有名な条文だ。戦後、表現の自由、報道の自由は、この「知る権利」の下に保障された。竹槍事件のようなことは起きないはずである。
 冒頭の言葉が出たのは、憲法改正を推進する勉強会のことだった。安全保障関連法案にマスコミが批判的なことを受けたもので、まさに政権の意に沿わない報道は許さないという、言論の自由を奪った戦前の言論弾圧を思わせる。若さゆえの軽はずみといって済まされる問題ではない。
 戦時中、メディアは国の統制下に置かれた。大分合同新聞も豊州新報と大分新聞が合併させられ、政府検閲の中、大本営発表を繰り返した。焼け野原で迎えた戦後、私たちは民主主義を合言葉に互いを尊重しあう国をつくり上げてきた。
 沖縄の「二つの新聞」とは、琉球新報と沖縄タイムスである。沖縄は太平洋戦争末期に本土防衛の「捨て石」となり、約10万人の民間人も死亡している。戦後も米軍に占領され、1972年、念願の日本への復帰を果たしたが、多くの米軍基地を抱える現状は変わっていない。
 それだけに沖縄の2紙は、新聞も戦争に加担したことを強く反省し、自らを厳しく律し、日本国憲法の下で平和追求の報道姿勢を貫いている。今では2紙で県内の読者を分けるほどの支持を得ている。
 日本新聞協会は2000年、新たな新聞倫理綱領を策定し、新聞の使命を確認した。今回の問題は沖縄の2紙だけの話ではない。民主主義の根幹としての表現と報道の自由をめぐる、新聞を含むメディア全体の問題でもある。
 政府を批判できる社会こそ健全なのだ。権力監視はメディアの役割である。

 それでも、自民党の大西議員の暴言は、さらに続いているし、百田さんは、あいかわらずだ。

 さて、処分をうけた自民党の木原議員は、沖縄の慰霊祈念式典に参列して、安倍首相が参列者から怒号を浴びせられたことについて、「あれは明らかな動員」「主催者が県だから」という発言をしている。沖縄への言論弾圧、沖縄県民蔑視問題では、沖縄では、連日紙面でも、また世論も、「怒りを新にし」「団結し」立ち上がっていこうとしている。沖縄の友人が言っていたけど、反面、悲しいが、「本土は所詮本土、沖縄の痛みをわかるはずがない」という声も思いも大きくなってしまうという。そのことは、ボクらは正面から受けとめて、この大きなたたかいのなかで、沖縄への連帯を強め、広げなくてはいけない。その内実もよく考えないと。

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