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2014/05/12

驚愕 下村文科大臣の呼びかけ

 下村博文文科大臣が自身のFBで次のようなよびかけをしていた。

調査のお願い
四月より小中学校において、道徳の時間、新しい教材として「私たちの道徳」というこれまでにない充実したものを作成し配布しています。ところが、児童生徒に他の教科書のように家に持ち帰らせず、学校に置きっ放しにさせている学校があることが判明しました。是非保護者にも読んで頂きたと考えています。子供たちが、きちんと家に持ち帰っているか調べて頂きたとお願いします。そうでないところは文科省として指導したいと思います。

 「私たちの道徳」というのは、これ。
 文科省の説明にあるとおり、いろいろ議論のあった道徳教育用教材「心のノート」を全面改訂し、今年度から使用できるよう、全国の小・中学校に配布されている。心のノートがたぶんに心理操作的なものであったのに対し、ストレートに徳目教育的な内容になっている。
 本来、道徳というのは、学校教育全体をとおして育まれる、社会や自然認識をベースに、実際の人間関係の体験をとおして、葛藤などの経験をもとに育まれるものだと思う。それをこれが正しいことって、教化することにこうした教材の特色があると思う。それだけにそもそも問題が多い。
 しかし、法的に言って、教科書ですら,授業での使用義務しかない。これは副教材だ!かなり脱法的な??
 こうした道徳教育のやり方を、政治的な力で押しつけてくる。教育委員会制度の改悪もそういう姿が見えてこないか?

 しかも、下村さんの道徳観の核心はこれだ。

「道徳議連」6月発足 超党派、教科化を後押し(産経新聞)

 人格教育の重要性を訴える超党派の「人格教育向上議員連盟(仮称)」(会長・下村博文文部科学相)が6月上旬にも発足することが10日、分かった。明治23年に発布された教育勅語を参考として教育のあり方を根本から見つめ直し、政府内にある道徳の教科化の動きを後押しする狙いだ。
 議連には下村氏のほか、民主党の笠浩史元文科副大臣、日本維新の会の中田宏国対委員長代理らが参加する。13日にも準備会合を開き、教育問題に精通した保守系議員を中心に100人規模での発足を目指している。
 政府は今年2月の中央教育審議会(中教審)総会で、道徳の授業を小中学校の正式な教科にするよう諮問しており、秋までに答申が出る見通しだ。議連発起人の一人は「子供のときは、知識の詰め込みよりも人格、教養を高めていくべきだ」として、道徳の教科化の必要性を訴えている。
 議連が着目するのは、教育勅語に記されている「兄弟・姉妹は仲良くしましょう」「人格の向上に努めましょう」などの12の徳目。下村氏は「今でも十分に通用し、中身は普遍性がある」と語っている。議連では教育勅語の精神を道徳教育にどう生かすについても議論する考えだ。
 また「親のモラル低下も最近の教育問題の一つ」(議連関係者)として、規範意識を親世代にも浸透させるために道徳教育への親の参加の是非などに関しても意見交換する予定だ。

 文科大臣を務めながら、教育勅語への礼讃を隠さない。その異常さ。

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コメント

そもそも道徳教育というのは、押し付けられるようなものではないという真実を見破れば、このようなことを仕出かすとは、自らの権力欲を誇示したいがための「使い物にならない間抜け教育「に他ならないという真実を見破れば、まんまと騙されたふりをすれば、自民党自らが、「大人の道徳教育」とでも称して、1%の金と権力の亡者ならびに、こうした連中と運命を共にすることしか考えることができない様な、馬鹿と阿呆と間抜けの寄せ集めにほかならない害毒日本人のための道徳教育の一環として学び、文部科学省が自らの過ちを正し、誇りを持って、国民に対して深く謝罪をして、子供たちに対しては、人間というのは性格も違うし、価値観も根本的に異なって当然のことだし、こうした異なる価値観というものを、共に認め合い、その中で、お互いに共通して良いところは、共に分かち合い、自分には無い良いところは、大いに学び、他人には無い自らの良いところは、良いお手本として示してあげるようにすれば良いのだし、逆に、お互いにとって不快になるようなことについては、誇りを持って、そっと静かに葬り捨ててしまうことで、貧富の格差とか一切関係なく、共に支え合い、助け合い、分かち合いながら、共に幸せに暮らして行くという尊い志というものを個人主義のベースとして、これを日本社会全体にインテグレートさせて行くことで、幾らでもひっそりと静まり返った社会となって安定化させてしまうことにすれば良いのだし、この日本社会の象徴として君臨するのが天皇制であるということにすれば、これが国境を幾らでも乗り越えて行くことにより、海外からの外国人労働者を幾らでも受け入れ、日本人が海外に出ていくことも、幾らでも自由に出来る様にすることになりさえすれば、幾らでも多種多様な文化の違いというものを、共に認め合うことも出来て当然のことだし、その上で、日本にも世界にも共通する常識というものは、共に分かち合うと共に、日本でも世界でも共通する非常識というものこそ、私たち日本人が、自ら誇りを持って、そっと静かに葬り捨ててしまうことで、外国人に対しては、誇りを持って反面教師になると共に、日本にはない世界の良いところは、幾らでも受け入れる見返りとして、世界にはない日本の良いところは、誇りを持って良いお手本として示して行くことにより、日本文化そのものが、幾らでも変容し、日本の常識が世界の常識として認められるようになりさえすれば、これだけでも、そっと静かに誇りとして生きていくことが出来る様になりさえすれば、「日本が日本でなくなってしまうなんてことにはならないのだし、全体主義と個人主義との実存的対立を乗り越え、主観的で、身勝手な傲慢極まりない全体主義的な運命共同体こそ、極めて邪魔な存在にほかならないという真実を見破れば、こんなものこそ、国境のウチとソトから、誇りを持って粉々にぶち壊し、誇りを持って、永遠の歴史の闇の中に、そっと静かに葬り捨ててしまえば良いのだし、これにより、日本文化を幾らでも一人歩きさせることになろうとも、日本経済を沈没させてしまうことになろうとも、構わないのだし、これを逆手に取れば、名誉ある孤立化をして、誇りを持って、取り残され、誇りを持って、一部の富裕層と、一部の危険な連中には無視されることで、ひっそりと取り残されてしまうことで、変な戦争に巻き込まれることもなければ、変なとばっちりを受けるようなこともなく、ただひたすらにひっそりと身を縮めながらも、共に幸せに暮らして行くことだけを、誇りとして生きていく道を選択して、日本の運命を大きく変えて行くことに繋げて行けば良いだけのことでは無いでしょうか。

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