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2014/04/10

集団的自衛権と砂川判決

 ここのところ、集団的自衛権をめぐって、いろいろさわがしい。しかも、その容認の根拠を砂川事件最高裁判決に求めるというとんでもない議論が自民党から飛び出している。

55年前の砂川判決 首相「集団的自衛権含む」(東京新聞)

 安倍晋三首相は八日の民放BS番組で、歴代政権が憲法九条の下で行使を禁じてきた集団的自衛権をめぐり、最高裁による一九五九年の砂川判決の解釈について「個別(的自衛権)も集団も入っている。両方にかかっているのが当然だ」と述べ、判決が認めた「(国の)存立を全うするために必要な自衛のための措置」には集団的自衛権も含まれるとの認識を示した。砂川判決を行使容認の根拠に、自民党内を意見集約したい高村正彦副総裁に歩調を合わせた発言で、自らが言及することで議論を加速させる狙いがあるとみられる。 
 砂川判決は自衛権の区別をしていないが首相は番組で「集団的自衛権を否定していないことは、はっきりしている」と指摘。「必要最小限の中に含まれる集団的自衛権もあるのではないかと(の議論が自らの私的諮問機関の)有識者懇談会でも主流的になりつつある。政府としては必要最小限の行使と考えている」と述べた。
 しかし、砂川判決は、集団的自衛権は行使できないという政府の憲法解釈が確定するより、はるか前に出されている。その判決を根拠に集団的自衛権は認められるとの論法には無理があるとの見方が野党や与党・公明党内には根強い。安倍政権が解釈改憲に前のめりになっていることを裏付ける発言だ。公明党の山口那津男代表は「判決は個別的自衛権を認めたものだ。集団的自衛権を視野に入れて出されたと思っていない」と主張。これに対し首相は番組で「裁判長の頭の中に(集団的自衛権の)概念があったのかは分からないところがあるということを(山口氏は)言いたかったと想像する」と述べた。

 とにかく、集団的自衛権と個別的自衛権をいっしょくたんのものにして、認めてしまおうという思惑からの発言だ。だけど判決を見ればいい。
 「そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求』することを宣言し、また『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と規定し、さらに同条二項においては、『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
 このどこに集団的自衛権についての判断があるというのだろうか。憲法学の世界でもいろいろな議論がなされ、かなり歪んできた感がないではないが、それでもこんな見解をもつ憲法学者の顔を見てみたいものだ。普通の研究者には存在しない。もちろん、こういう知恵をつけた人はいるのだろうが。

 しかも、この判決そのものが、米軍駐留を違憲とした地裁判決を覆すために、日米密約によってつくられた判決であることがいまでは明らかになっているのだから。

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