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2014/03/15

教育委員会をどう考えるか―学校教育の新しいガバナンスをめぐって

20140315_160801_resized はい、今日は、午後からは教育関連学会連絡協議会が主催した表題のシンポに行ってきた。教育基本法の改悪のときは15学会共同シンポなどがとりくまれ、なかなか深い議論もなされたのだけれども、今回は、協議会ができ、どんな議論がなされるのかと思って、聞きにいった。
 だけど、結論から先に言えば、あんましおもしろくなかった。小川さんと村上さんという、中教審で議論をすすめた当事者と、藤田英典さんと佐藤学さんの報告なわけだけど、このテーマでの、旬の議論と言えるのかどうか?そもそも、東大で、しかも中教審や文部行政にかかわりの深い報告者が中心というのが、シンポの持ち方として、どうなのかなあなどと、最初から思ってしまうのだけど。
 小川さんの報告は、中教審の議論と言うより、自身が区レベル教育委員(長)を経験したときの経験。どんなことができ、何が問題か。それはそれで面白いのだけど、だけど、事務局の壁、官僚の壁を強調する。そして、中教審の議論は、教育委員会廃止の政治的な圧力から、どう教育委員会を守ったのかという話になる。
 村上くんの話は、この間、なんどか聞いている。彼なりにかなり孤軍奮闘して、教育委員会の役割を語りつづけているのはよくわかるのだけど、何か現状から出発することが、現状追認的な感じに聞こえてくるのだよなあ。
 英典先生の話は、大きな話。アベノミクスと教育改革の共通性と違いとか。ここと、教育委員会の議論での、きりむすびが、現実におこっている問題のレベルでちょっとよくわからない。
 学さんの話は、このなかでは、いちばん教育の現場にふれるのだけど、やや観念的というか、理想的な議論に聞こえてくるのはどうしてだろう。問題提起の先がちょっと見えない。
 現実に、いろいろな教育の問題がある。学力テストの問題にしても、教科書の問題にしても、いじめや道徳教育、教科書の問題が高校入試の問題も、実際には教育委員会を舞台におこっている。そういう教育めぐる問題と、そのもとでの子どもの切実な問題とのかかわりで、あまり正面から議論されないのだよなあ。そのことと、教育委員会がなぜ市民から遠いのかって問題が。
 正直、ひごろから文科省を相手に議論している人たちの議論なんだろうなって思えてくるんだけどなあ。それぞれ、それなりに、まじめな議論で、全否定するわけではないのだけど、なんか、どこかの貧困問題のNPOでの、元そこにかかわっていた人の発言によくにているなあなって思わず思ってしまったり(笑い)。まあ、これをどう市民的な議論にしていくのか? なかなか教育基本法のような運動をつくっていくのも課題が大きいぞって、さらに思ったりしたところなんだけどなあ。

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