「教育2014 世界は 日本は」への違和感
朝日新聞は、元旦の新聞から、一面で教育特集をおこなっている。一日は、教育のグローバル化(「グローバルって何 めざす、世界の1%」)をとりあげ、三日は教育格差の問題(「格差を超える 暮らしのせいにしない」)、四日は、授業改革(「授業の未来形 「教わる」からの卒業」)、五日はチャータースクール(「もう一つの学び 望む学校、市民がつくる」)、そして今日が塾だ(「膨らむ塾 つかめ、アジアの教育熱」)だ。いずれも、大事な問題なのはまちがいないし、いまおこっている教育の問題を、それなりに紹介しているのは事実だけど、どうも読んでいておもしろくない。
なぜなのか。たとえば教育のグローバル化がすすむのは、ある意味で必然ではある。英語による授業がふえることも、かならずしもそれそのものは否定されるようなものではなく、注目することは道理でもある。だけど、日本の場合、それが単純ではないのは、大企業の人材育成としう視点から出発して、現場に来るまでには、過度な競争というものと一体としておこなわれる。しかもその競争は従来型の域をでなくなる。したがって、弊害のほうが圧倒的に多くなる。格差を超える教育というが、その超え方がまた、かなり限定された学力競争にしか見えないのはなぜなのだろうか。格差への対応そのものは大事な課題であるし、すぐれた実践であるのはそうなのだけど。
結局、このような教育の取り上げ方は、とても一面的なのだ。現場でおこっていることの一面だけをとりあげて、いくらそれを強調して描き出しても、実は現場でおこっていることとは違うのだ。そして、そこから欠落するのは、そういう教育のなかで、子どもたちはどのように成長し、どのような形で、社会に出て、どのような人生を生きることになるのかという切り口での視点だ。それが本来、教育にとって一番大事なのに。そして、同じように、いまの子どもたちの抱えるものというのもまったく見えてはこない。目の前にいる子どもの実態から出発して、どのように子どもの成長をささえていくのか、ほんとうはいちばん教育の現場で問われなければならないことが、横におかれながら、政策課題や経済的な現状との接点でおこっている教育の課題を見せる。そういうのは、どうも好きになれないなあ。もっと切り口があると思うのだけれども……。
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