今日はもっぱらこの話題。きっと官邸前でも、この話題でもちきりだろうなあ。
山本太郎議員に辞職求める声 園遊会で陛下に手紙渡す(朝日新聞)
10月31日の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員(無所属)に対し、1日、議員辞職を求める声が相次いだ。自民党の脇雅史参院幹事長は党役員連絡会で「憲法違反は明確だ。二度とこういう事が起こらないように本人が責任をとるべきだ」と要求した。
下村博文文部科学相も「議員辞職ものだ。これを認めれば、いろんな行事で天皇陛下に手紙を渡すことを認めることになる。政治利用そのもので、(足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴を試みた)田中正造に匹敵する」と批判した。
公明党の井上義久幹事長は「極めて配慮にかけた行為ではないかと思う」と述べた。同党の太田昭宏国土交通相も「国会議員が踏まえるべき良識、常識がある。不適切な行動だ」と批判。古屋圭司国家公安委員長は「国会議員として常軌を逸した行動だ。国民の多くが怒りを込めて思っているのではないか」と資質を問題視した。田村憲久厚生労働相は「適切かどうかは常識に照らせばわかる」、稲田朋美行政改革相は「陛下に対しては、常識的な態度で臨むべきだ」と不快感を示した。
民主党の松原仁・国会対策委員長も「政治利用を意図したもので、許されない」と批判。日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長も大阪市役所で記者団に「日本国民であれば、法律に書いていなくても、やってはいけないことは分かる。陛下に対してそういう態度振る舞いはあってはならない。しかも政治家なんだから。信じられない」と批判した。
きっといろんな論点が出されているのだろうけれども、政治の舞台では、もっぱら、天皇の政治的利用をおしすすめてきて、これからもそうしようという人が多いのが、ちょっとおかしい。いわば、「不敬だろう!」と言っているようなもの。
憲法解釈の世界でも、天皇の公的な行為には憲法で明記されている国事行為に限定すべきだという議論も存在する。その立場から言えば、そもそも園遊会などは私的な集まりなのだから、そこで、どういう形式で会話をしようがしったことではないという話になる。それはそれで一理ある。
政府の解釈からいえば、国事行為ではない公的な行為ということだそうだ。憲法解釈のうえでは、私的行為と国事行為のあいだに、こういう行為を認める見解と、国事行為の一環として認める見解があるそうだ。だけど、どちらの説をとる場合も、厳しく政治的行為は制限されることにはなる。はたして園遊会のような行事の主催というのは、どうなのか。これが戦前の「観菊会」や「観桜会」の伝統を引き継ぐものという位置づけならば、いっそうこの行事については、しかるべき議論があってもよさそうな気がする。
まあ、だけど、山本さんは、なぜ天皇に手紙をだしたのかというのは不可解だ。政治的な問題を解決するというのならば、天皇に手紙を出すことなど、意味がない。そんなことは、基本理解しておられるとは思うのだかが。
ある憲法学者は、憲法には、16条で「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」という規定があり、請願法3条は天皇に対する請願も保障しているそうだ。もっとも「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」そうだけれども。だけど、やはり、?。
となると、彼の政治的主張を、世に知らしめるために、天皇への手紙と言う行為をしたということになるのかなあ。だれだそんな知恵をつけたやつは、って思ってしまう。
いずれにしても、山本さんを批判するにしても、擁護するにしても、いろいろな論点が存在するのだろうし、そこは節度と、発展性をもってやってほしい。少なくとも、批判のための批判や、不敬だ的な発言は、それこそ天皇の政治利用につながることも自覚すべき何だろうと思うのだけどなあ。
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