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2013/09/28

海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)

 見ていて、ものすごく驚いた!

0928_01b 1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸が被ばくしました。被害は水産物にも及び、日本各地の港では放射性物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされます。しかし、核実験を行ったアメリカは、放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる、と主張しました。
 このとき、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動します。水産庁が呼びかけて、海洋や大気、放射線の分野で活躍する第一線の専門家が結集、「顧問団」と呼ばれる科学者たちのチームが作られました。
 そして水爆実験から2か月後、顧問団が選んだ若き科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に向けて出発します。2か月に渡る調査の結果、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。
 俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所の三宅泰雄さんは、その後も大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を続けます。原子力発電所が次々と作られていく中で、三宅さんをはじめとする科学者たちは、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作るべきだと声を上げます。
 しかし、それは実現しないまま、2011年3月11日、福島第一原発の事故により、再び放射性物質で海が汚染されました。
 ビキニ事件当時、日本の科学者たちが行った調査から、今私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。俊鶻丸に乗り込んだ科学者の証言や、調査を記録した映像などから描きます。

 ボクにとっては不得意な、あまり知識のない分野。恥ずかしながら俊鶻丸のことはあまりよく知らない。だけど、ここまで、放射能汚染の影響というものを明らかにしていたとは。そしてそうした調査はほんとうに活かされたのか。さらに、調査の継続は、政治の力によって葬り去れた。
 放射能という異質の力から、人々の安全をどう守るのか。そういう責任のあるとりくみは、いまだなされていない。気象研究所の顛末は観測中止、論文発表禁止のプロメテウスで描かれた事件を思い出す。
 水産大学校に残された俊鶻丸の錨は、怒りを表しているように思えてくる。そんな番組だった。

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