« 昼夜を問わぬ異常な激務を同僚でさえ見て見ぬふり! 夫の過労死をめぐって組織の闇と戦った妻の25年間 | トップページ | 「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任 »

2013/07/09

84歳は闘い続ける

 昨日の東京新聞で、佐藤直子さんが、【私説・論説室から】というコーナーで、次の記事を書いていた。

84歳は闘い続ける

 早朝に家を出る。沖縄県宜野湾市の普天間飛行場ゲート前に駆けつけると、米軍新型輸送機オスプレイの配備反対デモに加わる。午前中はさらに北上し、飛行場の移設先とされる名護市辺野古の海岸で座り込む。午後も北へ、ヘリ基地の新設工事が行われている東村高江で抗議に加わる。
 那覇市の元衆院議員、古堅実吉(ふるげんさねよし)さんの水曜はずっと「米軍基地反対」に費やされている。自ら車を運転し、沖縄本島を縦断する。八十四歳になった今、体力的にきつくもあるが「沖縄は一つ。これ以上、基地は許さない」と心を奮い立たせる。
 原点は沖縄戦にある。当時十五歳、師範学校の一年生だった。「鉄血勤皇隊」の一員として戦場にかり出され、大勢の仲間を亡くした。「命(ぬち)かじり(命がけ)」で、平和な沖縄をつくる-。そう誓った古堅さんは戦後、苦学して法律家となり、米軍統治に苦しむ沖縄の解放にかかわった。
 だが、祖国復帰後も、日米安保が憲法の上位にあり続ける沖縄では基地が集中し、米兵の犯罪が絶えない。「基本的人権というものは、軍隊のない平和があってこそ築かれるのです」
 古堅さんは、戦後レジームからの脱却を唱え、改憲を掲げる政権の無謀さにあきれる。名実共に「軍隊を持つ国」になってしまったら、耐えられない犠牲を払ったあの戦争の教訓はどこにいく-。戦後の終わらない沖縄から、祈るように見詰めている。

 記事ではふれていないが、古堅さんは、共産党の元議員だ。瀬長亀次郎の後を次いだ人だ。
 その古堅さんは、辺野古のたたかいでも、高江のたたかいでも、先頭にたっている。高江では、ちょうど、生物の繁殖期に入って工事がとまったとき、それにあわせて、座り込みの側も、学習会を古堅さんを講師におこなっていたそうだ。それは7回にも及んだという。
 実は、作家の目取真俊が、この学習会に参加していて、その様子を自身のブログでくわしく紹介している。たとえば、7回目の学習会はここに。
 この人の評価は、いろいろあるのだろうけれども、こうした紹介があるのうれしい。

 古堅さん。がんばるなあ!

Banner_02人気blogランキングへ 励ましのクリックを

« 昼夜を問わぬ異常な激務を同僚でさえ見て見ぬふり! 夫の過労死をめぐって組織の闇と戦った妻の25年間 | トップページ | 「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任 »

平和」カテゴリの記事

政治」カテゴリの記事

沖縄」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/59689/57757552

この記事へのトラックバック一覧です: 84歳は闘い続ける:

« 昼夜を問わぬ異常な激務を同僚でさえ見て見ぬふり! 夫の過労死をめぐって組織の闇と戦った妻の25年間 | トップページ | 「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任 »

無料ブログはココログ
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30