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2013/06/07

学力を精密に測定する(無)意味

 教育再生実行会議の議論で出ている「センター試験廃止へ」ということについて、コラムニストの小田嶋隆さんが日経ビジネスのオンラインで一文を寄せている。それがこれ。入試改革が繰り返されてきたが、「入試が入試であり受験生が受験生である現実は、ほとんどまったく変わっていない。無事に大学生になりおおせた若者が、就活生に変貌する間の事情について言うなら、事態はむしろ悪化している。」と指摘する。「教育の現場には巨大な事務処理の増加として作用する。…改革が完了するまでの数年(あるいは十数年)の間、現場が混乱することは避けられない。」と。そして、改革への慎重さを求める。
 そもそも「再生」という言葉に疑問を呈する。「日本の教育は、そんなに間違っていて、われわれの知的水準はそんなに低迷しているのだろうか。」と。学力の測定に疑問を呈しながら、日本の高校教育がきずいてきたものを体験にそくしてふり返る。「誰もが自分の高校に強い愛情を抱いていて、自分の子供たちを、自分が通ったのと同じタイプの高校に入れようとする」と。
 「実際の高校生活がどうであったにしろ、『高校時代の自分』というセルフイメージが、年を取ってからの人生を支えている。これはとても大切なポイントだ。いくぶんか理想化され脚色された高校時代の自分が心の中に根を張っていてくれるからこそ、われわれは、現状の自分のなさけなさやふがいなさと、折り合いをつけることができるのである」というのがしゃれている。つまりこういう改革を議論する人は、現場を知らないばかりは、同時に、こういうふり返り方ができない人たちだと。
 もともと、学力そのものをどうとらえるのか、そのこともとわれるべきだ。そもそも小田嶋さんのいうように、「『グローバル人材の育成』という国家目標(←だよね?)が、果たして、彼らの狙い通りに、この国の若年層の知的活性を高め、わが国の未来に輝かしい果実をもたらしてくれるのかどうかについても、依然、見通しははっきりしていない」のだから。彼らの求める「学力」というものであったとしてもだ。だけど、そもそも今の時代を生きる「学力」というものがどういうものかも、検討がなされるべき。
 いずれにしても、現場も、子どものありようも、まったくふまえないこういう議論もやめにしてもらいたいものだよなあ。

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 「学力」という概念そのものが1次元的なので,妥当性を欠く事例は多々あると思います.何をそれほど「学力」にこだわる必要があるのか?

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