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2012/10/10

社会的排除にいたる プロセス ~若年ケース・スタディから見る排除の過程~

 うーん、生活保護の制度改革なども議論している会議に、表題のこんな資料が提出されていた。
 それがこれ。

 概略としては、

○ 「社会的排除」について、さまざまな社会問題(高校中退 、ホームレス、非正規就労、生活保護受給、シングルマ
ザー、薬物・アルコール依存症、自殺)を抱えた若年(18歳から39歳)者の事例53件のライフコースを丁寧に分析し、「社会的排除」に至る幼少期からの潜在リスクとその重なりを把握し、共通点・相違点を洗い出したもの。

○ 調査対象となった事例が抱える潜在リスクは重複しており、「社会的排除」に至ったプロセスも類似している。これら社会問題は、従来はそれぞれ独自にとらえられてきたが、「社会的排除」という一つの社会問題としてとらえることができる。

○ 「社会的排除」に至る一番大きな問題(キー・リスク)を、それが起こるライフステージと場所によって以下の3つに分類
第Ⅰ類型:知的障害や発達障害などの「本人の持つ「生きづらさ」」 ・・・もっとも早い時期に問題が表出
第Ⅱ類型:子ども期の貧困や児童虐待などの「家庭環境の問題」 ・・・子ども期に問題が表出
第Ⅲ類型:いじめや不安定就労などの「学校や職場の環境の問題」・・・就労など比較的遅い時期に問題が表出

○ リスクの共通性、複合性を念頭においた包括的な「社会的包摂政策」が必要

 結構、現象的な面では、大事なことは言っているのだけれども。ここから、なぜああいう改革案になっていくのか?
 分析に不十分さがあるのか、何が学ばれていないのか、どうなんだろうな、とプリントアウトちゅう。

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コメント

そもそも、社会的排除に至るのには、排除する側と排除される側とに分かれるものの、排除する側には悪意は無い、という点は間違っていない反面で、排除される側の原因というものを見れば、自裁には様々な要因があることを配慮すれば、これが全てでは無いと言えますが、多くはⅠ~Ⅲのキーリスクに含まれるのでは無いかと見れば、排除される側にも、何の罪は無いし、悪意もないと言っても過言では無いのでは無いでしょうか。

だとすれば、排除する側にも、排除される側にも、どちらも人間としての尊厳というものがあって当然だし、生きる権利というものもあって当然のことであることを踏まえれば、こうした社会的排除というものに向かう私たちの日本人社会そのものが、極めてタチが悪く、世界的に見れば、此れ程恥ずかしいものは無いものと認識しなくてはならないことでは無いでしょうか。

これが、結果的に、空洞化を齎し、構造的アノミー現象というものに繋がり、あの中曽根大震災を引き起こした本質的要因に結びついてくることになることを思えば、それこそ、かつての何処かの国と同じ一億総懺悔による愚かな過ちにより、崩壊してしまうことになってもおかしくはありませんよね。

これを乗り越えてこそ、真の個人主義というものが生まれてくるわけだし、「個人の弱さを暖かく包み込むことが出来ることで、強い個人が生まれることが出来る社会的包摂」へと繋がってくることになることに繋がると見て間違いありませんね。
ただ一方で、「弱さを弱さで認めてしまうと、弱いままで終わってしまうのでは無いか」と考え方も決してあることは事実ですが、逆に言えば、これこそが、思考停止したものであり、私たち日本人の持つ構造的欠陥に結びついて来ることこそが、一つの真実でもあるとすれば、何とも皮肉なことですが、私たち日本人は、それも単なる目先の利益や感情ばかりを優先した、強い相手には卑屈になり、弱い相手には傲慢になるだけの、全人類の中で、最も猿に近いと言っても間違いは無いし、エコノミックアニマルとも言われることもあれば、チンパンジーやオランウータンと変わり無いと見られるだけの、恥知らずなヘタレ民族でしか無いということも、認めるしか無い分けだし、これもまた真実として向き合うと同時に、これを乗り越えて行くことで、良く耳にする「困った時はお互い様」、「損して得取れ」ということを踏まえて、誰もが損することも無く、誰もが得することが出来て、日本経済を共に支え合い、助け合い、分かち合いながら、共に幸せに暮らすことが出来る社会福祉国家へと生まれ変わり、こうした社会的排除に取り残された人達には、何処か人目のつかないところで、そっと静かに幸せに暮らして頂くとして、これを乗り越え、社会的包摂をベースとした地球市民社会の象徴として君臨すべき存在として天皇陛下を高く至尊化することで、英国王室をはじめとするヨーロッパの伝統的王室と変わり無い存在としてあげることが出来る分けだし、そうすることで、世界の中に、そっと静かに、ひっそりと埋没して行くと共に、これが国境を乗り越え、全人類が一つの絆となって、世界経済を共に支え合い、助け合い、分かち合いながら、共に幸せに暮らして参りましょう、というメッセージを幾らでも発信して行くことで、存在感の向上に繋がるのなら、これだけを大いに誇りとすれば良いのだし、それが逆に、日本が二度と変な戦争に巻き込まれることも無いし、こうした様々な問題解決に繋がると同時に、日本文化も幾らでも改善され、日本の常識が世界でも通用する常識となり、日本の非常識が世界でも通用しない非常識として埋没させて行くことが出来れば、これに越したことは無いし、何も言うことは無いのでは無いでしょうか。

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