今年の全進研大会は、節目の大会。ここで会費制の組織ではなくなるようだ。すでに、機関誌の休刊は発表されている。その大会は、長い間、この組織の常任委員をされていた尾木ママの記念講演。
「尾木ママの世界から見た日本」というようなテーマだが、いちばん言いたかったのは、「一般の市民講演会の感覚とはどういうものか、そこから市民が世の中を動かすということを学んだ。そこの感覚がないと世界は変わらない。自分がかつて学んでいたことは、ごく一部分。市民の世界にどう入って行くのか。実際に自分がむかしから教育評論をやっていたのを知っている人は、1000人で8人とかそういう状況。これまでは上澄み5%の人に語っていただけ。
1週間かけてやっと私の本を読むような人。バラエティで親しみを感じてもらえないと伝わっていかない。上から目線でと聞いてもらえない」このあたりの話。確かにこの全進研という研究会は、組織の性格から言って、階級的側面が強く、非常に先進的なところだと言える。そういう活動家に対して、こうものを言いたいというのはよくわかる。
後半は、自立した教師としてどうなのか? 保身的な自己防衛はないか?文科省を批判するのはだれでもできる。という視点から、この10年の教育改革に迫るという趣向。大ざっぱに言えば、この10年はその是非は別として、グローバル化が進行した時代。その時代にすすんだ改革の大きな柱は伝統文化の尊重で、そこに象徴されるように内向きのものであったということと。その新自由主義の弊害をデータを駆使するわけだけど。
尾木さんそのものは、マスメディアでの発信という戦略のうえにとても苦労され続けている方だとは思う。大阪の運動だって、尾木さんの力がないと、こうもりあがらないということは事実だもの。そういう人の指摘はちゃんと受けとめたいと思う。
と同時に、後半の話はやはり、大ざっぱで、荒っぽい。というか、経験で勝負したって感じかな。ほんとうは、新自由主義やグローバル化にかかわるような話は、つめてていねいな議論でないと、力を発揮しない。そのあたりを不満に思う人はいるだろうなあ。
だけど、やっぱい尾木さんには大いに力を発揮してもらわないと。
で、その後は、全進研の50年をふり返るってものだったけど、あらためて、この会の結成の原点や進路指導3原則と言われたものの核心に思いをはせる。若い研究者がどう学んだかをあつく語る。もちろんね、これらの歴史なかで語られている、統一戦線だとかの理解というのは、いまの若い人とボクらとではきっとちがうのだろうなあ。だけど、こういう若い人が、歴史の中での学び方っていうのはボクらより、必ず新しいから、そういうところがどうなのかを、いろいろ考える。いずれにしても、このまだ高校進学率が半分で、大学進学率が10%台の時代に、差別を見つめ、子どもたちがどう進路を切り開くのかを問いかけたこの取り組みというものは、実は、いまほど学ばなければいけないことはない。と、同時に、その文章にある突き抜けた楽観主義というものも気になった。それはなぜなのか?そこも、そこにある弱点だよか、問題性ということも含めて、考えたいような気がしたのだけれども。
で、その後は、恒例だけどめずらしく1日目の交流会。今日は、若い研究者と話をした。2つほど発見というか刺激をうけた。若者問題にかかわること、もう1つは戦後民主的教育科学研究にかかわる問題。うえの世代の若者問題への、不理解は大きいけど、同時に、その研究にかかわって、戦後教育学をどう評価するのか。その研究者も、戦後の教育学ということについては、その継承を自認しているわけだけど、それでも、うえの世代についての批判的な視点は忘れない。そういう批判されるべき問題について、上の世代の無感覚というギャップをあらためて感じる。これは若い研究者の多くから刺激を受けること。ベテランよ、あぐらをかくなよなあ。ちゃんと、時代に向きあえよって、叱咤激励される次第。はい。
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