教育のつどい2012 いじめシンポジウム
教育のつどいからもう1週間以上がたちわけだよなあ。慌ただしい日が続きます。少し、思い出しながら、感想を書いておく。
分科会はまとめて感想を書くとして、2日目の夜は、いじめについてのシンポ「子どもたちのいのちを守り、人間として大切にする学校・地域・社会を考えるシンポジウム」が開かれ、400人が参加した。西宮市の中学校教員、東大阪市で3人の子どもを育てるお母さん、東京の弁護士の村山裕さんがパネリストをつとめ、滋賀県で長く教員を務めた福井雅英北海道教育大学教職大学院教授がコーディネーターを務めた。西宮の先生は、いじめや暴力など「荒れる」学校での経験から、担任が動きやすい状態をつくることや教師が常に子どもたちのなかにいることの大切さを訴え、大阪のお母さんはは自身の子どもが中学生の時にいじめられた経験から、「親として学校と一緒にできることはやっていきたい、少しずつでも力を出し合うことが大切」と語った。
会場からの討論は、かなりきついものがあった。
正直、いじめの問題をいま、考えるとき、ボクのなかにはいろいろなとまどいや、迷い、おののきみたいなものがある。どう自分のなかで整理して良いのか…。
一人の命が奪われた、その重さは何ものにも変えがたい。口でいうのは簡単だが、そのことをどうすえるのか。ボクらは、そのとき「人の命が大切にされる学校を」というような言い方をする。それはそうなのだが。
だけど、いじめの現場を見たとき、やっぱり、子どもと学校のしんどさを痛感させられる。いじめには、いわば、いじめが進行する構造というものと、その背景になりような、子どもの傷つきの実態のようなものがあるように感じる。そのどれもが、ほんとうにしんどくなっている。どんなことばも、安易に聞こえてしまうのだ。
実際に、いじめは規範意識を育てるというようなことで、簡単に解決する問題ではない。もっと、子どもの成長にそくした、本質的な取り組みが必要なのだと思う。そのためには、いじめられている子どもの安全というものを最優先することはそうだけど、いじめる子、いじめを傍観する子どもの日常からもっている子どものかかえている傷を視野に入れなければ、その構造の発現も対処していけないのだろうなと思う。それは学校にとどまる問題では決してない。
ところが、学校の現状は、その対処を、逆をいくような状況がある。そのなかで、教師たちも傷ついている。その傷つきもかなり深刻なところにある。しかし、教師たちは、この問題で責められる。それは、ある意味、そうなんだけど…。しかし、だ。
本質的な問題をふまえた、言葉をどう発して、どんなふうに議論をすすめていけばいいのか。相当、困難な課題な気がする。
シンポも、そんな感想を抱いた。大きな宿題を抱えている。
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