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2012/03/10

3.11 あの日から1年 南相馬 原発最前線の街で生きる

 昨日のNスペ。録画にとって今日みた。NHKはやっぱり1年間、南相馬を追いかけていたのだ。すごいなあ。

120309_c 福島県南相馬市。人口7万あまりのこの町は、福島原発事故の後も住民が住み続けた<原発に最も近い街>となった。半径20キロ以内が立ち入り禁止とされたのに対し、原発から北西20-30キロの区域の広い部分は「国が居住可能」と判定、事故直後も、子供や若年層などが一時避難したものの、3割の住民は町を離れることはなかった。
 あれから一年、町は一見、落ち着きを取り戻したかにみえる。しかし事故は、人々の心に容易にぬぐい去ることの出来ないものを残した。それはいったい何なのか?
 今回、私たちは、南相馬市で1年近く密着取材を重ね、100時間を超える人々の肉声をつぶさに記録してきた。そこには、あの日以来、身に降りかかってきた無数の予期せぬできごとに向き合わざるを得なかった人間一人一人の心の動きが克明に刻み込まれている。
 「故郷から逃げるべきか、残ってもいいのか」、「その先に希望はあるのか、ないのか」
 「何の見通しも立たない中、闘うのか、耐えるのか・・・」
 事故を起こした原発と隣り合わせの日常の中、突然、住民にもたらされた悲劇、その実相を描き出す。

 ここのところ、ずっと、震災1年の番組を見、新聞の記事を読み、本を読む。まあ、自分も、1年の企画をつくっていすすめてきたわけだけど。だけど、どれも、酷く、辛く…。きついなあ。FBで新聞労連の東海林さんが「明日3・11。最近、関連番組、報道の洪水で、真面目に読み、観しているうちに静かに凹んでいる」と書いていたけど、ほんとだね。
 この番組も、つらかった。
 なぜにここまで苛酷な現実に向き合わなければいけないのか。農家の苦しみ、原発労働の実際。あまりにも酷い。だけどね、それでも、先が見えないんだもの。なんなんだこの現実は。つらいなあ、この取材は。凹む。何も言葉が出なくなった。

 今日のNスペは、「シリーズ東日本大震災 もっと高いところへ~高台移転 南三陸町の苦闘~」だった。哀しみをかかえながら、復興をめざす人々。しかし、すすまない高台移転。苦闘と模索の日々。…。

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