湯浅さんの『世界』の論文「社会運動の立ち位置――議会制民主主義の危機において」をみんなどう読んだんだろうか
湯浅さんの『世界』の論文「社会運動の立ち位置――議会制民主主義の危機において」をみんなどう読んだんだろうか。まだ、感想は、ネット上でも見ないなあ。単身?政権の懐に入って、奮闘されている方の提起だから、なかなか軽々しく、感想は書きにくいんだろうなあ。
まあ、一読しての感想。「議会制民主主義の危機」という認識、そこでの「強いリーダーシップ」論は、現実には「私たち」が切り捨てららるものであること、そしてそれが跋扈する背景として、調整過程のハードルを下げる欲求の強まりを指摘するところは共感ができる。ボクも、現在の民主主義の現状を考えるうえで、注目すべき1つの点は。この調整過程の問題だと思う。そして、たしかに、日本の民主主義は、この調整の政治を成熟させてこなかったということも言えるようにも思える。ボクらは当事者として、この調整にコミットしなければいけないというのもそう。
だけど、読んでいて、どうしてもよくわからないのは、何よりもそういう調整をめぐる問題を二次元の構造として整理してしまうのかという問題。これではどうしても4つの方向しかでてこない。いうなれば、調整か調整でないのかの二項対立的な議論になってしまう。ボクは調整をめぐる社会運動と政治の回路って、そんなに平面的なものではないように思える。当然、いろいろな回路が存在する。つまり調整と批判は同時的にとりくまれることはありえないのかということだ。プレーヤーはさまざまにいるのだから。しかも、調整の舞台のプレーヤーである政治家や官僚は、無色透明な存在ではなく、それぞれに利害や思惑をもって、ときには、対立的な存在として登場する。その具体的な分析抜きでの議論って言うのはありなのかな。しかも、参加する社会運動の側のプレーヤーも、その参加の形態は、さまざまだ。当然、個人であれ、団体であれ、目的や、基準などをもって参加するのが普通だろう。そのなかで、調整をおこなう相手側が、こちらの目的に決定的は反するような立場をとったとき、調整を打ち切ったり、その調整の場の状況を打開するために、まずは社会的な運動を強化することにとりくんだとしても、それは当然なことだと思う。たとえば、昨日の総合福祉部会の福島さんの発言など、とうていアイロニカルな政治主義なんていうわけにいかないだろうと思う。そういうそれぞれの目的や基準を、おたがいに尊重し合いながら、それでも調整の場がもっとも効果的に営まれるためにお互いに知恵を出し合うことこそが必要なようにも思える。
調整の現場で孤立する彼の苦しみがにじみ出るような文章という感じがした。でも、もっとたくさんのプレーヤーはいる。そんな人たちの力があつまっていくような運動はとはどういうものなのか。まあ、浅はかな感想だけれどもね。
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