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2011/12/20

「県民虫けら扱いだった」 コザ騒動きょう41年

 でも、だからこそ、沖縄の思いの底流に何があるのかをよく考える必要がある。
 沖縄の基地は、その多くが戦後の占領下に、住民を囲い込んで、その間につくったもの。さらに、50年代に銃剣とブルドーザーで拡張したものだ。そこは、日本軍の基地を接収した、本土とはちがう。そして、繰り返された米軍犯罪と住民の人権無視…。

「県民虫けら扱いだった」 コザ騒動きょう41年(琉球新報)

 米軍の圧政に民衆が怒りを爆発させた「コザ騒動」から20日で41年を迎えた。騒動に参加し、騒乱罪容疑で逮捕された元高校体育教諭は「虐げられた民衆の米軍に対する抗議」と騒動を振り返り、今も続く基地負担の解消を求める。米軍の元憲兵(MP)が沖縄市に寄贈した写真は民衆の激しい抵抗に混乱する米兵を生々しく記録。これまで知られていなかったコザ騒動の側面が浮かび上がった。
 県高野連元理事長で、当時コザ高校体育教諭だった安里嗣則さん(71)=沖縄市=はその夜、職場の忘年会の2次会に向かっていた。コザの街に着くと、人身事故を起こした米兵を数十人の県民が取り囲んでいた。憲兵(MP)や警察が米兵を連れ去ろうとした途端、人々はいきり立った。「ちょっと待て、基地に帰すのか。被害者はどうなる」―。
 糸満で発生した米兵による女性ひき殺し事件に対する無罪判決や、知花弾薬庫への秘密裏の毒ガス貯蔵など、米軍統治下で続く人権抑圧に県民の怒りは鬱積(うっせき)していた。群衆は数千人に膨らみ、米兵の車を次々と燃やし始めた。MPや機動隊にれんがの破片や石を投げながら、嘉手納基地とキャンプ瑞慶覧の米軍居住地に向けて進んで行った。安里さんもその中にいた。「ウチナーンチュは人間扱いされていない」。そんな憤りを抱えていた。
 米軍居住地の手前で背筋が凍る光景を目にした。前方のMPが銃口をこちらに向け、隊列を組んでいた。安里さんは沿道にあった木箱に乗り、何度も叫んだ。「ここで終わろう。これ以上続けると沖縄人にも米国人にも犠牲者が出る。目的は達成した」。怒りが収まらず、安里さんに小石を投げる人もいたが、群衆は次第に解散した。
 年明けの2月、安里さんは騒乱罪で逮捕された。騒動では「あちこちで米軍の事件や事故が起き、県民は虫けらのように扱われている。力を合わせて抗議しよう」と叫んでいた。自宅前で「抵抗すれば手錠をかける」と話す警官に、「悪いことをしたつもりはないので逃げない」と答えた。
 拘留された普天間署では人生初の逮捕に心細くもなったが、屋外では支援者が毎日抗議集会を開いた。「安里を帰せ」という叫びが何度も聞こえ、「自分は間違ってない」と強く感じた。逮捕の4日後、証拠不十分で釈放された。
 2000年に定年退職して以降は、沖縄国際大野球部の指導に携わってきた。しかし04年、その大学敷地内に米軍のヘリコプターが墜落した。自宅にいた安里さんは部員から知らせを受け、青ざめて大学に向かった。大学では米軍に制止され、事故現場に近づくこともできなかった。
 奇跡的に学生や住民に死傷者はなかったが、ヘリは今も上空を飛び交う。…

 由美子ちゃん事件、宮森小、隆子ちゃん事件、95年の少女暴行事件、沖国大…。県民は絶対に忘れない。だからこそなのだ。

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