日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇
国力数十倍のアメリカになぜ無謀な戦争を仕掛けることになったのか。太平洋戦争70年の年に問いかけた大型シリーズ、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」は、1月から3月に放送して大きな反響を呼んだ。そこでは1931年の満州事変から対米開戦を決定した1941年までを取り上げたが、今回は戦中編を放送する。 想定を遙かに超える戦果をもたらした12月8日の真珠湾攻撃。その直後から、開戦を決めたと同じリーダーたちのトップ会議で、戦争をいかに終結に持ち込むかの方針模索の議論が始まった。しかし、そもそも無理を承知で始めた戦争。アメリカとの早期講和を狙うのか、長期持久戦でひたすら耐えるのか、首脳部の意志は割れて統一できない。結局、防御と戦線の際限ない拡大の両方を、陸海軍が各々バラバラに追求するという矛盾した決定に至る。この決定が日本の悲劇を一層深刻にしていくのである。資源や補給船は陸海バラバラに運用される一方、作戦情報も共有しないまま南方へ送られた兵士たちは次々倒れた。軍官僚たちは占領利権を争い、戦線拡大のエスカレートは止まらない。重大事に危機感を共有できず、統率力を発揮できない国家指導者の下で犠牲者は膨らんでいく…。
陸軍の楽観論、海軍の冒険主義、たがいに反目しながら、利権を争う軍の愚かさは出ていて、興味深かったけど。戦略なき戦争と言われても、それはそうだが、そういう国のあり方の本質が政府や組織のあり方の問題に限定されてしまったような感じで。
そもそもあの戦争が国際法を無視した領土の拡張から始まっていることや、加害の事実などがほとんど無視されてね。とても違和感は残るなあ。
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そもそも戦争そのものを、単なる日本の国益のことしか考えていなかったがために、国際社会から孤立し、無残な敗北に至ってしまったということこそが、根本的な誤りとして、私達日本人は認識しなければなりませんね。
ただ、あの連合艦隊司令長官の山本五十六については、あのミッドウェー海戦前の時点であれば、日本にとっての利権を全て放棄して講和に持ち込み、戦争を終結させることは出来るのでは無いかと言うことは間違い無いと感じました。
恐らく、負けた場合には、それにより戦争終結をさせると言うことぐらいは考えてはおられた様には感じます。
仮にそうなった場合には、日本軍は無条件降伏することで、空襲や原爆により国民の犠牲は回避出来たであろうし、領有していた満州や台湾、朝鮮、樺太までは失うことになったとしても、尖閣諸島や竹島、北方領土については日本の領土として守ることは出来たのでは無いかと考えられます。
これを教訓にするならば、日本はもう世界の中で、他国にご迷惑をお掛けすることはせず、むしろ地球環境全体のことを考え、その中でそっと静かに存続することにより日本の国益が他国の国益に繋がるように、自ら反面教師となってあげることで資源や食糧の争奪戦や貧富の格差等から生じる戦争を回避することが出来れば、遥かに喜ばしいことでは無いでしょうか。
今回の福島第1原発事故を教訓に、「将来は原発なんかに頼らなくても良い社会にする」と言う方向性だけは間違っていないし、それにより、「経済成長の喪失」し「国力の低下」し「弱体化」することは、何ら悪い事では無いのでは無いでしょうか。
むしろ、「内向化」し「再鎖国」となることは返って良くないことに変わり無いものと思えば、震災直後に天皇陛下のお言葉で、「日本人は、共に分かち合い支え合って生きて行くことが出来る民族であると世界から賞賛され伝えられている」ことこそが、大いに誇りにすべきことだと思えば、日本人も幾らでも海外に出て行っても構わないし、外国人を幾らでも受け容れても構わないのでは無いでしょうか。
それにより、少しでも節電や節約をして、資源や原材料の輸入を削減し、余った資源は必要とする他国に廻して下さいと言ってあげれば良いのだし、そこそこの貿易黒字が維持出来る程度の経済規模にまで縮小し、少しでも節電や節約に協力することで、資源や食糧の自給率を幾らでも高めると共に、品質の良い農産物や製品を国内ばかりでなく、海外の人達にも分け与えて行くことにより、
共に痛みを分かち合い、富を分け合い、支え合って暮らして行くことが出来る社会に改善し、世界中に幾らでも広まって行けば、もう此れほど誇らしいことは無いのでは無いでしょうか。
逆に、こうしたことを考えず戦争になっても構わないというのなら、それこそ何処のお国の方か分からない人達であり日本人では無いと割り切ってしまえば、「どうぞ勝手に戦争して下さい。そして勝手に死んで行って下さい。」と、不謹慎ながら申し上げることしか出来ないのは致し方無いところではあります。
ただ、それにより再び同じ過ちに陥り、国際社会から白い目で見られてはたまったものでは無いとすれば、地球のため日本のためには、こんな人達は雲散無消して行くことが望ましいとするならば、幾らでも同質化され気が済むまで幾らでも泣き寝入りして、かつての亡国のことは一切忘れて、ただ大人しく暮して頂けるのなら、それだけで結構なことでは無いかと思います。
投稿: asa | 2011/08/16 11:57