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2011/08/09

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

Isbn9784791766109 とっても話題になっている本である。著者は、20代の若い研究者の卵。まだ大学院生である。修論であつかった福島原発をめぐる歴史社会学的な分析がそのまま本になった。大学院生と思えないほど、読ませてくれるのは、そのテーマの生々しさゆえなのか。だけど若い荒削りの感性は、読むものをひきつけるもの事実。内容は、福島原発のこの地の中央に対する地方の自律をめぐる葛藤と、自らすすんで服従するメカニズム、支配のメカニズムである。なぜ、原発がこの地に、これだけ集中的につくられたのか、その葛藤とメカニズムを、地域住民や政治家などへの聞き取りなどで明らかにしていく。それはその視点から言えば、とても考えさせられる内容でもある。戦前からの歴史のなかで、地方とはムラとはいったいどういう存在であったのかと。
 同時に、そこには、原発をめぐる二項対立的な議論への違和感の表明がある。これは武田徹さんなどと共通しているもだと思う。ボクは、基本的に脱原発論者だし、その方向で行動しようとしている人間だけれども、実は、この二項対立への違和感というのは、理論のうえでも、運動のうえでも大事な提起ではあるのだとも思っている。なぜなら、個々の原発をどうするかという対応は”脱原発”であるかどうかだけではすまない問題だし、いまの原発全体をどうするかも、結局は、同じ問題につきあたるからである。
 筆者は、そのうえにたって、3・11でも”変わっていない”という。たしかに、中央のフクシマへの目線は変わっていないのだと思う。その支配の構造は維持されようとしている。だけど、3・11があらわにした原発の問題ははたして変化をもたらさなかったのだろうか?
 もともと、中央と地方の関係を考えるとき、地方そのものにもさまざまな葛藤があり、さまざまな対立・矛盾がある。そこに、じつは、中央の政治が抱える対立や矛盾もかぶさってくる。この本が指摘する、服従と支配の構造を、もう一度そういう複眼的な視点から、さまざまな事実にもあたってみたいと思わせてくれる本でもあるのだけれどもね。

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コメント

原発をめぐる二項対立への違和感というのは、突き詰めれば、今後の日本の将来を考える上での私達、日本国民全体に突きつけられた問題として受け止めなければならないのでは無いでしょうか。
もう数ヶ月前にもなりますが、日経新聞に、あれかこれかと言う二者択一の思考を質せということが掲載されており、例えば沖縄の普天間基地移設問題にしても、TPPの参加にしても、全ての問題について、ただ賛成か反対かというだけの議論だけでは当てはまらないと言うことにも繋がるのでは無いでしょうか。

そういう意味では、菅総理の「将来は原発はなくてもやっていける社会にする」と言う方向性そのものは正しいものであるし、ただ原発を減らせば良いというものでは無く、放射性廃棄物や使用済み核燃料の処理をはじめ、原発そのものに対する安全対策への教訓としてどう活かすのか、と言ったことも併せて考えるべきなのでは無いでしょうか。
同時にエネルギーや食糧自給率の向上を図るための再生可能な自然エネルギーや資源のリサイクルも含めた環境分野をはじめ国内農林水産業を中心とした6次産業と言われる分野の育成や発展と雇用拡大を始め、介護をはじめとする社会福祉分野への雇用拡大というものにつなげて行けば、それだけでも産業空洞化をある程度抑制することに繋がるのでは無いでしょうか。

当然のことながら、日本経済への影響ということも考慮することも大切なのですが、経済成長のために原発推進しなければならないと言うことは、根本的に間違っているのでは無いかと考えられます。
逆に、そんなに海外に出て行きたいのなら、「どうぞご勝手に」ということで、幾らでもその背中を押してやっても構わないし、地方のこと地方に任せるということで、むしろ国なんかに頼らずに自ら被災地の復興を通じて、地域経済の活性化を図り、それによって日本経済全体を支え、地球環境全体の問題を通じて、世界経済の安定と全人類の平和に向けて貢献することに繋がっていくのなら、もう、此れほど喜ばしいものは無いと思いますので。

何と言っても、福島第1原発事故というものは、私達日本人としては、被害者であると同時に加害者でもあると言う認識を持たなくては、国際社会に対しては信頼して貰えないどころか、再び同じ過ちを繰り返してしまう恐れもあり、それによって日本そのものが崩壊してしまうことになってしまうと言う危機感を持たなくてはならないことは言うまでも無いと、つくづく感じる次第であるのですが。

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