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2011/07/24

飯舘村~人間と放射能の記録~

 昨日の、NHKスペシャル。あまりにもつらく、酷く、悲しく、涙なしには見れなかった。

110723_b 福島県飯舘村は人口約6000人。山あいの土地で農業や畜産業を営みながら人々は静に生活していた。ところが、東京電力福島第一原発の事故で暮らしは一変した。飯舘村は原発から30㎞以上離れていたため、当初は避難区域などに指定されず、住民は村に残った。しかし実際には、村の土壌は高濃度の放射能に汚染されており、人々は被曝することになった。さらに4月末には国によって計画的避難区域に指定された。村人たちは仕事と暮らしをすべて手放すという悲壮な決断を迫られたのだ。
 農作物の出荷停止。汚染状況の判明。村民に広がる被曝の恐れ。「自然と共存した村作り」を目指してきた菅野典雄村長も、村民の命や健康を守るため決意が揺らぐ。村を出るか、それとも残るか、村民は村の消滅のという極限の状況下で、何を考え、どう行動するのか。番組では震災発生から4か月間、飯舘村を定点観測し、「見えない敵」放射能との闘いを強いられた人々の姿を記録した。

 そこで、生きようとしていた人の生活を、農業や畜産という暮らしの生業を奪い取った原発。離村を決断するまでの過程があまりにも、つらく、悲しいのだ。抗いようのない力によってなされるその理不尽さ、不条理。だけど、それは自然の驚異とかそういうものではなく、人が、権力をもつ人たちが、おこなったことの結果でもある。それはやはり暴力だ。

 だけど、同時に忘れてはいけないのは、この飯舘は、電源三法交付金などが、落ちているところではない。原子力ムラからは離れたところだ。そして、この地に、高い線量の汚染が押し寄せていることがわかっていたにもかかわらず、事故直後の対応が、政府や東電の手でなされなかった地でもある。そこに生きる人への眼差しが、そこにはないということか。

 だけど、それでも、そこで生きていく人が、東電との関係に巻き込まれながら生きているということも番組では描かれていた。だからこそ酷いのだ。そこから、人が人として生きていく社会につなげていくには、もっと知恵も、さまざまなとりくみも必要だということ。それをなすのが政治なんだろうけどねえ。

 いま多くのジャーナリストが、この飯舘をテーマに取材を重ねている。ボクの知り合いも何人か行っている。
 森住さんのこの地での取材は、ブログに詳しく紹介されていて、読み応えがある。
http://mphoto.sblo.jp/

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