グラン・トリノ
相方といっしょに北陸のほうに、お見舞いもかねていってきた。まあ移動に2日ほど、あとは久しぶりに、ぼーっとした時間をすごした。相方と、上越のほうを少しブラブラ。途中で、時間のあまった間、ずっと見ようと思っていたこの映画を見た次第。
クリント・イーストウッドのヒューマニズムあふれた映画。とくに、朝鮮戦争で、原住民を虐殺した体験を負い目荷物役どころが、はまっている。余命を、移民のきょうだいのために生き、命をささえげようとする主人公。
最後は、悲劇で終わる。暴力を否定し、丸腰で。だけどきょうだいの視点から見れば、悲しみは耐え難く大きい。だから余命わずかであっても死んではいけない。だけど、美学で終わってしまう。そうした問題が、宿題ということか?
暴力にうち勝つための宿題か。
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