学力競争は学校と日本社会をどこに導くか ~ 教育改革と学力観転換の連動構造を解く ~
午後は、表題の教科研のシンポジウムに。
議論を聞いていて、ふと頭のなかをよぎったのは、「学力」という言葉が、よく議論されるようになったのは、90年代の最後の時期の学力低下をめぐる時期からだろうか、もともと、学力という言葉は、勝田さんの系列の東京ではいざしらず、ボクが育った関西の方では、使い方はもっと慎重だったような記憶がある。もちろん、見える学力、見えない学力というような使い方をする人もいたし、学力研という民間教育団体もあるのだけれども。そもそも、外国では、学力に対応する言葉はどうなんだろう。非常に、日本特殊な言葉のような感じもする。議論のなかでは、新教育運動を批判するために使われるようになった言葉だという話もあったけど。
だけど、学力という言葉の意味は、なかなか曖昧。佐貫さんは、この言葉は、使われる場によって意味合いが違うということを整理しながら、教育への社会的な要請という視点から、為政者や経済界と、子どもの発達的要請との学力をめぐる対抗関係を整理する。うーん、それはわかるんだけどねえ。
だけど、もう1つ為政者の側の「学力」観そのものがもう1つ、シャープに解き明かされない感じがする。議論の力点は、どう組み替えるかという学力像に焦点があたる。それは結局、いまの社会のなかで、子どもの発達ということをどうとらえるのかということや、そのもとで学校教育をとおして形成される能力とはどういうものか、そこに教育実践というものがどうかかわるのかが問題になるのだろうけれども。ただ、日本の学校教育というのが、実践の対象とする範囲が広いからこれまたややこしい。
学力論議をふまえつつ、目の前にいる子どもにどのような力をつけるのかという点での、教師たちの発言はやっぱり頭がさがる真摯なものだなあと思う。だからこそ学力を論じるときは、子どもに即して、よりていねいに、より構造的、立体的、発展的に論じる必要があるのだろうと思うけど、それもまたややこしいなあ。そういう子ども観、発達観を豊かにするような「学力」や「能力」の見方を深めるうえで、本田さんや田中昌弥さんの議論、とくに田中さんの議論は、ヒントになるよなことがたくさんあり、これが理解できたら自分の認識も豊かになりそうな気がするところもあるんだけれども、どうもわかったようで、わかならいようで…。
もっと、勉強しなさいと言われたようなシンポジウムだった次第。
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