毒ガス撤去40年 基地ある限り疑惑晴れず
昨日の琉球新報に、表題の社説が掲載されていた。毒ガス移送のオペレーション・レッドハットが、40年前の1月13日からはじまったというのだ。
毒ガス撤去40年 基地ある限り疑惑晴れず(琉球新報)沖縄に大量に貯蔵されていた米軍の毒ガス兵器が撤去されてから、ことしで40年を迎えた。
空にB52戦略爆撃機、海に原子力潜水艦、陸に猛毒の毒ガスと約20種類の核兵器。施政権返還を目前にした40年前の沖縄の姿だ。
サリン、VXなどの毒ガスは貯蔵発覚から撤去までに2年2カ月を要したが、県民の粘り強い抵抗運動が、撤去を実現させた原動力となった。
最近公開された外交文書は、撤去費用負担を拒否する米国と、ひそかな資金提供を通じて問題解決を図ろうとする日本政府の姿勢を浮き彫りにしている。
外交記録によると、日本政府は「わが国の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有」(1968年2月)を望んでいる。沖縄返還は本土並みではなく「基地の自由使用を前提として考えざるを得ない」と考えていた。
こうした基本認識を持つ日本は、毒ガス撤去について、米側に「高度の軍事機密に属するので日本政府が介入することは困難」(70年5月)と伝えている。
日本政府の意向を知った米側の姿勢は強硬だった。当時ランパート高等弁務官は、移送道路新設に伴う費用や住民避難に伴う出費など計60万ドルの負担を拒否する。
さらにコザ騒動を引き合いに「このような脅威が取り除かれない限り毒ガス移送作業の開始を許可しない」と脅しともとれる発言をしている。
窮地に立たされた琉球政府の屋良朝苗行政主席は、山中貞則総務長官に要請。不介入姿勢の日本政府が経費を負担することで政治決着した。…
当然、本土ではほとんど知られていない問題でもある。
沖縄公文書館のブログにいろいろな資料が掲載されている。
69年には、米軍基地から、あるオウムの際、話題になったVXガス漏れ事件がおこっている。核の問題とならんで、毒ガスの問題は、県民にとって重大な問題であったのだ。しかし、アメリカは基地については自由使用にこだわった。そして、密約が生まれる。
基地をめぐる構造は、今でも何も変わっていない。それは沖縄の実感でもある。主張はこう締めくくる。「あれから40年経過した今でも基地は存在する。当時こっそり持ち込まれた毒ガス兵器のような兵器は、もう存在しないと断言できるだろうか。基地がある限り疑惑は晴れない。」。もっと、歴史を知る必要があるなあ。
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